第232話 修学旅行前夜
「明日、か」
カレンダーを眺める。
十一月十二日。
赤く丸が描かれていて、そこに『隆之修学旅行』と書かれている。
明日から修学旅行だ。
「なにしてんの?」
リビングでお茶を飲みながらカレンダーを眺めていた俺に声をかけてきたのは母さんだった。
「いや、別に」
「明日の準備は終わってるの?」
「ああ、確認もしたし大丈夫だと思う」
「そ。朝早いんだし今日は早く寝なさいよ。遅刻したらシャレにならないんだから」
「ああ」
ごく、とお茶を飲み干し、コップを洗いに行く。じゃぶじゃぶとコップを洗っていると、母さんの声が聞こえてくる。
「最近は学校も楽しそうね」
「……どういう意味?」
「まんまの意味よ。去年はただ学校に行ってるだけって感じで心配してたけど、最近はちゃんと楽しいんだなって分かるから」
そう口にする母さんの声色は、まるで子供をあやすような優しいものだった。
「そんなの分かるもんかな」
「あんたは分かりやすいからね」
あはは、と笑いながら母さんは言う。
「俺って分かりやすい?」
コップを洗い終えてリビングに戻る。どこかに腰を下ろすとかはせずに、立ちながらそれだけを訊く。
「あんたのことを良く見てる人なら、分かりやすいって思うんじゃない? ポーカーフェイスに見えて、ちゃんと表情にも声にも、なんなら行動にだって出るからね」
「……そうなんだ」
自覚はなかった。
けど、母さんが言うのならきっとそうなんだろうな。母親というのは偉大で俺たちが知らないことだって当たり前のように知っている。
俺のことを、俺よりも知っていたりする。
「学校を楽しいって思えるのは、そう思わせてくれる友達がいるから。そんな友達たちと一緒に行けて良かったわね」
「ああ」
それは本当に思う。
きっと楽しい思い出になるだろう。
そう思いながら部屋に戻る。
「なにしてんだ」
部屋に戻ると梨子がいた。
こいつは相変わらず勝手に人の部屋に入りやがって。それを俺がしたらめちゃくちゃ怒るくせに。
「お兄こそ、これどういうつもり?」
「ちょ、お前バカ! 見るな!」
机の上に置いていた紙を手に取り、ひらひらと俺に見せてくる。俺は慌ててそれを取り戻そうと梨子に近づいた。
「もう手遅れだよ。全部見た! 隈なく見尽くした!」
「兄の弱みを握ってどうするつもりだ!」
言うと、梨子がはあ? と眉をひそめる。
「別に弱みを握ったつもりはないよ。それと、ばかなお兄にアドバイスしてあげる」
「アドバイス?」
これまで梨子の発言に助けられたことはある。今回も聞くだけ聞いてみようか、と俺は梨子に続きを促す。
「これ、どういうこと?」
改めて話は紙に戻る。
そこにはつらつらと文章が書き綴られていた。というか、俺が長々と書き綴った。
「いや、その、だからあれだよ、告白的なことをだな」
「そんなの見たら分かるよ」
俺はこの修学旅行で陽菜乃に告白をする。
そのために告白の言葉を考えていたのだ。
ああでもないこうでもないといろいろと言葉を書いていき、文章を作り上げていったものが梨子の持つそれだ。
「一応確認だけど、これを読み上げるつもり?」
びっしり書かれた文章を指差しながら、梨子が眉をひそめる。
「ばか言え。紙を見ながらの告白なんて恥ずかしいだろ。ちゃんと暗記する」
「そうじゃない!」
ぴしゃりと一蹴される。
俺は想定外の否定に驚いてしまった。
「なんで告白するシーンを想像したのに、相手のことを考えないのさ」
「どういうこと?」
「こんな長々と話し続けられて、その間陽菜乃さんはどういう顔をしてればいいのさ」
「そりゃ、なんかいい感じに」
「長いよ。もっと短く、端的に!」
「でもそれだと気持ちが伝わらないかもしれないだろ?」
「お兄がそう思ってることはひしひしと伝わってきたよ。グダグダダラダラ書いてるもん。こんなの聞いてたから最後には最初に言ってたことなんか忘れちゃってるよ」
「……そうかな」
「そうだよ」
言われてみると確かに梨子の言うことは間違っていないのかもしれない。そこまで考えてはいなかった。
事実そうではなかったとしても、十分にその可能性はある。盲点だった。自分に酔っていたまである。
「告白なんて一言好きって伝えればそれでいいんだよ」
「でも、それで俺の気持ちが伝わるかどうか」
「伝わるよ。本気の気持ちは一言だってちゃんと届く。その一言にこれまでの全部がこもってるんだもん」
言葉にしないと伝わらないと思ってた。
それは別に間違いではないと思う。全部を察することなんて無理だから、ちゃんと言葉にしないと分かってもらえない。
けど。
伝わることもあるのかな。
もしかしたら、梨子の言う通りたった一言で気持ちを伝えるためにこれまでがあったのかもしれない。
「ま、最後に決めるのはお兄だけどね。振られてそれを私のせいにされても困るし」
紙をパンと机に置いて、梨子は部屋から出ていこうとする。
俺の隣を横切って、ドアノブに手をかけたところで梨子の動きがピタリと止まった。
「……告白、するんだね?」
控えめな、まるで独り言のような声が梨子の口から漏れ出た。
「まあ、そだな」
俺は短く返す。
いろいろと話を聞いてもらったりしたし、ここはちゃんと言っておくべきだろうと思ったのだ。
そう、と短く言った梨子はガチャリとドアノブを回す。
「ちゃんと伝わるといいね」
最後にそれだけを言い残して、梨子は部屋を出て行った。
「……そうだな」
一人、誰に言うでもなく呟く。
このままだといろいろと余計なことを考えてしまいそうだった。告白のことを考えれば考えるほど良くない未来を想像してしまう。
明日寝坊するわけにもいかないし。
さっさと寝よう。
「……はあ」
修学旅行、か。
楽しい思い出になるといいな。
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