第272話 クリスマスに向けて①
クリスマス。
俺にとっては別に世間の同年代が感じるほどの特別感はなかった。
強いて言うなら梨子に気を遣う一日というくらい。
けど、恋人がいるのなら特別な一日であるべきだよな。特別になるかどうかは彼氏である俺のアプローチ能力にかかっている。
難しいな。
「なに難しい顔してるの?」
気づけば授業が終わっていて、先生は既にいなくなっていて、教室内はざわめきを取り戻していた。
授業中、ずっとクリスマスのことを考えていた俺は目の前に陽菜乃が来たことにも気づかなかった。
「そんなに難しい顔してた?」
「うん。こんな感じで眉間にしわが寄ってた」
陽菜乃はわざとらしく、くっと眉間にしわを寄せる。めちゃくちゃ難しい顔してるなあ。俺そんな顔してたのか。
授業に全然ついて行けてない生徒みたいに思われていたかも。いや、俺なんか視界に入らないから見られてもないか。
「それは凄い顔だな」
「何か悩みごと?」
「悩みごとってほどでもないけど」
「わたしで良ければ相談に乗るよ?」
言いながら、俺の前の空いている席に座る陽菜乃。じいっと見つめられるとぽろりと吐き出しそうになる。
けどよくよく考えたら別に隠すことでもないのか。でも、彼氏としてスマートにエスコートしたいという気持ちもある。
まだ時間はある。
ここはとりあえず予定の確認だけを済ましておこう。
「陽菜乃、クリスマスの予定って「ないよっ!」
食い気味に答えられて俺は思わずたじろいでしまう。なにかを期待するようなきらきらした瞳が向けられる。
「なんっにもないよ」
「強めに言ってきたな」
「ちゃんと空けてるよ」
「そっか」
これはつまり、陽菜乃もそのつもりだったし、楽しみにしてくれているってことなんだよな。
そういうことなら予定は空けておいてもらおうか。
「まだ何をするかとかが決まってるわけじゃないんだけど、空けておいてもらっていいか?」
「もちろん」
にいっと楽しそうに笑ってくれる。
この子にちゃんと楽しかったなって思ってほしい。喜んでもらうために、頑張って計画を練ろう。
*
そもそも去年まで友達とクリスマスを過ごしたことがなかった俺は、もちろん恋人とクリスマスを過ごすという経験を一度もしたことがない。
そもそも恋人がいたことすらない。
そんな俺にとって、陽菜乃と二人で過ごす(予定)のクリスマスは未知なる世界である。
きっと。
頼れば陽菜乃は協力してくれるし、なんなら彼女が全てを解決してしまうだろう。
別にそれがダメだとは思わないけれど、それをいつまでも続けるわけにはいかない。
俺だって成長しなければならない。
だからこそ、このクリスマスという一大イベントを俺の手でプロデュースし成功に導くことはその成長の第一歩に繋がるはずだ。
しかし、力不足なのは重々承知だ。
できない奴にはできないなりの戦い方がある。
「クリスマス?」
必要なのは情報だ。
人に頼ることは悪ではない。あくまでも任せっきりということが良くないというだけ。
ということで、俺は体育の授業で体育館に移動するタイミングで樋渡に尋ねてみた。
「そう。この前話してたろ。それについて考えてるんだよ。彼女と二人で過ごすクリスマスってなにをしたらいいと思う?」
俺が尋ねると樋渡はううんと唸る。
この前とは違ったリアクションに俺は眉をひそめた。
「この前は茶化してたけど、真面目な相談だって言うなら真面目に答えるぞ。僕はそれに正解はないと思うよ。普通に思い浮かぶイメージ通りのことをすればいいんじゃないか? プレゼント交換して、ケーキ食ってみたいな」
「なるほど。でもそれだと普通というか、ベタじゃないか?」
確かにクリスマスにすることと訊かれればそういうものが上がる。
確かに間違いではない。
むしろ、限りなく正解に近い。
でも、面白みがないというか期待を超えないのではないかという不安を拭い切れない。
そんな俺の心境を察してか、樋渡が付け加える。
「あのな、堤さんはああ言ってたけど、普通っていうのは悪じゃないんだよ。模範解答ではあるのかもしれないけれど、それはつまり、それだけ多くの人がそれを行ってきたっていう証明なんだから」
「まあ、そうだけど」
だからこそ、それが普通という認識になったわけだし。
「大事なのは内容だぜ。プレゼント交換一つ取っても、過ごすグループの数だけ種類がある。どれも同じってことはないんだよ」
言って、樋渡はぽんと背中を叩いてきた。
「お前と日向坂のクリスマスは、唯一無二だよ。胸張って自分の思うことをすればいいさ」
それはもうこの質問における模範解答ではないだろうか。樋渡の言うことは尤もだ。
もうちょっと考えてみるか。
とりあえず、プレゼント交換とケーキという案は採用してもいいかもしれない。
「しかしあれだな」
体育の授業が始まり、ペアを組んで柔軟をしているときに樋渡が急にそんなことを言う。
「なんだ?」
ぐぐぐと背中を押された俺は歯を食いしばりながら訊き返す。
「恋人ができると人ってのは変わっていくんだな」
「それは良い意味でか?」
「もちろん」
順番が変わり、今度は俺が樋渡の背中を押す番だ。開脚した樋渡の背中に手を添える。
さっきのお返しに俺は力いっぱい背中を押してやった。
「いろんなところが少しずつ変わっていくんだろうけど、中でも志摩は前向きになったな」
俺の攻撃によるダメージをまるで受けていない。涼しい声色のまま樋渡は言った。
「そうかな」
「ああ。いろんなことに対してそうだったけど、中でも日向坂に対しての姿勢は変わってきてるな。やっぱ彼女ができたってのは自信に繋がるのかね」
別に自分ではそんなつもりはなかった。
ただ、このままの自分ではダメで、もっと陽菜乃に相応しい自分になれるようにと思っているだけ。
それは以前から考えていたことだけど、なにをしていいのかが不明瞭だった。
けど、陽菜乃が彼女になって、それが少しだけ明確になったような気はする。
それがもしかしたら、樋渡にそう思わせたのかも。
「そもそも志摩は僕にアドバイスを求めてくるけど、彼女が出来た今、僕よりも先にいるんだぞ?」
「肩書きがそうなだけで、俺はまだまだ実力不足だよ。だから、これからも暫くは頼らせてもらうからよろしく」
俺がそう言うと、樋渡はおかしそうに笑った。
そこにはどんな感情が乗っているんだろう。
嬉しさとか、喜びとか、そういうものであればいいなと思いながら、俺はもう一度精一杯の力で彼の背中を押した。
なんでこいつ全然痛がらないんだよ。
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