第223話 悩めよ少年少女①
わたし、日向坂陽菜乃は決意した。
「どうしたの、朝から難しい顔して」
「難しい顔してた?」
そんなつもりはなかったけれど、そんなにひどい顔だったのだろうか、とわたしは自分の顔をペタペタと触りながら言う。
すると、梓はにひっといつものように笑いながらぐぐぐと眉間にシワを寄せる。
「こんな顔してたよ」
「そこまでじゃないでしょ!?」
人に見せれるような顔じゃなかったよ。
「それで、どうしたの?」
改めてという感じで梓が訊いてくる。彼女はわたしの前の空いている席に腰を下ろした。
「修学旅行の一日目はクラスで動くでしょ?」
「そだね」
「二日目は決めた班で動くでしょ?」
「うん。そだね」
「三日目は、自由行動でしょ?」
「そうだね」
梓はわたしの言葉を邪魔しないように短く相槌を打ってくれる。どきどきする心臓を抑えながら、わたしは乾いた唇を湿らせる。
「そのね、三日目の自由行動をね……」
「志摩と回りたいわけだ」
「なんで先に言うの!?」
「陽菜乃の言いたいことはだいたい分かるよ。顔に書いてあるもん」
「書いてないよ」
そう言いながら、わたしはついつい自分の顔を触ってしまう。書いてないよね?
「けど、まあ、そうなの」
こほん、とわたしはわざとらしく咳払いをして仕切り直す。
その間もずっと梓がにやにやしているのが気になったけれど、もう気にしないことにした。
「それでね、その」
「志摩を誘おうと決めたんだね?」
「なんで先に言うの!?」
「陽菜乃の言いたいことはだいたい分かるよ。顔に書いてあるもん」
「さっきも一語一句変わらないセリフ聞いたよ!」
「それはこっちのセリフだね」
あはは、と梓は終始楽しそうだ。
もう、とわたしは溜息をつく。
「それで、難しい顔してたんだ? どうやって誘おうか悩んでたってこと?」
「そんなとこ」
「そんなの、三日目一緒に回ろ? って可愛らしく言えばいいだけでしょ。なにも難しいことないよ」
きゃるん、と梓はぶりっこみたいな声で言う。この子、こんな声出たんだと驚いてしまう。
「難しいよ。緊張するし、万一断られでもしたら……」
「断られると思ってないくせに」
「……」
たしかに、これまで隆之くんを誘って断られたことなんて一度もない。
それも、嫌々ではなくちゃんとポジティブに受け入れてもらえていた。
隆之くんに嫌われてるなんてことは恐らくないし、むしろ好かれているのではないかと自負してる。これで自惚れだったら羞恥の極みだけど。
それはそうなんだけど。
「難しいものは難しいの!」
「わー、逆ギレだぁ」
けど、決めたんだ。
わたしは今日、隆之くんを誘うって。
*
「どうした、クラスメイト……それも女子を眺めて。あんまジロジロ見てると変なやつだと思われるぞ?」
「そんなジロジロ見てないって」
なにやら楽しそうにはしゃいでいる陽菜乃と秋名を眺めていると、そんなことを言いながら樋渡がやって来た。
「いやあ、結構ジロジロ見てたぞ?」
「マジか」
「それで、どうした?」
始業のベルまではまだ時間がある。樋渡は空いている席のイスを引いて座った。
「いや、別に」
「なにもないって顔じゃないぞ?」
俺って分かりやすいのだろうか。
これまではそうではないと思ってたけど、最近そのことについて自信がなくなってきている。
樋渡なら別に話してもいいか。
一人でうじうじ悩むよりはいいだろうし。
「修学旅行、あるだろ」
「あるな」
「一日目はクラスで行動するじゃん」
「だな」
「二日目は決めた班で行動するだろ?」
「だな。楽しみだよな」
そうだな、と答えてから俺が続けようとすると、樋渡が「ああ、なるほど」と勝手に納得したような声を漏らす。
「三日目の自由行動を日向坂と回りたいんだ?」
「なんで先に言うんだよ!?」
「話の流れでだいたい予想つくだろ」
楽しそうに笑いながら樋渡はそんなことを言う。まあ、確かにそうなのかもしれないけどさ。
「誘えばいいじゃん」
「そうなんだけど。なんかいざ行動ってなると緊張するというか」
きっと陽菜乃は断らない。
俺の誘いを受け入れてくれる。
それだけの関係を築いてきたはずだ。
それは分かってる。
分かってるんだけど。
「お前らはいつまで初恋スタート初日やってんだよ」
やれやれ、と樋渡が肩をすくめた。
「別にそんなつもりは」
「あれだろ? そういうことも考えてる上での、三日目だろ?」
「……まあ」
こくり、と頷く。
それを見た樋渡が続ける。
「なら、もう好意なんかバレバレでもいいじゃん。ていうか、もし万が一……いや、億が一その誘いが断られたら脈なしだよ」
「……それが怖くて」
どうしても考えてしまう。
そんなはずはない。
そんなことはない。
自分に何度もそう言い聞かせている。
それでも、やっぱり前に進もうとする俺の足を掴んでくるのだ。
「そろそろ信じろよ。自分と日向坂の過ごしてきた時間をさ」
「……ああ」
「絶対成功するよ。しないはずがない。近くで見てきた僕が言うんだから間違いない。保証してやる」
ぽん、と俺の肩を叩いて樋渡が言った。
こういうときにふざけたことを言うやつじゃないことは知ってる。真剣な眼差しが本気だということも伝わってくる。
背中を押してくれてるんだ。
「もし失敗したら?」
「そのときは僕の奢りで傷心旅行に連れていってやるよ。北海道でも沖縄でも、大阪でも東京でも好きなところにな」
「それも悪くないな」
もちろんそんなことは思っていないけれど。
ありがとうと、言葉にするのは恥ずかしかったから。
その気持ちが伝わるように、俺は精一杯笑ってそう言った。
「おう」
多分、伝わったと思う。
短く答えた樋渡の表情は満足げなものだったから。
よし。
決めたぞ。
俺は今日、陽菜乃を誘う。
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