第184話 きみの隣にいるために③


 柚木の焦りが周りに伝播しているのか、周りの焦りが柚木に伝播したのか、とにかく教室の中の空気感は異様なものだった。


 焦り以外にも、不安げな表情の生徒もいて、中には申し訳無さそうな顔をする男子生徒が数人。


「どうしたんだ?」


 樋渡が落ち着いた声色で尋ねると、柚木は難しそうに眉をひそめながら唇をきゅっと結ぶ。


 そして、こくりと喉を鳴らしてからゆっくりと口を開いた。


「伊吹くんが演劇に出れなくなったの」


「どういうことだ?」


 それを聞いて、樋渡の表情も険しいものになる。

 俺はもう一度教室の中を見渡してみる。申し訳無さそうな顔をしている男士に囲まれるようにして、イスに座っている伊吹の姿を見つけた。


「昨日、伊吹くんたち男子数人がお泊り会を開いたそうなんだけど」


 そういえばそんなこと言ってたな、と俺は昨日の帰りの風景を思い出す。

 クラスの盛り上げ隊である木吉大吾を筆頭に騒いでいたっけ。


 柚木と樋渡がクラスメイトが集まる方へ移動していくので、とりあえず俺もそれについて行くことにした。


「夜に枕投げ大会をして、盛り上がったみんなは相撲大会を開いたそうなの。そのときにヒートアップしすぎて、伊吹くんが足を捻ったらしくて」


 小学生かな?


 ていうか、伊吹ってそういうのに参加するタイプなんだな。どっちかというと遠くで「あんまりはしゃぎ過ぎるなよ」みたいなこと言いながら笑ってるタイプかと思ってた。


「オレたちが伊吹クンを無理やり誘ったからこんなことになっちまった! ホントにゴメン!」


 木吉を含めた男子四人が頭を下げる。その雰囲気から察するに、伊吹の参戦は無理やり的な感じなのだろうか。


 周りに影響させられる空気感ってのは、良くも悪くも存在するからな。


「いや、俺も注意が足りなかった。誰が悪いかっていうならみんなだよ」


 イケメン伊吹の顔は、優しい声色とは裏腹に険しいものになっている。


「足を捻ったって、どんなレベルなんだ? やっぱり歩くのも厳しい感じか?」


「……まあ、そうだな。体重がかかると痛みがある」


 樋渡の質問に伊吹がうなづく。

 俺たちのクラスの演目は『君のいる夏景色』というもの。主人公視点で物語が展開されていくこともあり、一番出番が多いのは主人公だ。


 そんな足の状態ではとてもじゃないけど、演技を続けるのは無理だろう。


 しかし。


 そうなると。


「……どうするか」


 むう、と唸ったのは樋渡だ。

 他のクラスメイトも同じように難しい顔はしているけれど、誰も口を開かない。


 皆が同じことを考えてる。


 誰もが同じ不安を抱いている。


 ――俺たちの演劇はどうなるんだ。


 そう思っているに違いない。


「演劇を行うには代役を立てるしかないよな」


「けど、他ならとにかく主役ってなると難しいよ。今からセリフを覚えるなんて無理だろうし」


 樋渡の言葉に続いたのは柚木だ。


「アテレコみたいなのは?」


 それに堤さんも続く。

 アテレコというと、つまりは口パクの演者に言葉を当てるってことか。それなら確かにセリフを覚えている必要はない。


 けど。


「さすがに練習なしじゃ合わせるの難しいでしょ」


 秋名が難しい顔をする。


「そうだよな。突っ立ってる状態の口パクに当てるならかろうじてって思うけど、演技には動きもある。多少の練習じゃ難しい」


 樋渡が秋名の意見に同意した。


 実際にやったことはないけれど、多分難しいことなんだと思う。人の動きに合わせて声を当てるって普通に考えて難しいだろう。


 しっかりと練習する時間があれば、あるいは可能かもしれない。相当に息が合った二人ならばいけるかもしれない。

 けど、そういうこともない。


「……けど、それしか手はないよな」


 樋渡の言葉に、再びクラスメイトは俯いてしまう。ちらと男子連中を見てみると、伊吹も含めてみんながギリッと歯を鳴らしている。


 悔しくて。


 けど、それ以上に申し訳無い気持ちでいっぱいなのだろう。


 自分たちの考えなしの行動のせいで、クラスメイトのこれまでの努力が全部無駄になろうとしている。


 それを自分たちではどうすることもできない。責任を取ることができない。きっとそれが悔しくて、申し訳無いのだろう。


「……」


 そのとき。


 ふと、こちらを見る陽菜乃と目が合った。


 じいっと、真剣な顔つきのまま、俺から目を逸らさない。いつもとは違う彼女の雰囲気に、俺は目を逸らせなかった。


 なにを思ってる?


 なにを考えてる?


「……」


 無理だ。


 俺にはできない。


 陽菜乃の言わんとしていることは分かる。その真剣な眼差しが、彼女の気持ちを伝えてくる。


 俺はセリフをほとんど覚えている。

 全部というわけにはいかないけど、ヒロインと関わるシーンは大方問題ないだろう。


 けど。


 そこじゃないんだよ。


 問題はそこじゃないんだ。


「隆之くん」


 気づけば目の前まで陽菜乃が移動してきていた。そして、そっと俺の手に触れながら名前を呼んでくる。


「樋渡くん、くるみちゃん、ちょっといい?」


 難しい顔の二人に声をかけて、陽菜乃は俺を連れて廊下に出る。二人はそのあとをついてきた。廊下には他に生徒がいなくて、俺たちだけだった。


「どうした?」


 樋渡に言われ、陽菜乃はちらと俺を見る。俺はどうしていいのか分からなくて目を伏せた。


「隆之くんね、わたしの練習にずっと付き合ってくれてたの」


 震える声で陽菜乃が話し始める。


「何度も何度も、わたしが満足するまで文句一つ言わないでずっと付き合ってくれた。もう何回繰り返したかなんて、覚えてないくらい」


「……それって」


「つまり……」


 樋渡と柚木が俺の方を見た。

 ふう、と俺は小さく息を吐く。


「セリフは覚えてるよ。完璧に、とは言えないけどだいたいは頭に入ってると思う」


 俺がそう言うと、樋渡と柚木は口を開こうとして、けど出てくる言葉を飲み込んだ。


 さすがだよ。

 普通なら「じゃあお前が代役できるじゃん!」「がんばろうよ!」みたいなことを言うところだろう。

 けど、二人はちゃんと俺のことを考えてくれた。そもそも俺が言い出さなかった、その心境を察してくれたんだ。


 日向坂陽菜乃は優しい女の子だ。

 可能性のある選択肢が自分の中にあって、なのにそれを言葉にしないまま飲み込むことができなかった。


 難しい顔をしていた。

 話す声が震えていた。


 きっと、それまでに葛藤はあったに違いない。


 それでも彼女はそれを口にした。


 俺ではなく、クラスを救うことを選んだ。


 なんて。


 もちろん、そんなことないのは分かっている。

 

「……ごめんね、隆之くん」


 陽菜乃がもう一度、俺の手に触れる。きゅっと握るその手は少し震えていた。


「隆之くんはきっと嫌だって思ってるってわかってた。けど、言わずにはいられなかった」


「……うん」


 じいっと、俺の目を見つめてくる陽菜乃の瞳には、戸惑う俺の顔が映っていた。


 情けない顔してるな、俺。


「隆之くんならできるよ、とか、そんな無責任なことは言えない。信じてるけど、そんな一方的な信頼を押し付けるつもりはない」


 でもね、と陽菜乃は続ける。


「隆之くんと一緒に劇に出れたらなって思ってる。練習してるときから、ううん、その前の配役のときから、わたしはずっとそう思ってた」


 好きな子にこんな顔させて。


 好きな子にこんなこと言わせて。


 好きな子にこんな思いをさせて。


「一緒に舞台に立とうよ! いまは不安だし怖いかもしれないけど、もしかしたら失敗しちゃうかもしれないけど、それでも、いつか今日を振り返ったときにきっと、良かったって思える日になるはずだから!」


 その上。


 好きな子に、なんて顔見せてんだ。


「失敗しても、誰も隆之くんを責めたりしないよ」


「ここで立ち上がったら、漏れなくクラスのヒーローだぜ」


 柚木は優しく微笑み。

 樋渡はニッと笑う。


 いつも助けられてばかりの俺が、ほんの僅かでも助けになれるというのなら、きっとやるべきだよな。


 ここまで言ってもらって、立ち上がらないのは男が廃る。



 

「分かった。どこまでできるか分からないけど、やってみるよ」


 これから先も、きみの隣にいるために。

 今の俺にできることを全力でやるよ。

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