第185話 きみの隣にいるために④


「志摩が代役をしてくれるそうだ」


 教室に戻って、樋渡がクラスメイトにそう告げた。もちろん、最初に見えたのは困惑の表情だ。


「隆之くんね、陽菜乃ちゃんの練習によく付き合ってたからセリフはある程度入ってるみたいなの」


 柚木が樋渡の言葉に続く。

 すると、クラスメイトの反応も少し変わってくる。


 俺みたいなやつが主役の代わりなんて務まるものか、と批判的な意見だってあるだろう。


 むしろ、そっちの方が多いかもしれない。


 そう思っていたけれど。


「まじかよ」

「だったらいけるくね?」

「だよね。首の皮一枚繋がった感じ」

「志摩すげえよ」


 あちらこちらから聞こえてくるのは、俺の背中を押すような前向きな言葉ばかりだった。


「それで進めても問題ないよな?」


 樋渡が最後に確認する。

 それに反対する声は一つもなかった。


 俺はそれにほっとする。

 この状況で否定してくるやつがいるとも思わなかったけど、それでも受け入れられたことに安堵した。


「志摩」


 名前を呼ばれて振り返ると、伊吹一行がそこにいた。伊吹は痛む足を庇いながら立ち上がった。


「ほんとにありがとう」


 伊吹に続いて他の男子も頭を下げてくる。こういうのは、なんというか、ちょっと慣れないな。


「やめてくれよ。成功するかは分からないんだし」


「それでもだよ。名乗り出てくれたことに、まず感謝してるんだ」


 何事も、感謝されようとして行動したことはない。結果としてされることはあったけれど、誰にも気づかれないこともあった。


 何度経験しても、ありがとうという言葉はこそばゆくて慣れないな。けど、不思議と心が温まるような感覚になる。


「志摩、ちょっと来て!」


 そんな話をしているとまた別のところから名前を呼ばれる。そちらを向くと秋名他数名の女子がいた。

 名前を呼んだのは秋名だ。


「なんだ?」


「ちょっと脱いで」


 そっちに行くと突然そんなことを言われたものだから、俺は自分の体を抱いて一歩後ずさる。


「変な勘違いするな。衣装の調整しなきゃだから、体の採寸するの」


「ああ」


 そりゃそうか。

 引き締まった体見るなら他の男子のほうがいいもんな。そもそもそんなに引き締まってないし、どこにでもあるような俺の体にそこまでの価値はないか。


 制服を脱いで肌着の状態になる。それでも、みんな制服着てるこの場で服を脱がされるのは中々な周知プレイなのではなかろうか。


「どういう風の吹き回しかな?」


 採寸をしながら、秋名がそんなことを訊いてくる。まっすぐ体の方を見ているので、表情は伺えない。


「別に。気まぐれみたいなもんだよ」


「気まぐれねえ。そんなんで志摩がこんな大役引き受けるとは思えないけどね」


 くす、と小さく笑った秋名は俺の顔を見上げてくる。口角の上がった楽しそうな表情はいつもの彼女のものだ。


「けどあれだね、こんな大役引き受けて劇を成功に導いたら超カッコいいね。どこかの誰かさんも惚れ直すんじゃない?」


「それプレッシャーかけてる?」


「んにゃ。背中押してる」


「だとしたら、チョイス間違えてるぞ」


「そうかな? 志摩の顔はそう思ってなさそうだけど?」


 そんなことを言われると、表情を隠したくなる。けど、動こうとすると「動くなよ」と止められた。


「……どんな顔してた?」


「んー。さっきの表情を的確に表現する言葉が見つからないけど、強いて言うなら好きな女の子に惚れ直してもらった未来を想像してるような顔をしてたかな」


「見つからない割には具体的過ぎない?」


 ほんとにそんな顔をしていたのは定かではないし、そもそもそれどんな顔なんだよというツッコミは置いておこう。


 秋名はパンと俺の体を叩いて立ち上がる。


「よし、採寸終了。ここでの役割は終わりだから、次のエリアへ行くといいよ」


「なんだよ、次のエリアって」


「志摩を待ってる人たちは他にもいるのさ。ほら、あそことか」


 秋名が指差した先には樋渡、柚木を始めとした演者組が集まっていた。しかもこちらをじっと見ていた。


「頑張りなよ。応援してるからさ」


 そう言った秋名に見送られ、俺は演者組のところへ移動した。樋渡や柚木、他の生徒はどうやら俺の立ち位置なんかをまとめてくれていたらしい。


「本番までの時間、潰れちゃってもいいか?」


 真面目な顔の樋渡に、俺は頷きを返す。それはもとより覚悟の上だ。


「本番に恥かくよりよっぽどマシだよ」



 *



 開会式のため、俺たちは体育館に移動した。バタバタしていて意識からすっかり抜け落ちていたけど、今日は文化祭だったんだ。


 文化祭だからこんなピンチに陥っているのに、そのピンチに追い込まれて文化祭であることを忘れるという、摩訶不思議なことが起こるくらいには、もうこの時点で俺はいっぱいいっぱいだった。


 なので、校長先生の有難いお言葉はもちろん覚えていないし、そのあとの文化祭実行委員長のウェーイなお言葉も右から左に抜けていった。


 オープニングパフォーマンスとして可愛い生徒がアイドルソングを踊り、イケメン生徒がキレッキレのダンスを見せていた。


 それをぼーっと眺めていたらいつの間にか開会式は終わっていて、開会宣言が成されたあと、生徒はウキウキしながら体育館をあとにする。


「……」


 あれだけカッコつけて請け負ったので、あんまり自信なさげな姿は見せるべきではない。


 俺は大丈夫だ、やれる、問題ない、という態度を取っておかないとみんなに失礼だよな。


「はあ」


「だいじょうぶ?」


 先ほど始まったばかりの文化祭だが、すでに校内は活気づいている。ちらほらと活動を始めるクラスもあった。


 そんな中をとぼとぼと歩いていると、後ろから追いついてきた陽菜乃が顔を覗き込んでくる。


「……大丈夫。なんとかなるよ」


 多分、下手くそな笑いを浮かべていると思う。それでも笑えているだけマシだ。


「ごめんね」


 急に謝ってきた陽菜乃は、少ししゅんとしていた。俺はなにがなんだか分からずクエスチョンマークを浮かべる。


「隆之くん、あんな言い方されたらきっと受け入れるしかなかったよね。無理させちゃったなって」


 彼女は今になっても、そんなことを心配していた。俺はそんなことを、心配させてしまっていたのか。


「いや、大丈夫だよ。不安はあるし緊張はしてるし吐きそうなくらいだけど、嫌々やってるわけじゃないから」


「ほんとに?」


「うん。だから、いつか今日を振り返ったときにきっと良かったって思えるような日にしよう」


 自分の中の不安を吹き飛ばすように。

 彼女の中にある不安を拭い取るように。


 俺は精一杯笑ってみせた。


「……うん。がんばろうね」


 良かった。


 彼女も笑ってくれた。

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