第192話 あなたの隣にいるために③


 こく、こくと時計の針だけが進んでいく。

 二日目は開会式がないので移動とかはないけど、担任が来て登校確認をして文化祭が始まる流れだ。


 まだ担任は来ていない。


 いっそのこと来れば何かあったのか聞けるけど、その手段も閉ざされている。

 秋名は繰り返し電話をかけているけど、一向に出る気配はない。


 まさか誘拐とか?


 そんなドラマじゃあるまいし。


 けど、絶対にないとは言い切れない。


 とにかく情報が欲しい。


 俺が心の中で祈っていると、ガラガラと教室のドアが開かれる。俺はすがるようにそちらを向いたが、そこに立っていたのは担任だった。


 ややこしいタイミングで入ってくるなよ。


 柚木が担任のところに行き陽菜乃のことを確認してくれた。しかし、こちらに戻ってきた彼女はなんの成果も得られませんでしたと首を振った。


「ほんとにどうしたんだろ」


 柚木が不安げな声を漏らす。

 俺も含めてだけど、みんな同じような気持ちにはなっているだろう。何かあったならあったで連絡してくれれば気が楽なんだけど。


 分からないって一番苦しいんだな。


「それじゃあ出席取るぞ」


 担任が出席を取り始めた。


 まさに、その瞬間のこと。



「すみません遅れましたァ!」



 勢いよくドアを開いて、焦りに満ちた表情の陽菜乃がやって来た。その瞬間に俺はへなへなと崩れ落ちそうになったけど、なんとか踏ん張った。


 隣で柚木が崩れ落ちていた。


「今から出席を取るからさっさと入れ」


「はい」


 陽菜乃はきょろきょろと教室内を見渡して、こちらにやって来る。文化祭の準備があって机は全て隅っこに寄せているので、今日は各々好きなば場所にいる。


「心配したよ、陽菜乃ちゃん」


「ごめんごめん。ちょっとドタバタしちゃって」


「電話にも出れなかったの?」


「うん。自転車飛ばしてたから」


「珍しいな。日向坂が自転車って」


「そうだね。久しぶりかも」


 よほど飛ばしてきたのだろう、陽菜乃の額には汗が流れていた。それをハンカチで拭って、手でぱたぱたと顔を扇ぐ。


 なにもしなければ程よい温度だけど、激しく動けば体温は上がるし、そうなると普通に暑いだろう。


「心配したよ」


「……ごめんなさい」


 あはは、と陽菜乃はぎこちない笑みを浮かべた。まあ、何事もなくて良かったけどさ。


「今日、すごく楽しみでね。昨日上手く寝付けなかったんだ」


「それは俺も一緒だ」


 陽菜乃は俺の言葉を聞いてくすくすと笑う。それがなんだかおかしくて、つい俺も笑ってしまう。



 *



 出席が終わるとぬるっと文化祭が始まる。うちのクラスは昨日で催しが終わったので今日は完全にフリーだ。


 グループごとにワイワイはしゃぎながら教室を出ていく生徒を見送る。別にこそこそする必要はないんだけど、変に絡まれるのもごめんだ。


「それじゃ、私は行くよ」


「うん。がんばってね」


 当番の時間があるのか、秋名がひと足お先に教室を出ていった。それに続くように柚木と樋渡も「あたしらも行くね」と出発する。


 美少女とイケメンだから、並ぶと絵になるんだよな。あのふたりって。こんなことを俺が言うのは失礼かもしれないけど、お似合いって感じがする。


 などと考えていると、気づけば教室の中には俺と陽菜乃だけになっていた。


「それじゃあ、わたしたちも行こっか」


「そうだな」


 顔を見合わせ、どちらからでもなく一歩踏み出す。これから始まるんだと思うと、いつもより心臓が激しく動く。


 なにも喋らないとバクバク跳ねる心臓の音がうるさく感じてしまう。


 教室を出ると校内は一気にお祭りムードに切り替わる。あちらこちらで賑やかにはしゃぎ回っていた。


 俺はポケットに入れていたパンフレットを取り出す。舞台の他にも様々な催しが行われている。


「どうしようか」


「とりあえず歩こうよ。時間はたっぷりあるんだし」


 確かに。

 ぶらぶらと歩いて、気の向くままに楽しむのも悪くないか。

 仮にこれがデートであれば、やっぱり男がスマートにエスコートするべきだと思っていたけど、急には無理だな。


 少しずつでも慣れていきたいけど。


「制服じゃない服で校内歩くのって変な感じだよね」


「たしかに。悪いことしてるような気分になるな」


 昨晩。

 陽菜乃から『明日はクラスTシャツを着て回ろ!』というメッセージが届いた。


 文化祭の二日間はクラスTシャツでいることは許されている。まあ、周りを見れば催しのコスチュームで出歩いている生徒がいるので、ガバガバっぽいけど。


 制服じゃないけど、ズボンやスカートは制服だし、制服じゃないこともないかもしれない。


 けどやっぱり制服とも私服とも違うように見えて、その姿は新鮮そのものだ。


 文化祭は始まったばかり。

 さすがに食べ物系はまだ早いだろうと思って、それ以外のなにかを探していたんだけど。


 ぎゅるるるる。


 と、お腹が鳴る。無論、俺のではない。


「こっち見ないでもらえます?」


 必然的に隣にいる陽菜乃のものと特定できるのでそちらを見ると、顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。


「……いや、でも」


「そういうときは聞こえてないふりをするのがマナーだよ?」


 そんなマナー聞いたことないな。

 男女間におけるマナーだろうか。だとしたらもっと勉強しないといけないな。

 いわゆるデリカシーというやつを。


「さすがにそれをするには厳しめの音だったし。もうお腹空いたの?」


 言うと、陽菜乃はハッとして顔を上げる。睨むとは違うけど、眉を釣り上げて真剣な眼差しを向けてきた。


「ちがうよ!? 寝坊したから朝ご飯食べれなかっただけであって、朝ご飯を食べたにも関わらずもうお腹空き始めたわけじゃないからね? 決して、そういうんじゃないからねっ!」


 必死な弁明は逆に嘘っぽくなるのなんなんだろ。


「分かったよ。そのままだとなんだし、なにか食べる?」


「また大食いって思ってる?」


「思ってないよ」


「ほんとに?」


「うん」


 だって、今に始まったことじゃないから。正確に言うならば、また思ったのではなく、ずっと思ってたのだ。言わないけど。


「それじゃあ、ちょっとなにか入れようかな」


「それがいいよ。一日はまだ始まったばかりだし、腹が減ってはなんとやらって言うし」


「別にわたしたち戦に行くわけじゃないんだけど」


 戦みたいなもんだよ。


 好きな人に嫌われないように。

 好きな人に好きになってもらえるように。


 そうやって考えながら過ごす今日という一日は、戦いと言って差し支えない。

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