第286話 わたしの彼氏⑩


「俺の……彼女に何してるんだ?」


 という言葉を口にするのは少し躊躇ってしまった。それは別にネガティブな意味があるわけじゃなくて、まだ慣れなくて恥ずかしいだけ。


 財津と榎坂と別れたあと、あてどなくふらふらと歩いていた俺は知らない男と一緒にいる陽菜乃の姿を見つけた。


 浮気だなんだと疑うことはなかったけれど、一体どういう状況なんだろうという疑問はあって。


 少し様子を見ているとあからさまに陽菜乃が嫌そうな顔をしていたので、俺は意を決して間に割って入った。


 これで俺の勘違いなら、もうそれでいいよ。俺が恥ずかしい思いをして終わるだけだ。きっと一時間後には笑い話になる。


「俺の、彼女?」


 けど俺のそんな考えは杞憂に終わってくれた。


 彼の雰囲気がそれを教えてくれる。


 俺の顔を見て、彼は眉をひそめた。

 戸惑いとかそういうのではなくて、敵意のようなものがこもった表情だ。


「お前が日向坂の彼氏?」


 そいつは壁から手を放して俺の方を向いた。

 そして俺の全身をまるで査定するようにまじまじと見てくる。


「え、日向坂こんな男のこと好きなの?」


「こんな男って……」


 本人を前にしてよくそんなこと言えたな。失礼にもほどがあるぞ。俺があまり気にしない男だから良かったものの、そうじゃなければどうなっていたか。


「そうだよ」


 陽菜乃はそう言いながらてててと回って俺のところへとやってきた。そして、ぎゅっと腕を掴んでくる。


 まるで自分のものだと主張するように。


「いや、だって、え? 地味……だよな?」


 失礼な。

 地味だけども。


「この失礼な人は?」


「ええっと」


 俺だって陽菜乃の知人全てを把握しているわけではない。同じ学校であっても知らない人はいる。


 しかし、にしても知らない顔だ。


 と思って訊いてみたのだけれど陽菜乃はどうにも歯切れの悪い反応を見せる。


 珍しいリアクションだな。


「俺は日向坂の元カレだよ」


「ちょっ、待っ」


「元カレ?」


 陽菜乃の反応からして、彼女が何かしらの後ろめたさを覚えているのは何となく予想していた。


 それがまさか元カレとは。


「あのね隆之くん、違うの」


「いや、違わないじゃん。付き合ってたでしょ?」


「……」


 陽菜乃はきゅっと唇を噛んだあとに不安げな、あるいは申し訳無さそうな表情をこちらに向けた。


 俺がそんな陽菜乃にかける言葉を探していると。


「あんた」


 と。


 声をかけられる。

 

 恐らく俺のことを差しているんだろう、と思い俺は元カレさんの方に視線を戻す。


「日向坂とはいつから付き合ってんの?」


「十一月頃からだけど」


「てことは、まだ一か月くらいなのか」


 それが何かあるんだろうか。

 ぶつぶつと何かを呟いていた元カレさんは俺から陽菜乃の方へ視線を移す。


 気づくと、彼の口角が上がっている。


 俺は彼の、あの目を知っている。

 何度も見たことがあるだ。

 

「なあ、日向坂。やっぱさ、そんなやつより俺と付き合おうぜ?」


「は?」


 予想外の提案に俺は驚いてしまう。

 あいつ、今なんて言った?


 彼氏が横にいるのに?

 そんなやつより俺と付き合おうとか言う?


 すると蘇ってくるのはさっきの陽菜乃のリアクションだ。俺に見せた申し訳無さそうな表情は、もしかしてこのことに対して後ろめたさを覚えていたから?


「やだ」


 しかし。

 

 陽菜乃は即答する。

 まっすぐに彼を見つめて、拒絶の意を示していた。


「なんで。絶対に俺のほうが満足させられるよ。一緒にいたら、すげえ面白い奴らと友達にもなれるし。そんな地味な奴じゃ日向坂に合わないって」


「なにを根拠に言ってるのか分からないけど、わたしは隆之くん以外の人と付き合うつもりはないよ」


 つらつらと喋る元カレさんに陽菜乃はきっぱりと言い切る。二人の勢いに俺は発言のタイミングを逃してしまった。


「なんで」


「隆之くんが好きだから。他の人とは比べられないくらい大好きだから。隆之くん以外なんて考えられないのっ」


「……ッ」


 元カレさんは言葉を失う。

 悔しそうに歯をギリッと鳴らしながら俺の方を睨んできた。

 そこでこっちに矛先を向けるのは八つ当たりだろと思いはしたけど、その言葉は飲み込んだ。


 こういうときは何て言えばいいんだろう。


 例えば、『そういうことだから、俺の女に手を出すな!』とか? いやいや、キャラじゃないよ。

 じゃあ、『残念でした。さっさと帰ってどうぞ』みたいな。性格悪いだろ。絶対ダメだ。


「えっと、その」


 俺が何と言うべきか悩んでいたそのときだ。


「お、いたいた。おい越野!」


 越野という男の名前を呼びながらこちらに歩いてくる男子が三人。恐らく元カレさんの名前だろう。


 髪を染めていたり。

 ピアスを開けていたり。

 もうパンツ見えてまっせと言うくらいズボン下ろしてたり。


 三者三様。

 しかし越野氏含め、誰も彼もがそういう格好をさせられている感が否めない。


 俺は彼らのことをなにも知らないけど、不思議と似合わないと感じる。

 きっと俺が髪を染めてチャラチャラした格好をしても同じ感想を抱かれるだろう。


 同じ人種だからこそ、そう感じたのかもしれない。


 面倒なのは味方を得たことで越野氏が復活したことだ。水を得た魚のようにイキイキとした表情をしていらっしゃる。


 どやっという言葉が飛び出して見えた。


「なにしてんの?」


「いや、中学のときの元カノに会ってさ」


 越野氏が言うと、三人は「マジで?」「え、やば可愛い」「嘘じゃねえの?」とありきたりなリアクションを見せる。


 俺たちを放っておいて、身内のノリで盛り上がる。ああいうノリって外から見ると寒かったりするんだよなあ。


 なんてことを思いつつ、この間に帰ってやろうかと考えたところで越野氏がこちらを向く。

 

「なあ日向坂。こっちに来いって。俺たちといたら絶対楽しいよ」


 そして、またそんなことを言った。

 陽菜乃にハッキリと振られ、一度しっかりと折れたはずなのに、面倒なことに復活してしまったらしい。


 仕方ないな。

 

「だから――」


 何かを言おうとした陽菜乃を腕で止める。ピタッと止まった彼女は俺の顔を見た。


 多分、陽菜乃がなにを言っても彼は聞いてくれない。まして、今は仲間がいてテンションが復活している。


 なにかを言われても、友達と一緒に言い返してやるみたいな思考が見て取れる。


 ああなった人間を諦めさせるのは非常に大変だ。自分の方が強いと思っている限り折れないから。

 自分が正しいと信じているから。


 俺がするべきことは強さを示す天秤をこちらに傾けること。彼らに決して負けないことだ。


「陽菜乃は下がってていいよ。多分、何言っても無駄だから」


「でも」


 陽菜乃の心配そうな顔は拭えない。だから安心してもらおうと俺は彼女に笑ってみせる。

 

「たまにはほら、俺も彼氏として良いところ見せたいっていうかさ」


 とは言うもののノープランである。

 けどここで何もしないのは彼氏としてさすがに不格好というか、情けないのではないだろうか。


 初めてできた彼女。

 恋愛経験がなさすぎる俺はまだまだ全然ダメダメだ。

 陽菜乃に心配ばかりかけるし。

 彼女に対する気遣いもなっていない。


 これからはそういうことも学んでいきたいと思っている。

 この先も陽菜乃と一緒にいたいから。


 彼氏としては未熟だけど、だからこそ引くべきでないところは弁えているつもりだ。


 ここで前に出なきゃいつ頑張るんだよ。


 俺の言葉を聞いて、陽菜乃は一歩下がってくれた。


 すう、と息を吸って彼らを見る。

 

「陽菜乃にはもう俺がいる。だから帰ってくれ」

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