第181.5話 榎坂絵梨花
挨拶するのがそんなにおかしいの?
そんなの、別に誰にだって当たり前にすることでしょ。
家族にも、友達にも、クラスメイトにも、近所のおばちゃんにも、コンビニのレジの人にも、すれ違った散歩中の人にだって。
なのに、それで勘違いするっておかしくない?
『榎坂さん、ぼくに毎日挨拶してくれるから、もしかして好きなのかなって思って。だから、付き合わない?』
きっしょ。
お前ごときの男が私と釣り合うと本気で思ったのかよ。
口から出かけたその言葉を飲み込んで、私、榎坂絵梨花は適当にそれっぽい言葉を選んでその告白を断った。
けれど、それが続いた。
なんなの。
お前みたいなヤツにしてることは、他の人にはもっと当たり前にしてるんだよ。
私がお前とご飯食べたか?
私がお前の手を握ったか?
私がお前に言い寄ったか?
思い返してみろよ。
そんなこと、一度だってなかっただろうが。
しかも断ったら断ったで、捨てられた子犬みたいな顔してくる。あたかも、自分は騙された被害者で私が騙した悪女だとでも言うように。
けど、それが続くと私の中には別の感情が芽生え始める。もちろん、そんな男のことを好きになるとか、そんなイカれた思考回路じゃない。
いつしか。
私は告白されることに快感のようなものを抱くようになっていた。承認欲求が満たされるとでも言うのだろうか。
勘違いして告白してくる男がバカで滑稽で、けれどそれが不思議と楽しくて面白くて。
同時にその頃、私への告白は落ち着いた。私のそれが、ようやく周りにとって当たり前になったのだろう。
すると、私は物足りなさを覚える。あれだけ鬱陶しいと感じていたあの自分への滑稽な好意を欲していた。
だから。
『あなたといると、不思議と心が落ち着くのよね』
『楽しい。あなたといる時間はあっという間に過ぎていくわ』
『面白そう。もっと教えて?』
私は男の好意が自分に向くように動くようになった。
最初はあくまでも自分の承認欲求を満たすためだけに。
けれど。
いつしかそれは、グループの娯楽として。
『ああ、くそ。毎日毎日、勉強続きでつまんないな』
『ねえ絵梨花、あれやろうよ』
『お、いいね! 久しぶりじゃね?』
中学三年生になって。
勉強続きの毎日で、ストレスが募る日々。私たちのその遊びの頻度が減っていたのは、勉強に追い込まれていたからだ。
けれど、友達の言うように久しぶりに憂さ晴らしでもしようと思った。
溜まったストレスが少しでもマシになるかな、と思って。
そんなことを話していたとき。
ちょうど、たまたま、席替えがあった。
隣の席になったのは名前はうっすらと分かるくらいの存在感、地味で目立たない男子生徒。
『話すの初めてだよね。私、榎坂絵梨花よ。あなたは?』
『……志摩です』
明らかに女慣れしていない、童貞感強めなリアクション。自分なんて、と己を下げて卑屈になるタイプだ。
こういうタイプの反り立つ壁を駆け昇って心を開かせたときの快感は他の比ではない。
徐々に心を開いてくれているのは一日の会話量と、なにより表情で分かった。
クールを気取っているのか、あまり表情には出しませんっていうタイプに見えるけれど、きっと彼は嘘をつけないタイプだ。表情に出てしまうのだと思う。
少しずつ。
少しずつ。
距離を詰めていった。
そしてある日、彼の方から私に告白をしてきた。もちろんお断りしたわけだけど、あれは本当に楽しかった。
まるでゲームをしているような。
あるいは、あれはゲームだったのかもしれない。いかに相手を惚れさせるかっていうね。
中学の間も、高校に入ってからも、私は定期的にこの遊びを繰り返した。
彼氏は欲しい。
けど、ビビッとくる相手がいない。
だから、とりあえずはこの遊びで満足しておこう、みたいな感じ。
イケメンで。
優しくて。
女慣れしていて。
でもヤリチンじゃなくて。
面白くて。
センスが良くて。
背が高くて。
お金を持ってて。
余裕があって。
いつまでも私をお姫様扱いしてくれる。
そんな男の人が現れないの。
現れなかったの。
『大丈夫ですか?』
『まじどこ見て……』
けれど。
ついに見つけた。
ビビッとくる相手が。
樋渡優作くん。
私の相手にピッタリだ。
けど、幸か不幸か私が今相手してる沢渡って男の知り合いらしくて困ってる。
沢渡のことを適当に扱うと、それが彼に伝わるかもしれない。そうなると確実に私のイメージは悪くなる。
それは避けたい。
「……ねえ、沢渡くん」
「ん?」
話しかけると本当に嬉しそうな顔をする。
これだけ分かりやすいと、こっちも楽なのよね。
「ちょっと提案なんだけど――」
ともあれ。
彼に近づくにはこの男を利用するしかない。
大丈夫。
私なら上手くやれる。
これまでだって、そうしてきたんだから。
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