第180話 星空を見上げて③


 日向坂陽菜乃は言うまでもなく美少女だ。可愛くて優しくて、気さくで気遣いで、誰にでも分け隔てなく接し、誰からも好かれる存在。


 もちろん男子の中には陽菜乃のことを異性として意識しているやつもいることだろう。

 知らないだけで、勇気を出して告白して玉砕していった勇者はごまんといるのかもしれない。


 そんな彼女と、どうやら俺はいい感じに見えているらしい。


 以前、クラスの女子にそんな話をされた。女子というのは面白がって話題に乗ってくるところあるから、そこまで鵜呑みにはしなかった。


 けど。


 さっき、男子も含めた数人からもそのようなことを言われた。一度ならず二度までもそういうことを言われるということは、少なからずそういうふうに見えているというのは本当なのではないだろうか。


 陽菜乃が。


 俺を、ねえ。


「……」


 日は沈み、空はすっかり暗くなって、見上げればちらほらと星がまたたいている。


 作業が一段落ついたところで休憩しようという空気になり、先程買ってきたおにぎりやらパンやらを各々食べ始める。


 俺もおにぎりを手にして、火照った体を冷まそうと廊下に出る。窓から顔を出しながら、おにぎりにパクつく。


 この時間になると、昼間の暖かさはなくなり肌寒さが目立つようになる。もう秋だなと感じざるを得ない。


 そんなことを言ってる間に冬がやってくるんだろうな。


 時間の流れというのはあっという間だ。楽しい時間はさらに過ぎるのが早い。


 二年生になったのがついこの前のように思うけど、あれからもう半年も経っている。


 気づけば秋を越え、冬になり、また春を迎える。その間、なにも変わらずにはいられないよな。


 例えば志摩隆之と柚木くるみの関係が少し変わったように。


 誰かによって変えられることだってあるけれど。


 あるいは、なにかによって変わることもあるけれど。


 できることなら――。


「どうかした?」


 ぼうっと空を眺めていると、後ろから声をかけられる。振り返らずとも誰なのかはすぐに分かった。これまで何度も聞いてきた声。


 それでも俺は、顔を見ようと振り返る。


「こんな時間に学校にいるのが珍しくて」


 部活もしていないし、委員会活動に対して積極的でもない俺はよほどのことがないとこんな暗くなる時間まで学校にいることはない。


 それを、この夜空を見上げることで感じていたのは事実だ。


 陽菜乃はおにぎりを片手に俺の隣にやってくる。小さな窓に二人並んでちかちか星が光る空を眺めた。


 じいっと夜空に浮かぶ点々とした星を眺める陽菜乃の横顔は、幻想的というか、どこか絵に描いたような非現実感があった。


 まるでこの世には存在していないように思わせるほどに美しく、手を伸ばしても届かないくらいに遠く感じた。


 まるで、またたく星のように。


「ねえ、隆之くん」


 しばらく夜空を見上げていた陽菜乃がこちらに視線を移す。薄暗い廊下だけれど、彼女の揺れる瞳はしっかりと見えた。


「ん?」


「……星がきれいだね」


 言われて、夜空を見る。

 真っ黒なカーテンに点々と光を垂らしたように、雲ひとつない夜空に星がきらきら浮かんでいる。


 きれいか。


 きれいだ。


「そうだね。きれいな星だ」


 俺がそう言うと、なにがおかしいのか陽菜乃はくすりと笑う。どうしたんだろうと俺は彼女を見ていたのだけど、その視線に気づいた陽菜乃ははにかむように口角を上げた。


「んーん。そうだといいなって」


「ん?」


 星はきれいだよな?

 そうだといいなってどういう意味だ?

 陽菜乃の言っていることは分からなかったけど、そんなのお構いなしに彼女はいつもの調子に戻る。


「ねえねえ、ちょっと抜け出さない?」


「え?」


「あの調子だともうちょっと作業しそうだし、盛り上がってるから再開はまだっぽいの」


 好きな女の子からの抜け出さないかという提案に、俺が分かりやすく動揺していると陽菜乃がさらに続けた。


 教室の中に意識を向けると、確かに随分と騒がしい。文化祭前日ということと、夜の学校というシチュエーションに気分が高揚しているのだろう。


 しかし、だからと言って抜け出すというのはどうなんだ。


 というか、抜け出してどこに行くんだよ。


 そんなことを頭の中でぐるぐると考えていると、陽菜乃は頬を赤く染めて、言いづらそうに視線を泳がせ、ちらちらと俺を見て。


 そして、意を決したように、耳元に顔を近づけてきてささやく。


「おにぎり一つだと足りなくて……」 


 ああね。



 *



 学校を抜け出して近くのコンビニに向かう。歩いて五分くらいのところなので、往復してもそこまで時間はかからないだろう。


 あの盛り上がりなら俺たち二人の姿がなくなったことになんか、気づかないかもしれない。


「ちがうんだよ? さっきはああ言ったけどデザートが食べたくなっただけで! 別に大食いとかそういうのじゃないから!」


「今さらそんなこと言われても」


 食い意地が張っている、というとちょっと違うのかもしれないけど食べるのが好きで結構な量を食すのはもう知っている。


 むしろ、それでこそってくらいだ。


「あー、いま心の中で笑ってるでしょ! こいつ相変わらずめっちゃ食うなって思ってる!」


「思ってないよ」


「感情がこもってないよう」


「別に思われててもよくない? 別にそれでなにかあるわけでもないじゃん。今さら笑ったりしないぞ?」


「乙女心的には複雑なの。なんかいっぱい食べるやつって思われたくないし」


「いいと思うけどね、いっぱい食べる女の子も。目の前でほとんど食べないよりは美味しそうに食べてくれる方が俺は好きだよ」


 ちびちび食べられるより美味しそうに食べてくれた方がこっちも美味しく感じるような気がするし。


「そんなこと言って」


「本心だよ」


 そんな話をしながらコンビニに到着する。陽菜乃はアイスクリームが置いてある場所へ向かった。

 まずそこなんだ。


「アイスを食べるにはちょっと寒いかな」


「この時間になるとね」


 さすがにもう夏服の生徒はいない。みんな長袖にカーディガンだったりブレザーだったりを着用している。中にはパーカーという個性あるファッションの人もいる。


「だよねえ」


 と、呟きながら慣れた足取りで向かった先にはおにぎりが並んでいた。結局食べるんかい、と思ったけど指摘すると意地になるかもしれないからやめておいた。


 思う存分、食べてくださいな。


「隆之くんはなにか買わないの?」


「んー」


 この時間だと家に帰っても晩飯はないだろうし、そう考えるとおにぎり一つじゃ物足りないか。


「俺もなにか買おうかな」


 おにぎりか。

 パンか。

 イートインはあるけど、そこでゆっくりなにかを食べるほどの時間はない。あくまでも食べながら帰れるくらいの、お手軽な食べ物。


「あ、シュークリームも美味しそう」


「デザート欲しかったんでしょ。シュークリームは買えば?」


「でもエクレアも美味しそうじゃない?」


「二つとも買えばいいのでは?」


「デザートは一つでしょ。なに言ってるの?」


「なにそのこだわり」


 真顔だから冗談ではなさそうだ。

 別にそんな決まりないんだから買えばいいのに、とは思うけど人それぞれ気にするところは違うしな。


「じゃあどっちか選ぶんだね」


「んんー」


 唸る陽菜乃を置いて、俺はレジの方へ向かう。さっき買い出しに来たときには買えなかった肉まんを買うことにした。


 肉まんを一つ買って先に店を出る。

 湯気を立てる肉まんを袋から取り出して、ぱくっとかぶりつく。ふわふわの皮から熱々の具が出てくる。しかしそれが美味い。


 はふはふ、と煙を吐いていると陽菜乃もコンビニから出てきた。どうやら買い物が終わったらしい。


「あ、肉まん! ずるい!」


 いや、ずるくはないだろ。

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