第233話 今日の京都の恋模様①
初めて彼を見たとき、良い人だなって感じた。
他の男の人には感じない、ふわふわしたものを感じた。
もっと話してみたい、もっと彼のことを知りたいと思った。
けれど。
まだそれだけだった。
その気持ちに名前をつけるのは、少し早いような気がして、というよりは決めつけるのがちょっと怖くて、そういうふうには考えないことにした。
それでも、あることをきっかけに少しずつ話すようになって、少しずつ彼のことを知っていって、少しずつその時間が大切に思えるようになった。
気づけば彼は特別だった。
だったら。
わたしは。
いつ、この気持ちに名前をつけたんだろう。
*
別に一人が嫌いというわけではなかったけれど、それはもしかしたら、ただ一人であることを受け入れるための言い訳だったのかもしれない。
教室のど真ん中で賑やかに笑い合う男子を見ながら、ああやって周りに同調するように無理をするのはしんどいだろうと思っていたし。
別に行きたくもないのに誘われたから一緒にトイレに向かう女子を見ながら、誰かに合わせながら過ごすのは窮屈で面倒だろうと思っていた。
一人のほうが気楽でいいって。
一人のほうが気軽でいいって。
そう思うようにしていた。
そう思い込むようにしていた。
そうやって自分に言い聞かせれば言い聞かせるほどに、その立場から抜け出すことが難しくなった。
だって、友達を作るという行為は、俺が自分の現状を正当化するために悪とした行為そのものだから。
けど本当は。
友達がほしかった。
ひとりでいたくなかった。
一人でいるのはいいけれど。
独りでいるのは嫌だった。
そう思ったときには、俺はもう友達との接し方を忘れてしまっていた。
『……志摩くん?』
真っ暗な世界に生きていた俺の道を照らしてくれた人がいた。
まるで太陽のような眩しい笑顔の彼女が、俺の世界を変えてくれた。
彼女の隣にいると、ぽかぽかと暖かい気分になる。
まるで陽だまりの中で居眠りをしているような、心地良さを感じる。
日向坂陽菜乃。
俺の好きな人。
俺が好きになった人。
思いを告げるのは勇気がいるけれど。
気持ちを伝えるのは難しいかもしれないけれど。
それでも俺は、気持ちを言葉にしてきみに届けたいと思う。
それが俺がこれからもずっと、きみの隣にいるために今するべきことだって分かったから。
*
目覚ましが鳴るよりも早く目が覚めるのは珍しい。
そんなことを思いながら、俺はゆっくりと体を起こす。緊張、してるのだろうか。
あるいは、子供が遠足前日に眠れなくなるやつの類似現象だろうか。
昨日、わりと早めに寝たから十分な睡眠時間は確保できたと思う。二度寝するのもどうかと思い、俺はベッドから降りて着替えることにした。
リビングに行くと、キッチンに母さんが立っていた。
「おはよ」
「おはよう。早いわね」
「なんか目が覚めたから」
「そ。朝ご飯もうすぐできるから」
俺や梨子より早い時間に仕事に行くことが多い両親だけど、それでもここまで早くはないだろう。
現に父さんはまだ眠っているようだ。
早めに出発する俺のためにわざわざ起きてくれたようだ。
「ほい」
運ばれてきたお皿にはフレンチトーストに目玉焼きベーコン、それから色味を気にしてかプチトマトときゅうりと野菜が盛り付けられている。
いつもより豪華なモーニングプレートである。
「お土産なにがいい?」
「なんでもいいわよ。強いて言うならあんたの楽しかったっていう笑顔かな」
「……」
「冗談よ」
「反応に困る冗談言うなよ」
ちょっとしんみりしてしまったじゃないか。
自分用のコーヒーを入れた母さんは俺の前のイスに座る。
「まあ、冗談抜きで言うならお土産なんて気にしないでいいから楽しんできなさい」
「いいのか?」
「もちろん。けど、梨子にはちゃんと買ってきてあげなよ。昨日言われてたでしょ、八ツ橋だっけ」
「ああ。それは探しとく」
たわいない話をしながら朝食を済ませた俺は準備をして家を出ることにした。
予定より少し早いけど、遅くなるよりはよっぽどいいだろうし、こういうときは早めに行動しておくに越したことはない。
いつもより多い荷物を持つ。
普通サイズのショルダーバッグに加えて大きめのリュックを背負う。
服装は制服だ。
そこがなんというか、学校行事なんだなって気分にさせられる。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「行ってきます」
学校の日ならば自転車に跨るところ、今日は駅まで歩いて向かう。時間に余裕があるので、特に急いだりはしない。むしろ、いつもよりもゆっくりと歩く。それに理由はない。
駅に到着し、改札を抜けてホームへ行くとタイミングよく電車がやってきた。
別に合わせたつもりはなかったので、これはツイているなと少しだけ気分が良くなる。
「あれ、隆之くん?」
車内に人はほとんどいない。どこに座ろうかと見渡すと、見知った顔を見つけた。
あちらも俺に気づいて声をかけてくれた。
「柚木か。おはよう」
柚木も普段電車は使わない。
自転車を使うくらいの距離だけど徒歩通学だ。ちょうどいい運動だといつも言うけど実際は自転車に乗れないだけだったことを最近知った。
「なんか変な光景だね。二人で電車に乗ってるのって」
「確かにな」
あれは夏休みに一緒に花火を見に行ったときだったか。
……花火、か。
「なに考えてる?」
「いや、別に」
「こうして二人で電車に乗るのは夏休みの花火のとき以来かなって考えてる顔してたけど」
「俺そんなに分かりやすいかな!?」
言うと、ケタケタと柚木は楽しそうに笑った。朝は朝でもまだまだ早朝だというのに、彼女は変わらず元気だ。
「確かにあのとき以来だけど、あのときと今とでは全然違うよ」
俺はぽんぽんと柚木が叩く彼女の隣に腰を下ろす。それを見て満足げににこりと笑みを浮かべてから視線を誰もいない前に向ける。
「あの日はもっと人がいたし」
確かに、と思う。
そもそも言うと時間帯が違うんだけど、あの日は花火大会に向かおうとする人もいてとにかく人が多かった。
けど今はすっからかんだ。
俺たち以外にはうとうとしているスーツの人が二人ほど、ぽつぽつと座っているだけ。
「それに、あたしは隆之くんに振られちゃってるし」
「……いや、それは」
いつものようにツッコミを入れようとした俺の口は、彼女の目を見て止まってしまった。
いつものからかう感じじゃなくて、どこまでも真剣に揺れる眼差しに言葉を詰まらせてしまう。
「ねえ、隆之くん。失恋した人間が前を向くって、どういうことなんだろう?」
素朴な疑問をぶつけるように、柚木はそんなことを言った。
俺はそれにすぐに答えを出すことはできなかった。
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