第285話 わたしの彼氏⑨
なんか二人で盛り上がり始めたところで、俺は意を決して立ち上がる。
「俺、そろそろ行くわ」
「ええ」
「ああ」
淡白な返事に少しばかりのストレスを覚えながら、俺はじゃあとその場から去ることにした。
あの感じなら二人でも問題ないだろう。いや、むしろ俺がいたら邪魔になる可能性すらあった。
けど。
けどだよ。
一応、気を遣ってあの場にいた俺に対して最後のリアクションはどうなんだよ。
いや、まあ、あれくらいの反応をする関係なんだろうけど。
俺と財津も、俺と榎坂も、知り合いではあるけれど友達ではない。過去にいろいろあったという事実だけが記憶に残っている。
ともすれば、存外あんなもんか。
結果的に言えば暇つぶしになったわけだし、良しとするか。
「……」
陽菜乃と別れてもうすぐ一時間が経とうとしている。
終わったら連絡をくれると言っていたから、まだ連絡がこないということは終わっていないということなのだろうか。
もう少し時間を潰したほうがいいかな。
そんなことを考えて、俺は適当に歩くことにした。
*
越野英輔くんとは中学三年生のときに同じクラスになった。
どちらかというと女の子と一緒にいることが多かったから、特別仲が良かったわけではなくて、けれど機会があれば言葉を交わす程度には遠くない距離感。
けれど、男の子に話しかけられることはよくあった。
最初は戸惑ったけれど、そういうものだって思い始めてからはそうでもなくなって。
周りとの気持ちのギャップを感じていたわたしは、越野くんに告白されてその気持ちを受け入れることにした。
いろいろあって別れることになって、それからは卒業までお互いに関わらないように避け合った。
入学した高校も違うからそれから会うことはなくて。
「ほんとに久しぶりだな。え、いつ以来? 卒業式かな? まじで懐かし」
なのに。
まさかこんなところで、こんなときに遭遇するなんて思いもしなかった。
「そ、そうだね。久しぶり」
多分、今の笑顔はぎこちない。
「一人?」
越野くんはきょろきょろと周りを見ながらそんなことを言う。わたしはそれにかぶりを振って答える。
「そうなんだ。いいなあ楽しそうで。俺? 俺はね、休日なのにボッチなの」
越野くんはくふくふと笑う。その笑い方はあまり変わっていなかった。
それとは違って、見た目もそうだけど特に態度みたいなのが大きく変わったように思う。
表情も。
あと、なにより話し方。
偉そうっていうわけじゃないんだけど、どうしてか鼻につくというか。
言葉を選ばずに言うなら、人をイラっとさせる話し方。
昔はそんなことなかったんだけど。
そんなことを考えていると、越野くんはいやらしい目つきでわたしの足元から視線をゆっくりと上げていく。
なんだか全身を舐め回されているような気分にさせられて、すごく気持ちが悪い。
「日向坂は全然変わってないな。あのときと同じで、すげえ可愛い」
「……越野くんはなんていうか、その、変わったね?」
そうかな、と言いながら越野くんは前髪をいじった。そういう仕草も昔はしなかった。
態度から感じるのは、変わったという自覚がありながらもとぼけていること。
まるで、自分に酔っているような。
「俺、こんな可愛い女の子と付き合ってたんだなー」
目を細めて。
にやりと笑う。
彼のそんな顔に、ぞわりと悪寒が走った。
どうしよう。
ここから離れたい。
「俺さ、高校に入ってから結構女子にモテてさ。みんな悪くないんだけど、やっぱり日向坂には敵わなかったわ」
「そ、そう」
変わらないな、と思う。
変わることも、変わらないことも、決して悪いことだとは思わないけれど、それはあくまでも良い方向に進んでいればの話。
悪い方向に変わってしまうことも。
悪い部分を変えないことも。
どっちも良くない。
「日向坂は今、彼氏いんの?」
「いるよ。いる」
わたしは即答した。
彼に隙を与えないように。
けれどそれに関しては予想していたのか、さして驚いた様子はなかった。
むしろ予想通りというか、想定内みたいな感じ。
てっきり……。
自分の勘違いに少しだけ恥ずかしさを覚えていたのだけれど。
「どんな奴?」
「凄く優しい人。とにかく格好いい人」
探りを入れてきたことに動揺しつつも、わたしはここでも即答を見せた。
「へえー、日向坂にそこまで言ってもらえるなんて、よっぽどイイ男なんだろうな?」
そう言いながら、越野くんはじりじりとわたしとの距離を詰めてくる。わたしは一歩一歩後ずさる。
気づけば壁際に追い込まれていた。
「俺もさ、結構イイ男になったと思うんだけど? 別れたあと、ちょっと距離感じてたけど、今ならやり直せると思わない?」
「……わたし、彼氏いるから」
どうして、こういうときに限って周りには誰も人がいないんだろう。誰かいれば助けを求めることだってできるのに。
「だから、乗り換えないかって言ってんの。その彼氏より絶対俺のがいいよ」
「そんなこと、ないよ」
ダンっとわたしの顔の横に勢いよく腕を伸ばしてくる。いわゆる壁ドンというやつだ。今の時代にする人いるんだって思う一方、隆之くんじゃない人にされたことに不快感を覚える。
いや、わたしは微塵もときめいていないからこれはもはや壁ドンではない。ただ詰め寄られているだけ。わたしはまだ壁ドンバージンだ。今度隆之くんにしてもらおう。
「そんなことあるって。俺、ホントにそこら辺にいる男より全然モテてるんだよ。絶対満足させられる」
わたしの言うことを聞いてくれない。
この人にとって自分の意見を通すことが全部なんだ。
なんで、この人のこと好きだったんだろう。
ただ、恋に恋してただけなのかな。
あのときは少なからず良いと思える部分があったのかな。
恋人になることで、見えていなかった部分が見えてきたのかな。
もう。
なにも分からない。
「わたしの彼氏は……」
一つだけ分かること。
わたしはこの人のことが好きじゃなくて。
わたしは隆之くんのことが大好きで。
わたしの彼氏は、世界でたった一人の志摩隆之くんなんだってこと。
「おい」
そのとき。
誰かが越野くんの肩に手を置いた。
越野くんが振り返り、わたしもそのときにようやくその人の顔が見れた。
いや。
顔なんて見なくても声で分かったけどね。
「なんだよ?」
「俺の……彼女に何してるんだ?」
彼女って口にするのはちょっとだけ恥ずかしそうだったけれど、そういうところが可愛くて、でもやっぱり最高に格好いい。
わたしの彼氏がそこにいた。
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