第253話 今日の京都の恋模様㉑


「あなたの学校の文化祭に行って、散々な目にあったわ」


 榎坂さんは、まるで五年前でも振り返っているような懐かしむ顔をしていた。


 わたし、日向坂陽菜乃は黙って彼女の言葉に耳を傾ける。


「けど、それも因果応報。私がしてきたことが原因だから、文句も言えない」


 気づけば、人の数は少しだけマシになっていた。これならば押し流されることはないし、ゆっくり歩くこともできる。


「志摩に言われたからっていうのは認めたくないし、そうじゃないって言い聞かせてるけど、ちょっとだけ自分と向き合っただけよ」


 隆之くんは榎坂さんに思いを伝えようとしていた。

 それはきっと、まだ見ぬ未来の犠牲者を減らせればという気持ちだったのかもしれないけれど、やっぱり榎坂さんのことを思う気持ちも少なからずあったんだと思う。


 辛い思いをさせられたけど。

 それでも彼は人を嫌いにはなれないんだ。


「そろそろ、高校生らしく恋愛の一つでもしようかなって思って」


 にいっと笑った榎坂さんはこれまでのどの表情よりも可愛く見えた。清々しくて眩しくて、もしかしたらこれがほんとの彼女なのかも。


 ストレスだったり。

 友達の影響だったり。

 あるいは、ただの思いつきや気まぐれだったり。


 きっかけはわからないけど、なにかに取り憑かれていただけなのかもしれないな。


 一つだけわかるのは。


 あのときの隆之くんの言葉は、榎坂さんに届いていたっていうこと。


「私も訊いていいかしら?」


「もちろん」


 わたしだけ訊いておいて、自分は質問に答えませんとは言えない。助けてもらった恩もあるし、できるだけのことは答えようと思う。


 なんでもこい、という気持ちではいたんだけど。



「あなたは志摩の彼女なの?」



 榎坂さんのストレートな質問に思わず言葉を詰まらせてしまった。


「……え、ええっと」


 わたしはこほんと咳払いして仕切り直しを図る。落ち着けわたし。こんなのただの恋バナだ。


「そ、そう見えたのかなー?」


「そのリアクションでだいたい察したわ」


 呆れたような半眼を向けられ、驚くくらいに冷えた言葉だった。

 え、わたしどんなリアクションしたの?


「私には無謀な告白してきたのに、成功間違いなしな相手にはビビってまだ告白もできてないのね」


 やれやれ、とやっぱり呆れたように首を振られた。

 これはわたしにというよりは隆之くんにだよね。それに関してはわたしも同感です。


「あなた、志摩のどういうところが好きなの?」


 それは本当に疑問に思っているようで、そう言った彼女の表情は至って真面目なものだった。


 だから、わたしも真剣に答える。


「いろいろあるよ。どれから言おうか悩むくらいに。だから、一つだけ」


 わたしが榎坂さんの方を見ると、彼女と目が合った。瞳に映るわたしの顔はちょっとだけ笑っているように見えた。


「いろんなことがあった榎坂さんを、それでも嫌いになれないところかな」


 言うと、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。けど、すぐにおかしそうにふふっと笑った。


「そうね。ホントにお人好し」


 優しいって言ってあげて。

 まあ、あながち間違いでもないかもしれないけれど。


「私が中学のとき、志摩と絡んだ少しの間……確かにあいつは終始だったわ」


 それはわたしの知らない隆之くんだ。

 どれだけ願っても、もう見ることのできない彼の姿。


「あのときの告白、オッケーしてれば私の未来も変わってたのかな」


「かもしれないけど、それはちょっと困るかも」


 どうして? という顔を向けてくる。そんなことわかってるくせに、と思いながらも、わたしはちゃんと言葉にした。


「じゃないと、隆之くんがわたしのものになってくれないから」


 自分で言ってて、なに言ってるんだって思って、すると途端に顔が熱くなった。


 ぱたぱたと手で扇いでいると、榎坂さんはぷぷっと吹き出す。


 けれど。

 

「あなたみたいな可愛い女の子にここまで好かれて、幸せ者ね。志摩のやつ」


 そう言った彼女の笑みはどこか自嘲気味なように見えた。


「頑張ってね。陰ながら……でもないけど、あなたの知らないどこかで密かに、応援してるわ」


「ありがとう。わたしも……えっと、名前なんだっけ?」


「榎坂よ?」


 何言ってるの? って言う顔を向けられる。いやいやそうじゃなくて、とわたしも似たような顔を向けてあげた。


「下の名前」


「ああ、絵梨花よ。榎坂絵梨花」


 絵梨花、か。

 可愛い名前だな。


「わたしも、絵梨花ちゃんに格好良い彼氏ができるように、応援しとくね」


 わたしを呼ぶ声がする。

 絵梨花ちゃんとの時間の終わりが近づいているのが分かった。


「志摩より良い男を捕まえるわ」


「それは無理だよ」


 即答したわたしに絵梨花ちゃんはあんぐりと口を開けて驚いた。面白い顔もするんだな。


「隆之くんより良い男はいないから」


「……あなたには負けるわね」



 *



 樋渡から聞いた集合場所へ到着すると、すでに樋渡と柚木が待っていた。

 二人と合流してしばらくすると、少し離れたところに陽菜乃の姿を見つける。


 それと、榎坂の姿も。


「彼女、変わったか?」


 遠くから歩いてくる榎坂を見ながら樋渡が言う。

 どうなんだろう、と俺は言葉を詰まらせた。


「以前のあいつなら、こんなことはしなかったと思うから、変わったのかもな」


 俺が言うと、樋渡は「そっか」と小さな声を漏らした。


 少し離れた場所で陽菜乃と榎坂が手を振り合っている。どうやら榎坂はここまで来ないらしい。


「ごめん、俺ちょっと」


「おう。行ってこい」


 三人に断りを入れて、俺は二人の方へと走り出す。榎坂と別れてこちらに歩いてくる陽菜乃と目が合った。


「悪い、陽菜乃。ちょっと榎坂と話を」


「うん。行ってらっしゃい」


 樋渡も、陽菜乃も。

 なにも言わずに送り出してくれるな。なんなのあいつら良い奴すぎない? いや、実際に良い奴なんだけど。むしろ良すぎる奴なんだけど。


 タッタッタッ、と駆け足で追うと歩いている榎坂に追いつくのにはさして時間はかからなかった。


「榎坂!」


 俺が名前を呼ぶと、榎坂の足がぴたりと止まる。そして、こちらを振り返った。


「ここは樋渡くんが追いかけてきて、私との仲直りをするっていう展開じゃないの? なんで志摩なのよ?」


「悪かったな。俺で」


 言っていることは相変わらず毒があるけれど、以前に比べると棘がないように思う。


 なんというか、雰囲気が柔らかくなってる?


「樋渡は別に怒ってないと思うぞ」


「うるさいわね。そんなのどっちでもいいわよ。ていうか、なにか用?」


 そう言われると考えてしまう。

 別になにか用件があって榎坂を追いかけてきたわけではない。なんか、反射的に走り出してしまっただけだ。


「いや、そういうわけじゃ。まあ、あの、陽菜乃を助けてくれたお礼とか?」


「それは彼女からしつこいくらいに受け取ったわ。志摩から貰うものなんて何もない」


「さいですか」


 まあ、何でお前が言うんだよって感じだよな。榎坂からしたら。普通に考えたらそうだもん。俺はまだ陽菜乃の友達のうちの一人でしかない。


「良い子ね、彼女」


 みんなと合流して秋名に抱きつく陽菜乃を見ながら、榎坂がぽつりとひとり言のように呟いた。


「ああ、そうだな」


「なんで告白しないわけ?」


 ブスリと遠慮なく刀身をぶっ刺してくる質問に俺は言葉を失う。


「いや、それはほら、勇気とかいろいろとね」


「完全脈ナシの私には無謀な告白してきたのに?」


 くすり、とからかうように榎坂は笑う。俺はお返しと言わんばかりに半眼を向けることにした。


「お前がそれを言うか」


「私だから言うんだけど」


 それもそうだ。

 とはならないぞ。

 こうして向き合って話していると、本当に彼女に変化があったことが分かる。それも良い方向にだ。


 なにせ、この俺とこうして話してくれているんだから。


「意気地のない男は愛想尽かされるわよ?」


「それは分かってる。この修学旅行でちゃんと伝えるつもりだ」


 するりと口から出てきたその言葉に、榎坂は少し驚いてから「へえ」と漏らした。


「そう。上手くいくといいわね……って、なにその顔」


「いや、お前がそんなこと言うとは思わなくて」


 これは本音だ。

 以前のような棘々しい雰囲気はなくて、確実に何かが変わっているのは確かだけれど、だからといって冗談でも背中を押すようなことを言ってくるとは思ってなかった。


「ホント腹立つ。もう行くわ」


「あ、榎坂」


 行こうとする榎坂の背中に俺はもう一度呼びかける。なんというか、何を言えばいいのか分からないけど、なにか言わないといけないような気がして。


 咄嗟に呼び止めたから、何も思い浮かばない。


「また今度、樋渡と三人で飯とか行くか?」


 なんでこんなことを。

 こんなことしか言えないんだろ、と自分の発想力の乏しさを恨んでしまう。


「志摩とご飯? 冗談でしょ。そんなことしたら中学の友達に笑われるわ」


「……ですよね」


 言ってみただけで、俺だってそんな光景は想像できなかったし。なに話せばいいのかも分からないしな。


「けど、まあ、ありがと」


 今度こそ榎坂は行ってしまう。

 くるりと再び踵を返し、俺に背中を向ける。

 これで良かったのかな、と何度も自問自答を繰り返す。


 そんな俺に彼女は「……それと」と付け加え、ちらと視線だけをこちらに向けた。


 そして。

 

「ごめんなさい」


 か細く、風に吹かれれば飛んで消えていきそうなくらい小さな声が届いた。


 今、あいつ、なんて?


「榎坂?」


 けれど。

 それから彼女は振り返ることはなく。


 結局、最後の言葉の真意を確かめることはできなかった。


 まあ。


 確かめるのも、きっと野暮なんだろうけどさ。

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