第278話 わたしの彼氏②


 電車に乗って向かう場合は、目的地の駅前で待ち合わせをするのがこれまでの普通だった。


 昨晩。

 最終確認ということで陽菜乃と電話で話していたときのこと。

 

『じゃあ、また駅前のとこ集合でいいのか?』


 だから俺は特に何を思うでもなくそう確認したんだけど、陽菜乃からは『いや』と否定の言葉が届けられた。


『せっかくだから最寄り駅集合にしよ?』


 俺と陽菜乃の家は自転車で行き来できる距離ではあるけれど、最寄り駅は異なる。

 具体的に言うと二駅くらい離れているだけだ。自転車ならば十分くらいだろうし、なんなら徒歩でだって向かえないことはない。


『え、でも』


『だいじょうぶ。わたしが隆之くんの最寄り駅まで歩くからっ』


 これまでそんなことを言ってくることがなかったので驚いた。最終的には合流するのだから、わざわざそんなことしなくてもいいのではというのが本音だった。


 しかし。

 

『そんなことしなくても』


『せっかくのデートだもん。少しでも長く隆之くんと一緒にいたいなって』


 そんなこと言われたら俺だってさすがに確かにと思ってしまう。目的地の最寄り駅で集合という固定観念がその発想に至るのを邪魔していた。


 しかし。


『そういうことなら、俺が陽菜乃の最寄り駅に行くよ』


『いや、それは悪いよ。わたしが言い出したことなんだし』


『俺歩くの嫌いじゃないから。それにあれだ、その、俺も陽菜乃の考えには賛成だから』


『隆之くん……。それじゃあお願いしようかな』


『ああ。それじゃあ、明日は陽菜乃の最寄り駅集合で』


『うん。それじゃあ……『陽菜乃ー? ご飯でき……って、電話中? もしかして志摩くん? ちょっと変わってよ。私も志摩くんとお話したいわー』『おにーちゃん? おにーちゃん?』ああもううるさいっ。もう切るから!』


 余裕がなかったのか、陽菜乃との通話がブツリと切れてしまった。

 遠くから聞こえてきたのはななちゃんと、お母さんの声かな。

 そういや陽菜乃のお母さん、若かったなあ。年齢とか見た目がじゃなくて、中身というか性格が。


 と、そんなことを思いながら、俺は今日に備えて眠りについたのだった。


 そして現在、俺は待ち合わせ場所へ歩いて向かっている最中だった。

 

 徒歩の時間を長めに設定し、それでいて十分前には到着できるように家を出発した。


 そしてちゃんと予定通りに十分前……なんなら十三分前に待ち合わせ場所に到着したんだけど。


「あ、隆之くん。おはよ」


「……おはよう。早いな」


 陽菜乃が既に駅前で待っていた。

 俺と目が合ったところでにこりと眠気も覚める可愛い笑顔を向けてくれる。


 俺がここまで歩くことに気を遣って早めに家を出たんだろうか。そんなこと気にしなくてもいいのにな。


「いやあ、今日こそは隆之くんよりも早く待ち合わせ場所にいてやろうって思ってね」


「なにそれ」


 にこやかにそう言った陽菜乃に俺は首を傾げる。そんな俺のリアクションに対し、陽菜乃はふふふとわざとらしい笑みを見せた。

 

「いつもいつも隆之くんはわたしを待っちゃうからね」


 別に悪いことじゃないと思うけど。

 待たせる側は意外と気にするもんなのかな。だとしたらこれからはもうちょっと遅めに来たほうがいいのか?


「けど、この前一緒に登校したときに待ってたじゃん」


「あれは登校。これはデート。あんだすたん?」


 分からん。


「アンダスタン」


 まあいいか。

 陽菜乃がそれでいいと言っているのだから俺が気にすることじゃないや。


 そんな感じで一日が始まる。

 俺たちがホームに向かうとちょうど電車が到着したのでそれに乗り込む。

 休日ということもあり、車内はそこそこに混んでいたので座ることは諦めてドアの付近に立つことにした。


 車窓から流れる景色を眺める陽菜乃を改めて見てみる。

 グレーの膝丈ワンピースの上から白のもこもこジャケットを羽織っており、素足は黒のタイツで守っている。

 ネックレスがきらりと光り視線を誘導されると、首元の肌色の露出が目に入りどきっとする。


 普段は髪をストレートにしている陽菜乃だけど、休日に会うと何かしらのアレンジをしてくることが多い。

 今日は二つ括りをして髪を降ろしていた。ツインテールって括る位置で印象が変わるなあ、なんてことを考えてしまう。


 あと、今日は唇の色がいつもと少し違う気がする。赤くなくて、淡いピンクのような。口紅ってやつなのだろうか。

 彼女のおしゃれを理解するためにも、俺もおしゃれを理解したほうがいいのかもしれないな。


「ん?」


 まじまじ見ていたことがバレてしまった。こちらを向いた陽菜乃と目が合い、後ろめたさから慌てて視線を外に向ける。


「わたし、見られてたね?」


「まあ、ちょっとな」


「そうかな。結構、じいっと見られてたような気がするけど?」


 覚悟を決めて陽菜乃の方を向くと、彼女はこてんと首を傾げていた。しかし表情はきょとんとしたものではなく、どこか妖艶というか、余裕のある笑みを浮かべている。


「女の子って、男の子が想像してるより人の視線に敏感なんだよ?」


「マジで?」


「うん。まじで」


 だとしたら気をつけないといけないな。

 陽菜乃はもちろんだけど、女の子を見るときは最大限に注意を払う必要があるらしい。


「特に隆之くんからの視線には敏感だよ? 見てほしいって思ってるから、見てくれてるかどうかいつも気にしてるの」


「……マジで?」


「うん。まじで。だから、隆之くんがわたしを見ていたことは明白なんだよね」


「見てましたごめんなさい」


 もう素直に謝ろう。

 これは多分勝てないや。

 しかし陽菜乃は今度はきょとんとした顔で首をかしげた。


「なんで謝るの?」


「いや、だって結構見てたから」


「見てほしいって思ってるんだから、見てくれていいんだよ。なんなら、もっと見てくれてもいいくらい」


「さすがにそれは」


 見つめ合うとかは恥ずかしい。

 そのまま吸い込まれてしまうような気がして、いつもすぐに目を逸らしてしまうのだ。


「ところで、さっきはなんで見てたの? 俺の彼女可愛いなぁって思ってくれてた?」


「概ね、そんな感じかな」


 俺は照れ隠しに俯きながら前髪を触った。最近髪も伸びてきたし、そろそろ散髪に行ったほうがいいかもしれないな。


「それじゃあ正解したご褒美に、手を繋いでもらおうかな」


 言うが早いか、陽菜乃はぷらぷらと揺れている俺の手を握ってきた。指と指を絡める、恋人同士がするやつ。


 俺としてはこれもまだ恥ずかしい。


「むちゃくちゃな」


 しかし、幸せそうな陽菜乃を見てると振り払うことも躊躇われる。そもそもそんな必要はないんだけど。

 恥ずかしいだけで、嫌というわけでは決して無いから。


 ただなあ。


 ここ、電車の中なんだよなあ。


 ちょっと人目を気にしてくれると嬉しいかな、とか思いながら俺は再び流れる景色に視線を向けた。

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