第183話 きみの隣にいるために②
前回のあらすじ。
柚木が実は自転車に乗れないという衝撃の……いや別にそこまで衝撃ってわけでもないけど、そんな事実が明らかになった。
「みんなにはナイショにしておいてね。誰にも言ってないことだから」
柚木って別に運動神経が悪いわけじゃなかったよな。それなのに、自転車に乗れないとはどういうことだろう。
というか。
「みんなには言ってないの?」
「だって高校生にもなって自転車に乗れないなんて恥ずかしいじゃん」
ふふ、と柚木は本当に恥ずかしそうな顔をして笑った。
「なんで俺には言うんだよ」
他のみんなには秘密にしてることなら、俺にも黙っておけばいいのに。誤魔化せばこっちも無理に聞き出すつもりはなかったし。
現に、多分一度誤魔化されてる。
「隆之くんは特別だもん」
「……」
「あ、照れたー」
俺がリアクションに困っていると、柚木はにんまりと笑みを浮かべながらからかいモードに突入する。
こいつどういうつもりでこんなこと言うんだよ。
あっちがこうしてお構いなしに絡んでくるんだし、こっちももうちょっと肩の力を抜いて話してもいいのかもしれない。
「なんで自転車に乗れないままなんだ? だいたい、小学生のときとかに練習するだろ」
「その小学生のときに派手に転んじゃってね。トラウマってほどじゃないんだけど、もうお前には乗ってやるもんかって意地になったのが始まりなの」
「思ったよりしょうもない理由だ」
「当時のあたしにとっては一大決心だったんだよ。おかげで、今になっても自転車に乗れないままというわけ」
あはは、と柚木はそんな過去を笑い飛ばす。この調子だと、きっとこの先も練習をするつもりはないんだろうな。
不便だとは思うけど、乗らないと決めていれば存外そんなこともないのかな。
乗れるから気持ちが分からんな。
「って、文化祭の日にする話じゃないよね。もっと相応しい話題で盛り上がろうよ」
「確かにな」
そんなことを言っていると学校が見えてくる。遠くから見ればいつもと変わらない面白みのない校舎だけれど、近づくにつれてその異様さが見えてくる。
『鳴神祭』
生徒が通る校門には、そんな文字が描かれた大きな門が装飾されていた。
「鳴神祭?」
「うちの文化祭の名前だよ。知らないことないでしょ?」
まあ、去年も経験してますからね。
とはいえ、ほとんど周りのことなんて気にしてなかったし楽しんでもいなかったので、ぶっちゃけ知らなかった。
「ま、まあね」
「知らないときの顔してる」
信じられない、とでも言いたげに呟いた柚木はくすくすとおかしそうに笑う。
「なんで鳴神祭なの?」
「さあ」
知らないじゃん。
派手やかなゲートをくぐると、まるで異世界にでも迷い込んだかのような感覚に襲われる。
いつも通っている見知った風景のはずなのに、文化祭仕様で様々な装飾が施されているため同じ場所には感じられない。
「昨日は夜だったからあんまり分からなかったけど、こうして明るいところで見るとすごい文化祭って感じがするね」
右や左を見ながら感心の声を漏らす。
確かに昨日の夜もここを通ったけど、こんなふうには見えなかったな。昼と夜とでは景色も全然違うようだ。
「そうだな。遊園地に来たみたいな気分になる」
不思議とワクワクさせられるような、そんな雰囲気だ。歩いている生徒も浮足立っており、朝にも関わらずテンションは最高潮っぽい。
昇降口へ向かうと、ちょうど靴を履き替えていた陽菜乃の姿を見かけた。
「おはよー、陽菜乃ちゃん!」
それに気づき、いち早く挨拶をしたのは柚木だ。こういうところが、友達が多い所以なんだろうな。
コミュニケーションはまず挨拶からと言うし。見習おう。
「おはよう、くるみちゃん。隆之くんも」
「おはよう」
陽菜乃に合流して俺たちも靴を履き替える。女子二人が揃えばきゃっきゃと盛り上がる。俺はそれを後ろから眺めるのも今ではありふれた光景だろう。
教室の前にやってきたところで、そこに樋渡がいることに気づいた。樋渡が電話をしていることもあり、前の二人はそのまま教室に入っていく。
「ああ、分かった。じゃあ今日の夜に渡すわ……二枚? いや、大丈夫だよ。それじゃ、また連絡する」
ちょうど俺が前を通ったところで通話が終わったようで、スマホを耳元から離す。
「おっす」
荷物を持っているところ、まだ教室には入っていないようだ。登校途中に電話がかかってきたのかな。
「おはよう」
「志摩にしてはお早い登校じゃないか?」
「その類のセリフはもう聞き飽きた」
「それくらい珍しいってことだろ」
「そういうお前も早いんじゃないのか?」
樋渡がいつも何時に登校しているのかは知らない。俺よりも早い日があれば遅い日もあるから。
「文化祭だしな。ちょっと早く来るくらいがちょうどいいかと思って」
「どいつもこいつも考えることは同じってことか。俺も含めてだけど」
俺が話をまとめるように言うと、樋渡は驚いたように目を開き言葉を失っていた。
「なんだよ?」
「いや、去年の今頃っていえば僕はまだ志摩とは仲良くなかったけど、教室の隅っこにいることくらいは知ってたんだ」
突然、樋渡は懐かしむように去年のことを話し出す。俺は樋渡みたいな男子がいることは知らなかった。
陽キャって意外と周りのこと見てるんだよな。逆に俺たち陰キャの方が周りを見てない。見えていない。むしろ、見ようとしていなかった。
「だから、お前が文化祭を楽しみにしてるって思ってて、それを素直に口にしたことに驚いたんだよ」
「……改めてそう言われると恥ずかしいんだけど」
「いいことだよ。間違いなくな」
くくっと笑いながら樋渡は視線を教室の方へと移す。その瞳は誰を見ているのか、それはすぐに分かった。
「誰のおかげなんだろうな。もちろん、志摩自身の努力があった上でな」
「……そんなの、言うまでもないだろ」
俺も教室の方を見る。
そこにあるのは壁だったり、ドアだったり。少なくとも生徒の姿は見えないけれど。
でも、俺と樋渡はきっと同じ人を見ているはずだ。
「そろそろ中入るか」
「そうだな」
いつまで廊下で話してんだよ、ということで俺たちは教室の中に入っていく。
そこで、教室の中が妙にざわついていることに気づいた。
「なんだ?」
「さあ」
浮足立っている、みたいな感じではないように思う。どちらかというと、焦りとか不安とか、そういう良くない方のざわつき。
「あ、隆之くん。優作くんも!」
俺と樋渡の姿に気づいて駆け寄ってきたのは柚木だ。やっぱり、その顔は焦りに満ちていた。
「大変なの!」
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