第274話 クリスマスに向けて③
「ごめんね、今日ちょっと用事ができちゃって」
放課後。
てててと俺の席に駆け寄ってきた陽菜乃が申し訳無さそうに手を合わせた。
晴れて恋人同士になった俺たちはお互いに用事がなければ一緒に帰ることにしている。
とはいえ、俺は自転車だし陽菜乃は電車だから短ければそこまでなんだけど。たまに寄り道したりすることもある。
まあ。
付き合う前からそうやって帰ることは多かったけれど。
「いや、全然大丈夫だけど」
「あのね、去年同じクラスだったななみんたちとケーキ食べて帰ることになったんだ」
「へえ」
去年同じクラスってことは俺も同じクラスということになるはずなんだけど、ななみんってどなたなんだろう。
「男の子はいないから安心してね?」
「そ、そうか」
陽菜乃は友達が多い。
自分から声をかけるということはあまりしないらしいけど、放課後とかにこういうことは以前からあった。
これまでは「ごめんね」というだけだったんだけど、今はこうして「男の子はいない」ということを必ず付け足してくれる。
そういう些細な気遣いというか変化は嬉しいんだけどこそばゆくて、まだ慣れない。
「それじゃあ、またね」
そう言って、陽菜乃は行ってしまう。教室の中を見渡してみると柚木と樋渡の姿も見当たらない。
二人は二人でいろんなコミュニティを持っているから、こういう日だってそりゃあるか。
別に一人は寂しいから嫌だようってタイプでもないので、今日は一人で帰ることにするか。
と、思ったんだけど。
秋名が一人で帰り支度をしているのを見つけたので、とりあえず行ってみる。
「今日は部活か?」
「んー? いや、うちの部活はもう年末ムードだよ」
ダラダラしてるとか、活動してないとか、そういうことだろうか。年末ムードというにはまだ時期が早いと思うんだけど。
「じゃあもう帰る感じ?」
「そだね」
「一緒に帰るか?」
誘ってからふと思う。
秋名とはもう一年以上の付き合いになるけれど、二人で帰ったことってなかったな。
「陽菜乃のいない間に他の女子を誘うなんて、浮気するにしても早すぎるし彼女の友達狙うとか志摩はマニアックだね」
「そんなんじゃないって」
分かっててわざわざ言うんだからたちが悪い。
陽菜乃と付き合ってからも秋名は変わらない。これまで通りだ。陽菜乃はからかうと惚気で返してくるからつまらないと言っていたけど、だからか最近は俺の方に矢印が向いている気がする。
「まあ、たまにはそういうのも悪くないかもね」
よっこいしょと言いながら秋名は立ち上がる。
二人で並んで廊下を歩くことはあった。
移動教室のときとか、購買に行くときとか。そういう偶然のタイミングで一緒になることはあったけど、こうして示し合わせて歩くのはやっぱり新鮮だ。
学校を出て駅までの道を歩いていると、なお違和感が強くなる。
俺は自転車を押しながら、秋名はその隣を歩く。
「それで、志摩は何か私に訊きたいことがあるんだよね?」
「急になんだ」
「なにもないのに志摩が私を誘うなんて有り得ないじゃん?」
「そんなことないだろ」
「有り得なかったじゃん」
それはまあ、そうなんだけど。
けど、訊きたいことがあったのは事実なのでタイミングとしてはちょうどいいか。
「おおかた、陽菜乃と過ごすクリスマスについて悩んでるって感じかな」
「エスパーか?」
「分かりやすいんだよ。志摩も、陽菜乃も」
そんなに分かりやすいのかな。
でも以前から秋名にはいろいろと筒抜けみたいなことはあったし、本当にそうなのかもしれない。
どっちかというと、秋名の方が鋭いというか敏感なだけな気がするけど。
「それで?」
「秋名の言うとおりだよ。陽菜乃との初めてのクリスマスをどうしようか悩んでる」
言ってしまえばまだ二週間くらいの時間はある。しかし、そう思ってなにもしないでいるとあっという間に当日は来てしまうのだ。
「気張り過ぎなんだよ、志摩は」
「そうかな」
「人って自分のことを大きく見せようと必死になるけどさ、そうしたところで自分の大きさは変わらないわけじゃん。どころか、本来の技量を一瞬だとしても超えてしまったら周りからはそれが普通に思われるんだよ? そのハードルを毎回越えようとするのはストレスだししんどいと思うけどね」
「つまり?」
「今の志摩にできることをすればいいんだよ」
「そうは言うけど」
それでも難しいものは難しい。
「志摩のことだから、特別な日にしないとって思ってるんでしょ。彼女と過ごす初めてのクリスマスだから。でもね、必要ないよ、特別なことなんて。あの子からしたら、志摩と過ごすこと自体が特別なんだから」
柚木も似たようなことを言ってたな、と彼女の言葉が蘇る。
秋名は前を向きながらさらに続けた。
「陽菜乃はさ、ずっとそれを望んでたんだよ。私はそれをそばで見てきたから分かるんだ。だから、あの子にとっては二人で過ごすことが特別だよ」
それはきっとそうなんだろう。
秋名は俺が陽菜乃と知り合う前からずっと友達だったし、俺よりもずっと陽菜乃と一緒にいた。
だから、もしかしたら一番陽菜乃のことを分かってるのは秋名なのかもしれない。
「普通にさ、手を繋いで買い物して、二人でケーキ食べるだけでもいいんだよ」
秋名も、柚木も、樋渡も。
言っていたことは同じようなことだ。
だから多分、それが正しいというか、そういうのでいいんだろうな。
買い物をして。
ご飯を食べて。
ケーキを食べて。
イルミネーションに行って。
そんな、ありふれた過ごし方でも陽菜乃と一緒ならきっと特別で、彼女もそう思ってくれているに違いないんだ。
「けど、志摩がどうしても特別な日にしたいって言うんなら、志摩にしかできない唯一の方法を教えてあげるよ」
「そんなのあるの?」
早く教えてくれよ。
そんな気持ちを持って訊いてみると、秋名はドヤ顔を浮かべながら口を開く。
「特別な思い出を作ればいいんだよ。そうすれば、その日はきっと特別な日だよ」
「その特別な思い出をどうやって作るかが問題なんだろ?」
それをずっと悩んでいるのに。
しかし秋名は「そんなの簡単じゃん」とあっさりした調子で言ってくる。
そして、こう続けた。
「熱いキッスをしてあげるのさ」
俺は思わず吹き出してしまう。
そのリアクションを見て、秋名はケタケタと大笑いしていた。本当にこいつは全然変わらない。
「真面目な顔して何言うのかと思えば」
「志摩は相変わらず欲しいリアクションをそのまましてくれるね」
ひいひい言いながら目からこぼれる涙を拭う。そんなに笑うことないだろ。
「けど、言ったことは冗談じゃないよ?」
「なに?」
「どうせ志摩はチキンオブチキンの称号の通り、陽菜乃に手を出してないんでしょ?」
「聞いたことないぞそんな称号」
「クラスの中だと割と有名だよ。文化祭終わりから志摩は影でそう呼ばれてたんだよ」
なにそれ初耳なんだけど。
「誰がそんなこと言い出したんだよ。まあ、タイプからして堤さんとかだろうけど」
「私だね」
「お前かよッ」
思わず声が荒ぶってしまう。
「冗談はさておき」
「どれが? チキンオブチキンも冗談なのか? そうだと言ってくれよ」
「そろそろ陽菜乃との関係も一歩踏み込んだものにしてもいいと思わない?」
スルーだった。
完全完璧に見事に華麗に無視された。
チキンオブチキンが真実か否か、その答えは闇の中に葬り去られたんだとさ。めでたくないなあ。
「進展、ねえ」
「二人は付き合う前から付き合ってたような絡み方してたんだから、あんまりちんたら似たようなこと続けてたらタイミング逃すよ?」
それは思っていたけど。
ささやかな変化はあれど、俺と陽菜乃の関わり方は大きく変わっていない。
それはやっぱり、以前までが近かったことが原因だ。
「クリスマスは良い機会だと思うけどね」
「……」
陽菜乃との関係を進展させる。
そりゃ恋人同士なんだし、そういうことをしても別におかしいことはないと思うけど。
陽菜乃だって、もしかしたら万が一にもそう思ってくれているかもしれないけど。
分からないよ。
やり方というか、進め方が。
そんな話をしていると、駅に到着してしまう。どうやら結論が出ないまま、この時間は終わりを迎えてしまうらしい。
「それじゃあね。私でよければいつでも相談に乗るから、せいぜい悩みな青少年」
青少年にツッコむ余裕がないくらいに頭の中がぐちゃぐちゃに散らかっていた。
ひらひらと手を振る秋名に手を上げて返しながら、俺は秋名に言われたことをずっと考えていた。
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