第268話 今日の京都の恋模様㊱
電車に揺られて俺たちは京都駅へと向かった。
電車の中でも陽菜乃と秋名は楽しそうにお喋りをしていて、俺はそれを邪魔しないようにぼうっと外を眺めていた。
いつの間にかうとうとしていて、気づけば俺は夢の中へと旅立っていた。
真っ白な景色が少しずつ色づいていく。まるで白紙のキャンパスにお花畑が彩られていくように。
これは夢だ。
夢のような夢。
無限に続くような草原に寝転がる俺は雲一つない快晴の空を見上げる。そこは、まるで世界に自分が一人だけしかいないように思えるくらいに、静寂に包まれていた。
そこでも俺は目を瞑る。
心地よい陽だまりに包まれて、ぼうっと何をするでもない時間を過ごす。
そんな一人きりの時間を一つの声が壊す。
『おーいっ』
それは。
まるで。
独りぼっちで暗闇の中にいた俺の世界を明るく照らした陽だまりのように。そんな退屈で寂しい時間を壊してくれたあの子のように。
『ねえ、パパ。あっちでママがまってるよ?』
陽菜乃がそのまま小さくなったような幼女。ななちゃんくらいの女の子。いや、これもうななちゃんですね。
でも、ななちゃんは俺をパパとは呼ばない。
『いつまで寝てるの? もう帰るよ』
『ごめんごめん。なんか、気持ちよくて』
言われて俺は起き上がる。
まるで陽菜乃が大人になったような、彼女に似た女性。陽菜乃のお母さんのような容姿をした彼女は、紛れもなく日向坂陽菜乃だろう。
『行くか』
『ねえ、パパ。おてて』
『ああ。ほら』
俺は手を差し出す。
その手を、小さな陽菜乃がぎゅっと握る。
『ねえ、パパ。手』
『ああ、うん。はい』
俺はもう片方の手を差し出す。
その手を、大人な陽菜乃がぎゅっと握る。
幸せな時間。
陽だまりに照らされているような、心がぽかぽかする時間だ。
もちろんこれは夢で、現実ではないんだけれど。
告白をして、思いが通じ合って、幸せの中にいたからこんな夢を見たのかもしれない。
願わくば。
こんな未来に向かえるといい。
そんなことを思った。
*
「あれ、志摩のやつ寝ちゃった?」
「みたいだね」
わたしの隣に座る隆之くんは、さっきからうとうとしていたようだけれど、ついに夢の世界へ旅立ってしまったらしい。
「陽菜乃を独占し過ぎたかな」
「あはは。でも、隆之くんも疲れてたんだろうし。寝かせてあげよっか」
「きっと、陽菜乃にどう告白しようか悩み続けてたんだろうね?」
梓は相変わらず、いつもの調子でからかってくる。
わたしと隆之くんが晴れてお付き合いを始めたことにより、彼女の楽しみはさらに増したことだろう。
それが祝福の裏返しだと思って、わたしは受け入れるけれど。わたしはね。
「どっちから告白したの?」
「ん?」
「いや、なんかずっと悩んでたっぽかったじゃん」
そういえば、梓にもそういう話をしたんだっけ。悩み相談っていうよりは軽い雑談の延長線で。
でも梓は勘がいいから、それだけでも察しちゃうんだろうな。
「二人同時に、かな」
「二人同時に?」
わたしが言うと、梓は眉をひそめた。そんなに驚くことだろうか、とも思うけど、あんなぐだぐだになる告白は普通誰も選ばないか。
「うん。まあ、最終的には改めて言い合ったんだけど」
「……よく分からん」
「わからなくてもいいよ。わたしと隆之くんが、ちゃんとわかっているなら」
「付き合い出したから、からかっても惚気で返されるな」
「べ、別にそういうつもりはないよ!?」
それは本当に。
ただ。
これまでずっと、思いがすれ違っていたというか、ほんの少しだけズレていて重なることがなかったから。
だから。
終わりと始まりのあの告白は、重ねてもいいのかなって思ったんだよね。
まあ、結果はああいう感じになったんだけど。
「なんでもいいけどね。二人がそれで納得してるなら」
ガタンゴトンと電車が揺れる。
時期に目的地に到着するだろう。そのときには隆之くんも起こしてあげないと。
「結局さ」
窓の外の景色に視線を向けながら、梓が言葉だけをこちらに投げてくる。わたしはそれを受け止めて、「うん?」と相槌を打った。
「陽菜乃はいつから志摩のことが好きだったわけ? 最初からなの?」
自分でも考えていたことを疑問にされて、わたしはううんと唸ってみせた。
最初から特別ではあったんだと思う。
他の人には感じない、不思議な感覚は彼に対して覚えていたから。
でも、それは好きっていうよりは好きの一つ前みたいな。成長したら好きになる気になるっていう感情だった。
「どうなんだろ。最初から特別ではあったよ。だから、隆之くんとお話したいと思ったわけだし」
でも、まだそれだけ。
わたしのその感情が成長して。
恋という名前をつけたのは。
「たぶん、クリスマス辺りかな。明確な時期はわからないけどね」
それまでは、わたしが隆之くんに声をかけていた。隆之くんはそれを受け入れてくれて、一緒にいる時間が増えていた。
でも、あの頃から。
わたしの中に欲が生まれたような気がする。
隆之くんの気持ちに触れたいという。
隆之くんからのアクションが欲しいなって。
そういう思いが、わたしの中に芽生えた。
「そっか」
梓はぽつりと呟いた。
別に雑談がしたかったわけじゃないんだろうな。だから、それ以上の言葉はなかったんだ。
「降りるの次の駅だし、そろそろ志摩起こそうか」
「そうだね」
「お目覚めはお姫様のキッスって感じ?」
「さすがにそれはちょっと」
「嫌なの?」
「そんなわけないでしょ。けど、せっかくだしもうちょっとロマンチックなシチュエーションがいいというか」
告白があんな感じだったし。
二人の初めてのキスは、できることなら思い出に残る特別なものにしたいなと思う。
「もうそんなことまで考えて。陽菜乃はむっつりなんだね」
「うるさいっ」
これだけ話していても隆之くんは起きなかった。すうすう、と小さな寝息を立てて夢の世界から帰ってくる気配はない。
「でも、気持ちよさそうに寝てるよね。こっちまで眠たくなるくらい。どんな夢見てるんだろ」
「陽菜乃といちゃいちゃしてる夢じゃない? 志摩がこんな顔をするのは、決まって陽菜乃といるときだよ」
そうなの?
それは知らなかった。
梓のいつもの軽口かもしれないけれど。
そうだといいな、と思いながら。
わたしは隆之くんの肩を揺すった。
*
「そろそろからかいに行くか」
「そだね」
帰りの新幹線の中。
あたし、柚木くるみは優作くんと梓と三人で座っていた。
周りを見ると、すやすやと寝息を立てている人がほとんどだ。最終日だからはしゃぎすぎたのかな。
もちろん、その中には最後まで楽しもうとはしゃぎまくりの生徒もいるんだけど。
「今日くらいはそっとしておいてあげたら?」
優作くんと梓はウキウキした顔で立ち上がる。あたしは止めようと一言添えてみたけれど、今の二人はその程度では止まらなさそう。
「今が一番ホットなんだよ。くるみは告白の詳細気にならないの?」
「……ならないことは、ないけど」
京都駅に先に到着したあたしと優作くんが待っていると、三人が帰ってきたときのことを思い出す。
どうして梓がそこにいるの!? となったのはあたしだけではなかったはずだ。
「秋名はホントに見てないのか?」
優作くんが尋ねた。
それはあたしも気になるところだ。
聞くところによると、三人は伏見稲荷大社で合流したらしい。告白している二人を梓が放っておくとは思えなかった。
けど、彼女はかぶりを振る。
「私もさすがに超えちゃいけない一線は弁えてるつもりだよ。それに、見ちゃったら聞く楽しみがなくなるからね」
それもまた、本音なのかなと思う。
正式にお付き合いをすることになったというのは、京都駅で顔を合わせてすぐに言ってくれた。
驚きはしなかった。
そうなるだろうと思っていたから。
そうなることを、願っていたから。
だから、あたしも優作くんも声を揃えて『おめでとう』と言うだけだった。
そこだけを切り取れば良い感じの話で終わるのに。
「さて、どんな感じでラブラブしてるのかね」
優作くんと梓は止まらない。
あたしはせめて二人が暴走しないようにと一応あとをついて行く。
なんて。
ほんとは少しだけ興味があった。
三人で席を立って、隆之くんと陽菜乃ちゃんが座っているであろう席へと向かう。
こそこそと音を立てないように移動しているあたしたちはさぞかし怪しく見えるだろう。
すぐ近くまでやってきたところで、優作くんと梓がこっそりと顔を覗かせて二人の様子を伺った。
「……」
「……」
先に見た二人のリアクションがない。ちらと見えた横顔はなんというか、やれやれみたいな気持ちが現れているようなものだった。
「どうしたの?」
あたしは小声で尋ねた。
すると二人はこちらを見て困ったように笑い、場所を譲ってくれる。何事だろうと、あたしは一歩前に出て二人のように覗き込んだ。
「……」
なるほどね。
これはさすがに邪魔できないよ。
隆之くんと陽菜乃ちゃんは寄り添い合うようにして、すうすうと夢の中に旅立っていた。
ほんとうに幸せそうな顔をして。
「起きたら盛大にからかってやるか」
「なんなら今日の晩ご飯はサイゼだね。オールナイトだね」
「……今日くらいはそっとしておいてあげなよ」
なんてことを言いながら、あたしはスマホを取り出してパシャリと写真を撮った。
「そんなこと言って、くるみもちゃっかりしてるよ」
「まあ、残したくなる気持ちは分かるけどな」
これはあとで見せてあげよう。
二人はこんなに幸せそうな顔をして、まるで恋人みたいに眠っていたんだよって。
……ああ、そっか。
もう、まるでもみたいにもいらないんだよね。
「サイゼリヤで見せてあげよ」
おめでとう。
隆之くん、陽菜乃ちゃん。
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