第219話 休日の二人(デート)⑦


 駅はもう目の前だった。

 このまま足を止めなければ残り僅かな時間で帰ることになっていた。


 けど、もうちょっとだけ。

 あと少しだけという気持ちがあるから。


 また約束すれば今日みたいな日は訪れるのかもしれないけれど、今日という日をまだ終わらせたくない気持ちを沈めることはできないから。


「うん。そうしよっ」


 陽菜乃ならそう言ってくれるかもしれないと思っていたけど、いざ実際にその言葉を聞くと心底ほっとする。


 俺は彼女にバレないようにほっと安堵の息を漏らした。


 しかし、と思う。

 そうなるとどこかお店を探さなければならないわけで、昼と同じように何が食べたいかを決める必要がある。


「なに食べよっか?」


「一応訊くけど、なにかある?」


 今度は悩む素振り一つ見せず。


「わたしはどこでもいいよ。隆之くんと一緒なら」


 からかうように言ってきたので。


「俺も。どこでもいいよ、陽菜乃と一緒なら」


 言い返してやった。

 まあ、口にした瞬間に恥ずかしさが込み上げてきてすぐにそっぽを向いた。


 今が夜で良かった。

 きっと耳まで赤くなっている顔を見られずに済んだから。



 *



 今が夜で良かった。

 きっと今のわたしは顔も耳も真っ赤になってるだろうから。


 まさか、あんなことを言われると思ってなくて。


 油断していたわたしはついつい口元を綻ばせてしまう。


 わたしの言葉に合わせて返してくれたんだろうけど、本当に心の底からの言葉じゃないかもしれないけど、それでも彼からそんなことを言われただけで嬉しくてたまらない。


 どうしてもにやついてしまう口元を引き締めようと、わたしはぺちぺちと頬を叩く。


 すると、その音におどろいて隆之くんがこちらを向いた。


「大丈夫?」


「うん。だいじょうぶだよ」


 優しいな、と思う。


 思い返すと本当に、彼は最初からずっとそうだった。

 始まりが、そもそも彼の優しさがきっかけだったのだから。


 言葉を交わすたび、隆之くんのいいところをたくさん見つけていって、どんどん彼に惹かれていった。


 最初はわたしだけだった。

 それから、梓が仲良くなって。

 くるみちゃんや、樋渡くんが隆之くんの良いところを知っていって。


 文化祭をきっかけにクラスのみんなとの距離が縮まって。


 ……あろうことか、いろんな人に見つかってしまった。


「なんかジロジロ見てない?」


「見てないよ」


「と言いながら見てる気が」


 とりあえず歩こうか、ということで歩き出したわたしたち。彼の隣を歩きながらじいっと隆之くんの顔を見上げていた。


「カッコいいなって思って。ランキングにランクインするのも納得だね」


 隆之くんって自己主張激しくなくて、できるだけ目立たず細々と過ごしたいみたいに考えてるからバレてなかったけど、普通にカッコいい。


 顔立ちは整っているし、身長も高い方だと思う。勉強だってできるし、運動神経だって悪くない。

 なにより優しいし、隣にいて落ち着く不思議な雰囲気がある。


 人気が出るのも無理はない。


「急になにさ」


「んーん。ふと思っただけ」


 もしかしたら。


 隆之くんも知らない女の子から告白されたりするのかも。


 それは複雑だ。


 ――好き。


 たった一言。

 その一言を口にするだけなのに、それが難しくて、怖くて、喉から出てくれない。


 くるみちゃんは本当にすごいと、今になって改めて思う。


 きっと本当に怖かっただろう。

 きっと本当に悩んだはずだ。


 それでも今の関係を終わらせたくて。

 これから新しい関係を始めたいと思って。


 その一歩を踏み出した。


 わたしも。


 わたしも、踏み出さないと。


 くるみちゃんに悪いし。


 なにより、知らない人に隆之くんを取られるのは絶対にいやだから。


 けどなあ。


 告白ってどうすればいいんだろう。


 最近はよくこのことを考えてる。

 このままじゃダメだってわかってるから。変えようとしないと、変わらないこともわかってるから。


 今ここで隆之くんの腕を掴んで、好きって言えばいいのかな。


 なんかいろいろ違う気がする。


 タイミングも。

 シチュエーションも。

 言葉でさえも。


 もっと、なにかあるのかなって思ってしまう。


 いつそのときがきてもいいように、心の準備はずっとしてきたはずなのに。


 いざそのときが目の前にくると、怖くて尻込みしてしまう。


 臆病者だ、と自分がいやになる。


 けどやっぱり、このままはいやだから。


 わたしが変わるんだ。

 わたしが変えるんだ。


 なにかないかなって考えたとき、ふとすぐにやってくるあのイベントが頭に浮かぶ。


 修学旅行。


 告白にはもってこいのイベント。


 そこでこの気持ちを言葉にすれば。


 うん。

 悪くない。

 むしろ良い。


 そのためには二人きりにならないといけないよね。


 ていうか。


 せっかくの隆之くんとの時間に考えることじゃないや。こういうことは一人のときにじっくり考えるべきだ。


「お寿司とか食べたいかも。たしか、映画館の近くにあったよね?」


「ああ。確かに。じゃあそこに行こうか」


「いい?」


「全然。なんなら決まってほっとしてるよ」


 今はこの時間を楽しもう。

 


 *



 ガタンゴトン。

 電車が揺れる。


 結構話し込んでしまい、遅い時間になってしまった。

 うちは基本的に放任主義だからどうせなにも言われないだろうけど、陽菜乃は大丈夫だろうか。


「遅くなったけど大丈夫?」


「うん。遅くなるって言ってるから。さっき、今から帰るって連絡も入れたし」


「そう。ならいいんだけど」


 たまたまそうなのか、電車の中にはほとんど人がいなかった。

 静かで、俺たちの会話が車内に響いているような気がしてちょっとだけ恥ずかしい。


 そう思うと、なにを話していいのか分からなくて、少しだけ沈黙が続いた。


 それを破ったのは陽菜乃だ。


「今日、楽しかったね」


 どこにでもあるような、たわいない会話だと思う。


「うん。また、どこかに行こうか」


 これまで。


 会うことに理由を作っていた。

 相手を誘うために自分に言い訳をしていたと言ってもいい。


「そうだね。もっといろんなところに行きたいね」


 けど、それも終わりだ。

 会いたいときに会いたいと言って、そうやって会えばいい。


 が理由だっていいじゃないか。


 今日という一日を通してそう思った。


 それはもしかしたら、陽菜乃も同じ気持ちなんじゃないかって、言葉がなくても不思議とそう思えるほどに、彼女の気持ちが伝わってきたからなのかもしれない。

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