第174話 きみとふたりで①


 放課後はみんな部活だったりバイトだったり、あるいはプライベート的な用事があったりして、教室は閑散とする。


 そんな中、居残りして作業を進めるのも不平等だろうということで大道具班は放課後は今のところは作業なしということになっている。


 今のペースを保てば本番までには間に合うだろう、という堤さんのスケジューリングあっての決断だ。


 衣装班は分からないけど、演者の練習も放課後は自主練という形になっているそうだ。


 ということで、今日も今日とて俺は陽菜乃の練習相手になっている。

 陽菜乃はどうしても周りのことが気になって集中できないらしく、練習場所はカラオケになることがほとんどだ。


 まあ一日二時間程度なので、連続してもそこまで出費にはならないのが幸いだ。


「ふう」


 最近は陽菜乃が登場するシーンを重点的に行っている。セリフを覚えることも視野に入れて、陽菜乃は台本を閉じている。

 俺は覚えるつもりもないので台本を開いて、陽菜乃のセリフにミスがないかもチェックをしていた。


「結構いい感じになってきたな」


「そうかな?」


 凝り性なのか、心配性なのか、陽菜乃はやると決めたらとことんやるという感じで同じシーンを幾度となく繰り返す。


「ああ。セリフもほとんど間違えなくなってきてるし」


「隆之くんもいい感じだよね」


「俺は別に関係ないけどな」


 とはいえ、繰り返し何度も同じシーンを練習するので、ある程度のセリフは覚えてしまった。

 そんなつもりなくても頭に入るなら、もっと授業の方で発揮してほしいもんだな。


「でも、だいぶセリフ覚えてるくない?」


「まあ。全部ってわけにはいかないけどね」


「ねえねえ、ちょっと一回隆之くんも台本閉じてやってみようよ」


 わくわくした顔で陽菜乃がそんな提案をしてくる。その行動自体にはなんの意味もないけど、楽しく練習するのが大事だし、それが陽菜乃のモチベーションに繋がるなら付き合うか。


「いいけど。期待しないでくれよ」


「わーい」



 *



「すごーい」


 ぱちぱちぱち、と陽菜乃は目をきらきらさせながら拍手をする。そこまでされると照れるな。


「だいたい覚えてたね」


「覚えちゃってたね」


 驚いたことに、台本を閉じてもある程度のセリフを言えてしまった。陽菜乃がこう言ったらこのセリフ、という流れが自分の中でできあがっているらしい。


 逆に言えば、当然だけど陽菜乃と関わりのないシーンはてんでダメだった。


「これなら急に誰かが体調崩してもだいじょうぶだね」


「全然大丈夫じゃないんだけど」


 演劇に出る上で最も必要な舞台に上がる度胸を持ち合わせていないんだぞ。いくらセリフを覚えていても、いくら演技が上手くても、それがなければ意味はない。


「冗談だよ。でも、それくらいちゃんと覚えてたなって」


「まあ、ほぼ毎日練習に付き合ってるからね。陽菜乃こそ、もう完璧じゃないか?」


「いやいや」


 まだまだだよ、と陽菜乃はかぶりを振った。向上心のかたまりだな。


「もっかいやろっか」


「仰せのままに」


 そんな感じで俺は陽菜乃が満足するまでひたすら練習に付き合った。もしかしたら他の演者より練習してるかもしれない。なんてな。


 二時間の練習を終えた俺たちはカラオケを出て、いつものように駅までの道をゆっくり歩いていた。


 そのとき、スマホがヴヴヴと震えた。バイブが長いので着信だろうと察した俺はポケットから取り出して電話に応じる。


「もしもし?」


『あ、お兄?』


 梨子からだった。

 この時間の梨子、あるいは母さんからの電話は大抵帰りに買い物してこいか晩飯適当に済ましといてのどちらかだ。


「なんだ?」


『今からお母さんと出掛けてくるから、晩ご飯適当に済ましといてだってさ』


「金は?」


『テーブルの上に置いてる』


「分かった」


『よろー』


 プツッと上機嫌な梨子の声を最後に通話が切れる。

 これたまにあるんだけど、なんで俺は連れて行ってくれないんだろ。ちょっと待てば俺も帰るじゃん。

 とは思うけど、なんかの買い物に行くついでに飯を済ましてくるんだろう。買い物に付き合うのはかったるいので結果これが最善なんだよな。


「梨子ちゃん?」


「そう。晩飯ないから適当に食ってこいだってさ」


 わざわざお金を取りに帰るのも面倒だし、食べてから帰るか。帰り道に飲食店くらいいくらでもあるし。

 お金を置いているということは恐らく千円だ。ここは牛丼辺りで済ましてお釣りをいただくか。あるいは、美味しいもの食べるか。毎回悩む。


「どうするの?」


「帰りになんか食べて帰るかな」


 そうなんだ、と小さく言うと陽菜乃はおもむろにスマホを取り出してぽちぽちと触る。


「ねえねえ」


 スマホをカバンに戻した陽菜乃はてててと数歩前に出て俺の顔を覗き込む。


「じゃあさ、一緒にどこかに食べに行かない?」


 放課後に晩ご飯を食べに行くのが新鮮なのか、陽菜乃はにこっと笑顔を浮かべていた。


 あるいは……。


 俺は先日の堤さんたちとの会話を思い出して、すぐにふるふると振り払った。

 そうだとは思えないし、仮にそうだとしたら意識して上手く接することができなくなる。


 無心でいこう。


「家にご飯あるんじゃないの?」


「今日は食べて帰るって連絡したからだいじょうぶ」


「そういうことなら、じゃあどこかに食べに行こうか」


「うんっ」


 こういうささやかな出来事でさえ嬉しく思えてしまう。景色が変わるという表現は、あながち間違いでもないのかもしれないな。

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