第268.5話 おめでとうと妹は言う
ガチャリ、と部屋のドアが開く。
「お土産買ってきてるぞ」
振り返るとお兄がいた。
ちらと時計を見る。時間は夜の十時を回った頃。晩ご飯はいらないと事前に連絡があったので、遅くなるだろうとは思っていたけど、中々に遅い時間だ。
修学旅行。
楽しかったんだろうな。
「なに買ってきたの? 木刀とかやだよ?」
「リクエスト通りの八ツ橋だよ」
あたしは持っていたシャーペンを置く。
頑張ったし、今日の勉強はこれくらいでいいかな。
「ありがと」
それにしても、とあたしはお兄の顔を見る。
お兄はこの修学旅行で陽菜乃さんに告白するって言ってた。
これまで散々チキって告白できないでいたお兄だけど、あれで追い込まれたらやるときはやるから、きっと告白はしたんだと思う。そして、付き合ったに違いない。
どうしてそう思うかって?
そりゃ、そもそも陽菜乃さんから気持ちは聞いてたし、アプローチも凄かったし。必要だったのは言葉だけだったと分かっていたというのはあるけど。
そもそも。
そんな情報がなくても。
「なにニヤニヤ笑ってるの? キモいんだけど」
ずっと上機嫌でにやついているお兄の顔を見れば一目瞭然だ。
そっか。
付き合ったんだ。
……付き合えたんだ。
「あのさ」
部屋から出て行こうとしたあたしを引き止めるように、お兄が声をかけてきた。
あたしは足を止めて、視線だけをお兄に向ける。
にやけ顔がやっぱりムカつく。
こういうときは真面目な顔に切り替えるものでしょ。
「なに?」
あたしの言い方は、もしかしたら少し冷たかったかもしれない。
どうしても、ちょっとだけ心がもやもやする。
「その、なんだ、陽菜乃と付き合うことになった」
ぐしぐしと頭を掻きながら、お兄は視線を彷徨わせる。口元の笑みだけはまだ引き締めれていない。
きっとそれだけ嬉しくて。
それだけ、幸せなんだな。
「上手くいったんだ?」
「ああ、おかげさまで」
「別にあたしなにもしてないけどね」
いつだってそうだ。
変わってほしくないのに。
こっちのそんな意思なんてお構いなしに、みんながあたしを置いていく。
誰も彼も変わらずにはいられないんだ。
あのお兄でさえ。
「おめでとう」
「おう」
けど、大丈夫だよね。
と、あたしは自分にそう言い聞かせる。
彼女ができても、お兄はお兄だ。
「ていうか、そのにやけ顔そろそろやめて。ほんとにキモい」
「お、おう。悪い」
あたしが言うと、お兄は口元を抑えてバツが悪そうな顔をした。
別にあたしはブラコンというわけではないけれど。決して、そういうのではないけれど。本当にそういうのではないんだけれど。
だからクラスメイトの栞ちゃんのように、お兄ちゃんと結婚するみたいなことを言ったりはしないし、できた彼女を恨めしくなんか思ったりはしない。
でもやっぱりちょっとだけ寂しいから。
さっさと兄離れはしないとね。
「受験勉強はどんな感じなんだ?」
話題を変えようとしたのか、お兄がそんなことを訊いてくる。
お兄なりに、あたしのことを気にかけてくれているんだと思う。彼女ができても、こういうところは変わらないでいてくれるんだ。
だったらやっぱり大丈夫かな。
きっと暇な日はあたしの買い物にだって付き合ってくれる。あたしを置いていったりはしない。
「ぼちぼち」
ちらと勉強机を見ながら、あたしはそう答えた。
それは本当だから。
もともと勉強が苦手だったわけではないし、受ける高校も特別偏差値が高いこともない。
だからといって気を抜いたり油断したりもしない。
この調子で勉強を続ければ、きっと大丈夫だ。
「そうか。ところで、どこ受験するんだっけ?」
「言ってなかったっけ?」
そういえば、話した覚えはないな。
別に訊かれなかったし、わざわざこっちから言うことでもないから話さなかった。
驚くかな。
どうなんだろ。
そんなことを思いながら、あたしは志望校を口にした。
「鳴木高校」
「……はい?」
ふふ。
にやけ顔はどこへやら。
お兄は過去最高レベルの間抜け顔を浮かべてそんなことを言った。
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