第265話 今日の京都の恋模様㉝


 あれから二ヶ月、か。


 あたし、柚木くるみはあかね色に染まろうとしている空を見上げながらそんなことを思う。


 あの夏の日の夜に、あたしは好きな人に告白をして、そして振られた。


 もちろんその日は涙が枯れるくらい泣いたし、それから少しの間は落ち込みもしたけれど、不思議と清々しい気持ちではあった。


 後悔はない。


『ねえ、隆之くん。失恋した人間が前を向くって、どういうことなんだろう?』


 あたしは彼に尋ねた。


 あんなことを訊くのは意地悪だとは思ったんだけど、最近そういうことを考えるようになったから。


 いつまでも引きずってはいられない。


 前を向かないとって。


 でも、なら、前を向くってなんなんだろう。


 新しい恋人を作ればいいのかな。

 その時点で前は向けているの?


 いや、それを言うならそれ以前から前は向いてない?


 分からなくなって、尋ねたあたしに隆之くんはこう答えた。


『どうなんだろう』


 と。


 濁すように曖昧に。

 誤魔化すように笑いながら。


 けど、彼はこうも言った。


『そういうのは人それぞれに基準みたいなのがあるんじゃないか。いつか、振り返ったときにあの時がそうだったのかって気づいたり』


 相変わらず曖昧な言葉だったけど。

 素敵だなとも思った。


「くるみ?」


 あたしは優作くんと二人で京都を巡り、少し早いけど集合場所へ向かうことにして、駅に向かっていた。


「ん?」


「いや、なんかぼーっとしてたから」


「ごめんね。ちょっと考え事というか、悩み事というか」


 あはは、とあたしは笑ってみる。

 優作くんは鋭いからなあ。

 これくらいじゃ誤魔化されてくれないかも。


「くるみはさ」


 歩く道に人はいない。

 ここは別に有名な観光スポットってわけじゃないからね。ただの駅までの道だから、そもそも混むはずがない。


「ん?」


「志摩のこと、どう思ってるんだ?」


「急にどうしたの?」


 ほんとうにそう思う。

 さっきまでたわいない話をしていたのに。回転寿司で一番好きなネタはなにかって話をしていたのに。


 かと思えば、急に真面目な感じの話題だ。


「どうなのかなって。あいつらも、ほら、今日でいろいろ変わるかもしれないだろ? ていうか、変わるじゃん」


 優作くんだって、隆之くんからいろいろと聞いてるだろう。

 あたしだってそうだ。

 だから、二人の関係が今日という日をきっかけに変わるのはほぼ確実だろう。どちらもがヘタれなければ。


 必要なのは言葉だけだったから。

 気持ちはずっと一緒だったのに。

 臆病になっていただけだから。


「んー、今は普通にお友達だと思ってるよ」


 少し悩んで、あたしはそう答えた。

 

「恋愛感情は?」


「あったらマズくない?」


 それだとあたし、超ヤバいじゃん。いろんな意味で。


「確かにな」


 けれど。

 ほんとうにそういうのは今はないんだよね。これまで通り、普通に話して普通に笑って、ただそれだけ。


 告白をしたあの日に、あたしのは置いてきたから。


「あいつらを見てるとさ。時々、羨ましいって思うようになったんだ」


 あいつらっていうのは、隆之くんや陽菜乃ちゃんのことを言ってるのかな。


 優作くんは暗くなり始めた空を見上げる。きっと星が広がっているんだろうけど、明るくてまだ見えなかった。


「別に今すぐじゃなくてもいいんだ。むしろ、僕としてもまだハッキリはしてないし、まだまだ考えたいことはある。だからさ、少しずつでいいから前を向いてみないか?」


 前を向く、か。


 具体的なことは言ってないけど。

 優作くんがなにを言いたいのかは何となく分かった。


 二人でいることも多くなって、けどそういうことはあんまり考えていなかったから、優作くんの言葉に、あたしは素直に驚いた。


 もちろん。


 驚いただけで、嫌悪感とかそういうのは一切ない。


「優作くんはなんていうか、やっぱり隆之くんとは違うよね」


 当たり前のことだけど、そんなことを思った。


「そりゃそうだろ。僕はあいつみたいにはなれないよ。その代わり、志摩も僕にはなれないんだ」


「そうだね」


 きっとこれから。


 いろんなことが変わっていく。


 願おうと。

 願わずとも。


 あるいは、それが大人になるってことなのかもしれないな。


「今度どこかに遊びに行こっか?」


「ああ」

 

 たぶん、変わることがじゃなくて。

 変わったことを受け入れることが。


 大人になるっていうことで。

 

 それを何度も何度も繰り返しながら、人は成長するんじゃないかな。


 だからあたしも、前を向こうと思う。


「隆之くんたち、今頃どうしてるかな?」


 いつか振り返ったときに、今日という日を特別に思えるように。


「さあな。あいつはやるときはやるやつだから、ちゃんと気持ちを伝えてるんじゃないか?」


「それは陽菜乃ちゃんもだよ。そうだとしたら、二人は晴れて恋人同士なんだね」


 ねえ、隆之くん。

 ねえ、陽菜乃ちゃん。


 あたしは二人のおかげで、少しだけ大人になれたような気がするよ。


 だから。


 姿も見えない、声も届かない、こんなところから願っておくね。


 二人の思いが、ちゃんと届きますようにって。



 *



 ついに言った。

 もう、あとには引けない。


 いや、この言葉を口にした時点でもう引くつもりはないんだけど。


 けれど。


 陽菜乃の方も言いたいことがあるというのは、どういうことだろう。

 彼女の表情から見ても、ただの雑談とは思えない。まるで一世一代の決断をしたような顔だ。俺を見る瞳の中には確かな意志が宿っている。


「えっと」


 俺は言葉を詰まらせた。


 もしかしたら、と思う。

 俺の好きな人が、俺のことを好きでいてくれているんじゃないかって。


 勘違いをしたわけじゃなかった。

 でも、そうなんじゃないかと思うことは何度もあった。けれど、俺が臆病だからそのときはそんなはずないと自分の答えに蓋をして、考えないようにしていた。


「あのね、隆之くん」


「ちょっと待って」


 やっぱり。


 


 だとしたら。


 なおのこと、彼女に言わせちゃいけない。


 これは俺が言うべきことだ。


「俺から話したいんだけど」


 ごくり、と喉が鳴る。

 それが自分のものだと気づくのに、少しだけ時間がかかった。


 唇が乾く。

 手が震える。


 けど、もう怖くない。


 だって。


 俺たちの思いはきっと――。


「俺は……」

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