第252話 今日の京都の恋模様⑳


 あれ、この人。


 どこかで見たことがあるような、とわたしは自分の記憶の中を探っていく。


 こちらへ向かって歩くたび、ブラウンのロングヘアがゆらゆらと揺れる。

 少しツリ目がちな瞳から長いまつ毛が伸びている。

 スラッとしたボディラインは女の子なら誰もが憧れるようなものだ。


「お久しぶり。っていうほどでもないか」


 表情は相変わらず無愛想というか、つまんなそう。


 そうだ、思い出した。


「えっと、たしか、榎坂……さん?」


 文化祭でいろいろとあった、隆之くんの初恋の相手だ。

 以前と比べると、毛先がくりんと巻かれている。かわいいな、あれ。


「覚えいてくれて光栄ね」


 わたしの前までやってきて、ようやく彼女は微笑んでくれた。なんていうか、記憶の中にある彼女とはずいぶんと印象が変わったような気がする。


 どう言えばいいんだろう。


 何となく雰囲気が柔らかくなった?


「どうしてあなたが?」


「こっちのセリフ。ここ京都よ?」


「わたしは修学旅行でこっちにきてて」


「私もそうよ。そしたら、たまたま知ってる顔の人が一人で不安そうにきょろきょろしてたからどうしたのかと思って」


 ということはつまり、彼女は一度顔を合わせただけのわたしを見かけて話しかけてくれたってこと?


 すごく良い人だ。


「あの、実は……」


 わたしはこれまでのことを話した。

 修学旅行でこっちに来ていたこと。

 人混みに流されてみんなとはぐれたこと。

 連絡を取ろうとしたらスマホの充電が切れたこと。

 そして、今なお途方に暮れていたこと。


 ぜんぶを聞き終えた榎坂さんは「ふぅん」と小さく声を漏らす。


「それは大変だったわね」


「榎坂さん、隆之くんの連絡先とか知らない?」


「残念ながら」


 そりゃそうだよね。

 一応、隆之くんと榎坂さんの間で起こったことは聞いている。

 偶然の巡り合わせで再会しただけであって、きっと隆之くんも会いたくはなかっただろうから連絡先なんて知らないか。


「あ、樋渡くんのは?」


「……遠慮なく辛い記憶思い出させるわね」


 じとり、と榎坂さんがわたしを睨んできた。

 そうだった。

 榎坂さんは思いっきり樋渡くんに振られたんだった。


「ご、ごめんなさい」


「まあいいけど。もちろん彼の連絡先も知らないわ。いつも沢渡を経由してたから」


 そうだ。

 沢渡くんなら樋渡くんの連絡先を知っているはず。彼を経由すれば樋渡くんと連絡を取れるのでは?


「あの」


「分かってるわよ。沢渡に訊けばって言いたいんでしょ。から、彼とはあまり話をしていないから、スルーされるかもね」


 そんなことを言いながら、榎坂さんはシュッシュとスマホを触り、操作を終えて耳に当てる。


 プルルルル。

 プルルルル。


 コールが続く。

 出て下さい、とわたしは心の中で祈り続ける。これが最後の希望だと思うから。


 けれど。


「……出ないわ。まあ、私がしたことを考えれば妥当な対応だけれど。ごめんなさいね、力になれなくて」


 がくり、と肩を落とすのは心の中だけにして、わたしはにこりと無理矢理に笑顔を作ってみせた。


 だって榎坂さんはなにも悪くない。


「いや、全然だよ。こうして声をかけてくれただけでも、本当に助かったくらい」


 すごく心細かったから。

 けれど、彼女が話しかけてくれたから少しだけそれがなくなった。もうちょっと頑張ろうって思える。


「あら」


 そのとき。

 榎坂さんがスマホの画面を見て目を見開く。そして、それをタッチして耳に当てた。


「もしもし?」


 どうやら着信があったようだ。

 さっきの流れからして、沢渡くんであってほしいところだ。


「ごめんね、急に。実は――」


 榎坂さんはいろいろと説明を始めた。会話の感じからして相手は恐らく沢渡くんだ。


 良かった。

 助かった。

 と、わたしは少し早いけれど胸を撫で下ろした。


「そう。ええ。ありがと。それじゃあ」


 そう言って、榎坂さんは通話を切った。そして、ピコンと音を鳴らしたスマホを続けて操作する。


「沢渡から樋渡くんの連絡先を教えてもらったわ。問題は彼が私からの着信に応えてくれるかどうかだけど」


「それはだいじょうぶだよ」


 少し眉をひそめながら言う榎坂さんに即答すると、彼女は驚いた顔をこちらに向けた。


 そんな顔をしなくてもいいのに。


「樋渡くんはそんな人じゃないから」


「……だけど」


「してみればわかるよ。きっと迷いなく出てくれるよ?」


 わたしが言うと、榎坂さんは訝しむようにこちらを見て、スマホに視線を戻す。


 そして、スマホに耳を当てた。


「あ、えっと」


 それから、榎坂さんが声を出すまで五秒もなかった。だから言ったでしょ、と笑ってみせると榎坂さんは恥ずかしそうに視線を逸らした。


「突然ごめんなさい。あなたの知り合いの……なんだったかしら?」


「あ、日向坂です」


 そういえば名乗ってなかった。

 そんなわたしの相手をよくしてくれていたな、と今さらながらに思う。


「日向坂さんと一緒にいるの。それで――」


 それから榎坂さんは樋渡くんと話を進めて、合流地点を決めてくれた。あとはそこに行くだけなのでそこまで難しいことはない。


「あの、ありがとう。ほんとに助かったよ」


「一応、そこまでは一緒に行くわ。またなにかあったら困るでしょ」


「いや、でも」


 さすがにそれは悪いというか。

 ここまでしてくれただけでも本当に助かったのに。そりゃ、一緒にいてくれたら嬉しいのはたしかだけど。


「気にしないでいいわ。行きましょ」


「あ、うん……」


 歩き出した榎坂さんに三歩で追いつき、そして彼女の顔を覗き見る。


「なによ?」


「いや、ありがとうって言おうと思って」


「思ってるなら言いなさい」


 やれやれ、と肩をすくめた彼女は、やっぱりわたしの知っている彼女じゃないみたいだ。


「一つだけ、訊いてもいい?」


 わたしが様子を探るように言うと、榎坂さんはちらと一瞬だけこちらを見て「どうぞ?」と言ってくれる。


「こんなことを言うのは失礼かもしれないんだけど、なんかずいぶん印象が変わったような気がするの」


 わたしが言うと、榎坂さんはくすりと笑った。



 *



「……」


「どったの?」


 樋渡からの電話を受けた俺はスマホをポケットに戻す。

 よほど難しい顔をしていたのか、秋名が少しだけ心配そうに尋ねてきた。


「いや、陽菜乃と合流できるみたいで」


 短く答えたところ、秋名は「へえ」と小さく言う。


「その割には嬉しそうじゃないね。まるで奥歯になにかが詰まってるような、腑に落ちてない顔してる」


「まあ、そうだな」


 陽菜乃と合流できるのは嬉しい。

 けど。

 どうして。


 榎坂が陽菜乃といるんだ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る