第175話 きみとふたりで②


 陽菜乃にリクエストを訊いたところ、意外にもラーメン屋という回答が返ってきて驚いた。


 女子だけだとどうにも入りづらい空気があるらしい。そんな空気あるだろうかと思ったけど、男子で言うところのクレープ屋とかパンケーキ屋だと言われて合点がいった。


 多分こっちが思っているほど周りはこっちのこと気にしてないんだけど、めちゃくちゃ視線気にしちゃうあの現象か。


 そんなわけで俺たちはラーメン屋にやってきた。味のこだわりはないらしく、たまたまあったお店に入った。

 メニューを見るとラーメンの種類はある程度揃っていた。おすすめは豚骨らしいけどどうしたものか。


「豚骨にしようかな」


 俺より先に決めた陽菜乃は軽い調子でそう言った。豚骨のこってり具合があんまり女子ウケ良くないように思っていたけど、そんなことないのだろうか。


「結構こってりっぽいけど大丈夫か?」


「大丈夫だいじょうぶ。おすすめって言うんだから間違いないだろうしね」


「ちなみに、こってりラーメンって食べたことある?」


「んー、どうだろ」


 そのレベルか。

 果たして、どのレベルのものが来るんだろうか。念のため俺は違うものにしておくか?

 俺は味噌でないなら基本的には何でも好きだし。味噌も特別嫌いなわけではないけど他に選択肢があるのにわざわざ選ばないってだけ。


 陽菜乃は豚骨ラーメン、俺は塩ラーメンを注文する。


 晩ご飯には少し早い午後六時。そのせいか店内はそこまで賑わっていない。俺たちはテーブル席に座り、ラーメンの到着を待つ。


「来週には文化祭本番なのかって思うと、準備期間はあっという間だったな」


「そうだね。隆之くんのおかげでなんとか劇も上手くできそうだよ」


「別に。俺はなにもしてないよ」


 しかし、今の陽菜乃には確かな自信があるようだった。思えばヒロインを任された当初は自信なさげにおどおどしていた。随分変わったもんだ。

 練習っていうのは嘘付かないんだな。勉強と一緒だ。


「隆之くんは他に係はないの?」


「うん。当日は成功を祈るだけだよ」


 大道具班や衣装班から、当日の裏方を任されている人もいる。照明だとか音響だとか、そういった類の役割だ。


 けど、俺はそれもない。

 別に断ったわけではない。ただ、やってみたいという声が多かったから譲っただけ。

 舞台に上がるのは緊張するけれど、裏方として最後まで劇の成功に貢献したい気持ちはあるのかもしれない。


「当日といえば」


 ふと、思い出したように陽菜乃がそう言ったところで「へいお待ちィ!」とタオルなのかなんなのか知らないけど頭に白いのを巻いた男の人がラーメンを二つ俺たちの前に置いた。


 ふわりと空腹を刺激するいいにおいが鼻腔をくすぐり、ぎゅるるとお腹が鳴った。


 その音は陽菜乃の方からも聞こえてきた。

 

「……食べよっか」


「そうだね」


 割り箸をパキッと割る。

 これが上手く割れないだけで一気にテンション下がるんだよな。

 陽菜乃はうきうきしながら割り箸を割り、上手く割れなくてむうっという顔をしていた。

 それを心の中で微笑ましく笑っていると、俺も失敗した。むう。


「いただきます」


 陽菜乃はレンゲでスープを掬い、そこに麺と具を適度に入れて、ふうふうと冷ましてから口に入れた。


 スープを見た感じ、やっぱり中々のこってり具合だと思うんだけど、陽菜乃はそんなの一切気にならない様子でラーメンを味わっていた。


 たまに忘れそうになるけど、食べるの好きな子なんだよな。気になんないか。


 無事、陽菜乃が豚骨ラーメンを食べたところで俺も自分のラーメンを啜る。


 あっさりした味で、ほんのり柚子の味がする。晩ご飯に食べるにはちょっとパンチが弱いような気もするけど、普通に美味い。

 これなら半チャーハンくらいならあってもいいかもしれないな。


 そう思い、メニュー表を手に取る。


「なにか追加するの?」


「んー、この感じだとちょっと足りないかなって。半チャーハンくらい食べようと思って」


 そうなんだ、と小さく言った陽菜乃は立ち上がってこちらに回ってきた。何事かと思ったけど、どうやらメニュー表が見たかったらしい。


「わたしも頼もっかな」


 足りないんですかそうですか。

 別に見終われば渡したのにわざわざ見に来なくてもいいと思うんだけど。

 そういう過度な接触は俺の中の勘違いを促進させるので気をつけてくださいね。


 こういうことがある度に、堤さんたちの言葉を思い出してしまう。陽菜乃にとって、俺が特別なのではないのかと思ってしまう。


 そうであればと思うけど、そうでなかったときのことを考えると、どうしても一歩踏み出せない。


 好きであることの自覚はすんなりと納得できたけれど、いざ告白を視野に入れたとき、やっぱり恐怖心が躊躇いを生んでしまう。


 ろくに恋愛をしてこなかったから、どういうふうにアプローチしていけばいいのか全然分からない。


「チャーハンと半チャーハンを一つずつ追加でお願いします」


 にこにこ笑顔で追加オーダーをした陽菜乃は元の場所に戻り、食事を再開した。



 *



「あー、美味しかった」


 店を出た俺たちは駅までの道を並んで歩く。この時間になると周りのひと通りは減るので、すごい静かだ。

 時折横を通り過ぎていく車の音と、正体不明の虫の鳴き声だけが聞こえるくらい。


 俺はわざとらしく咳払いをして、ふうと大きく息を吐いた。


 そして。


「文化祭当日なんだけど」


 一度は流れてしまった話題を掘り返した。いつかはしないといけないと思っていたことだ。

 さっき、陽菜乃がどういう意図で文化祭当日の話を切り出したのかは分からないけれど、もし俺と同じ考えだった場合、女の子から言わせるなんてさすがにダサい。


 梨子に知られれば罵詈雑言のオンパレードだろう。


「う、うん」


 陽菜乃は緊張した声で返事をした。

 切り出したはいいけど、どう話せばいいんだろう。見切り発車もいいとこだよ。


「一日目は劇本番もあるから忙しいと思うんだけど、二日目はなにか予定ある?」


 劇本番は一日目の午後。

 きっとそれまでは最終確認だなんだでドタバタするだろうから、ゆっくり過ごすことはできない。


 けど、逆に言えば二日目は完全フリーな一日なのだ。去年のようにシフトがあるわけでもない好きなだけ動き回れる日。


 そのうちの僅かな時間でもいいから、一緒に過ごせればなと思う。


「ないよ! なにもない!」


 ぴたと足を止めて、陽菜乃は大きな声を出す。数歩前に出てしまった俺は驚きながら後ろを振り返った。


「そ、そう」


 俺は乾いた唇を湿らせながら、今度はバレないように小さく深呼吸した。


「もし時間あるなら、ちょっとでもいいから一緒に過ごせないかなと思ってるんだけど」


 俺は今、どんな顔をしているだろう。

 緊張して強張っているならまだ全然いいけど、赤くなってたりニヤついていたりしてたら嫌だな。普通に気持ち悪い。


「それって、ふたりで?」


 試すように。

 躊躇うように。

 祈るように。

 縋るように。


 日向坂陽菜乃は瞳を揺らす。


 ごくり、と喉が鳴る。

 バクバクと動く心臓はまるで俺のものではないくらいに激しく動き大きな音を出している。


「二人で」


 この一言を言うだけで、これほどまでに勇気が必要になるのか。だとしたら、愛の告白なんてものをするのにはどれだけの勇気と覚悟が必要なんだ。


 一瞬、陽菜乃の動きがリモコンで操作されたように一時停止をしていた。俺の声届いてないのかな、と不安になったけど、次の瞬間にてててとこちらに駆け寄ってくる。


「うん。ふたりで回ろ!」


 そして、にぱーっと太陽のような笑顔を浮かべた。

 日は沈み、あたりはすっかり暗くなったはずなのに、不思議と明るく照らされたような気がした。

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