第181話 星空を見上げて④
「わたしも買ってこようかなあ」
俺の肉まんを見た陽菜乃は羨ましそうな視線を向けてきたあと、揺れる心が現れている声を漏らした。
そんな陽菜乃が持つコンビニ袋を見てみると、おにぎりの他にデザートであろう何かしらも見えた。
この上、さらに肉まんを食べるとなると結構な量になると思うんだけど、まあ彼女ならぺろりと平らげてしまうか。
「んー」
「悩むくらいなら買ってくればいいのでは?」
「んー」
口をへの字にしながら眉をひそめる。果たしてそれはなんの葛藤なのだろうか。お金を気にしているのか、食べ過ぎを気にしているのか、あるいはそれ以外か。
「買ってこよ」
覚悟を決めた陽菜乃はてててとコンビニの中に戻っていく。しかし、五秒くらいで出てきた。
レジで買い物をするには短すぎる時間だ。スマホ決済が普及し、レジの時間が短縮されたとはいえさすがに早すぎる。
「どうしたの?」
尋ねる。
「売り切れてた……」
がっくりと項垂れながら俺の隣に戻ってきた陽菜乃は盛大な溜息をついて、俺の手の中にある肉まんを見た。
それもうカツアゲなんだよなあ。
「半分食べる?」
若干冷めた肉まんを彼女の前に差し出すと、まるでおやつを与えられた子供のように瞳を輝かせた。
ななちゃんもこんな顔するなあ。
やっぱり姉妹なんだなと実感する。
「え、でも悪くない?」
「表情はそんなこと一ミリも思ってないんだけど」
こういうところも可愛いと思う。
あげたくなるんだよなあ、もう。
「うそッ」
「マジだよ」
俺は肉まんを半分にちぎって彼女に渡す。それを三日振りの食事かのように陽菜乃は受け取った。
自分が食べていた部分は避けて渡したので、間接キスだなんだと気にすることもない。
「結構時間かかっちゃったし、戻りながら食べようか」
「うん」
上機嫌な陽菜乃はふんふん鼻歌をハミングしながら歩き出す。その隣に居心地の良さを覚えながら、俺は残りの肉まんを口に放り込んだ。
俺と陽菜乃がいないことに気づかれると、また変な騒ぎを起こされるかもしれない。
できるだけ早く戻らないと。
「おいひぃー」
肉まんを頬張りながら幸せそうに笑う陽菜乃をちらと見て、ついつい口角を上げてしまう。
それがバレないように、俺は満天の夜空を見上げた。
ほんとに星がきれいだな。
あんまり空を見上げるということ自体をしなかったので、こんな景色があることをそもそも知らなかった。
興味もなかったし。
だから、見ようとも思わなかった。
なんなら、見るということが頭になかったのだ。
変わっていくんだな。
人も、街も、景色も、心も。
「隆之くん、これ」
「ん?」
どうしたのかな、と陽菜乃の方に視線を戻すとおにぎりを一つこちらに渡してきていた。
「肉まんもらったからお返し」
「いや、別に気にしなくてもいいよ」
「いやいや、さすがにわたしも食べ過ぎだし」
「でも食べれはするでしょ?」
「するけど」
街灯に照らされた陽菜乃の頬は赤くなっていて、バツが悪そうに唇を尖らせていた。
「じゃあ食べなよ」
「いいから! 食べて!」
しかし陽菜乃も引き下がらず、俺に押し付けてくるのでさすがに受け取るしかなかった。
「じゃあ、貰うけど」
「それでいいの。言っておくけど、わたしは女の子なんだよ?」
「知ってるけど。急にどしたの」
もちろん性別の主張がしたいわけじゃないことは分かっている。他になにか言いたいことがあるのも分かる。
「女の子はいつだって可愛いって思われたい生き物なのってこと」
やっぱり分からない。
可愛いと思われたい、という言葉の意味は理解できるけど急にそんなことを言い出したのはどういうことだ?
さっきと今の陽菜乃の言葉の因果関係に俺は頭を悩ませていた。
けど、答えは出なかった。
「陽菜乃は可愛いでしょ」
それは誰もが認めていることだし、今さら言葉にするまでもないと思うのだけど。
褒めたはずなのに、陽菜乃はなぜかむうっと頬を膨らませた。
え、なんで。
「見た目はでしょ?」
「見た目もだけど?」
「……」
……。
…………。
……………………。
「そっか」
数秒間、時間にすれば一秒二秒程度のことだと思うけど、俺と陽菜乃は見つめ合った。というか、睨み合った?
そして、陽菜乃は短く言って前を向き直る。
学校が見えてきて、少し早足になる。
俺たちは教室に向かうまでの間、言葉を交わさなかった。
というか、交わせなかった。
なんとなく話しかけてこないで的なオーラを感じたような気がしたのと、さっきの会話からどう別の話をしたらいいのか分からなかったから。
幸いだったのは。
そんな中でも、ごきげんな雰囲気もひしひしと感じていたことだった。
*
良いことと悪いことがあった。
まず最初に良いこと。
有り難いことに教室に戻ったとき、クラスメイトはまだわいわいと盛り上がっていた。
だから、地味で存在感薄めな俺の姿が消えていたことなんて誰も気づきやしなかった。
じゃあ悪いことはなにかって?
わいわいと盛り上がっている中でも陽菜乃の姿が見えないことに気づいたクラスメイトがいたことだ。
俺一人が消えていれば、きっとそれには誰も気づかなかったに違いないけれど、陽菜乃と一緒だったのが災いした。
『あれ、日向坂さんいなくない?』
『トイレとか?』
『にしては長いよね』
『あれちょっと待って、志摩くんいないよ!』
『え、え、え、え、え』
『これもしかしてもしかする感じ!?』
みたいなことがあったらしい。
教室に戻ったときは変わらない空気に一安心したけど、作業を再開したときに樋渡から聞かされた。
あれみんな、何も気づいてません感を装っていたのかと思うとゾッとする。
「ちょいちょい」
堤さんを筆頭にアホ毛さんとぽわぽわさんが俺のもとへやって来て逃げ場を無くそうと囲んでくる。
「もしかしてもしかした?」
にやにやを隠し切れない様子の堤さんが代表してか、そんなことを言ってきた。
二人も似たような顔をしていらっしゃる。
「なにが?」
「とぼけないでよ。二人で抜け出してたでしょ? 告白とか、したんじゃないの?」
「いやいやしてないよ」
「文化祭前日の夜、二人で教室を抜け出してっていうのは中々良いシチュエーションだと思うけどなあ」
瞳をきらきら輝かせながらアホ毛さんが言う。
分からないけど、そうか、それはグッドシチュエーションなのか。もう全然ピンとこないな。もうちょっと勉強しないと。
「急にそんな雰囲気になっても勇気出ないだろ」
「いやいや、いざってときは勢いに任せることも大事だと思うわよ?」
ぽわぽわさんがぽわぽわした雰囲気で続く。
「絶対そういう空気になってたよね?」
「ほんとそれ」
堤さんとアホ毛さんが同意の声を上げる。
「お前ほんとにチンコついてんのか?」
「とびっきりの笑顔でドギツい下ネタ言うのやめてくれない?」
*
午後九時半を回ったところで、ようやく作業が一段落した。
さすがにこれ以上は明日に響くということで解散することになった。
まあ、壊れた大道具もおおよそ完成したし、あとは明日の朝にちょろっと手を加えれば問題ないだろう。
明日はいよいよ本番。
みんなどこか浮足立っている。
「よっしゃ、じゃあ今からオレんち集合な! オールナイトパーリーしようぜ!」
クラスの盛り上げ隊、お調子者の木吉大吾が友達数名にそう呼びかけていた。
いや寝ろよ。
「伊吹くんも来るだろ?」
「まあ、別にいいけど。いつも部活だからこういう機会も珍しいし」
「サイコー!」
「ウェーイ!」
「フゥー!!」
この時間でもあれだけ盛り上がれるのすごいな。疲れ知らずか。あれが体育会系の体力ってやつなのだろうか。
俺ももうちょっと体力つけたほうがいいですかね。
「こら男子! 夜遅いんだから、あんまり騒いじゃ迷惑よ!」
注意されてしゅんとなる男子御一行。子供か。
「それじゃあみんな、気をつけて帰ってね。明日、絶対成功させよう!」
「最高の一日にしよう!」
柚木と樋渡が締めの一言を言って、各々が帰路につく。といっても、電車組は駅まで一緒なんだけど。
わいわいと盛り上がるクラスメイトの少し後ろを、俺はゆっくりと歩いてついて行く。
自転車だから先に行くこともできたんだけど、なんだか一人離れていくのが寂しく思えて、名残惜しさを誤魔化すように気づけば俺はそうしていた。
去年は思いもしなかったな。
俺が知らないだけで、きっとこんな感じの風景があったのだろう。今さらそれを惜しむことはないけれど、今こうしてここにいられることを嬉しくは思う。
「どうしたの?」
そんなことを思いながら歩いていると、俺の隣にやってきた陽菜乃が顔を覗き込んできた。
「ん、いや」
考えていたことを言葉にするのは恥ずかしくて、俺は誤魔化す言葉を探す。
「なんか、こういうのも楽しいなって」
「そうだね。こういう時間も楽しくて、終わっちゃうのが寂しく思えるよ」
でも、と陽菜乃はさらに言葉を紡ぐ。
「それを超えるくらい、明日も明後日も楽しみかな。きっとすごく楽しいよ」
「……だといいな」
陽菜乃の言うとおり、きっと楽しいに違いない。秋名がいて、柚木がいて、樋渡がいて、他にもいろんな人がいて、そして陽菜乃がいる文化祭。
それが楽しくないわけがない。
けれど。
このときの俺はもちろん知る由もないことだけど、まさかあんなことが起こるなんて、思いもしていなかった。
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