第172話 友よ、幸あれ⑤


「ねえねえ隆之くん、これ食べたい!」


「隆之くん! あっちに美味しそうなのあるよ!」


「二人で逆の方に行こうとしないでくれ!」


 グラウンド。

 並ぶ屋台から風に乗ってやってくる空腹を刺激するいいにおい。どうやら、この屋台は地元の人たちによるものらしい。


 文化祭を盛り上げようと毎年参加するのだと、沢渡くんが言っていた。夏祭りなんかの屋台と同じようで、自然と楽しい気持ちになる。


「あ、見てよあそこ! クレープだって!」


「あれ、あそこにあるのってもしかしてチョコバナナかな!? これは行くしかないよね!」


「だから順番に言ってくれ!」


 そんなグラウンドの真ん中。

 俺は女子二人に翻弄されていた。


 そんなとき、ふと思い出す。

 なにがきっかけでもなく、突然脳裏に蘇る。


「……あ」


 あのギャルって、もしかして。


 

 *



「それじゃあ、僕、友達が待ってるので」


「あ、待って」


 可愛い女子生徒だなと思いつつ、大丈夫そうなので沢渡のところに戻ろうとした僕の手を彼女が掴む。


「えっと、なにか?」


「あなた、この学校の生徒じゃないわよね?」


「そうだけど」


 フランクな彼女の態度に、こちらの警戒も解ける。言葉遣いも自然と柔らかくなっていた。


 不思議な人だな。


「よかったら少しお話しない?」


「いや、でも人を待たせてて」


「なら、その人のところに行くまでで大丈夫だから」


「そういうことなら、まあ」


 美少女の隣というのは少し緊張する。

 もちろん、日向坂やくるみだってそうだけど、あいつらは友達だから緊張とかはしない。


 見ず知らずの美少女ほど、緊張する相手はいないね。


「名前は?」


「僕は樋渡優作。そっちは?」


「私は」


 すう、と小さな唇が息を吸う。

 じっと見ていると思わず吸い込まれそうになる艶かしさがそこにはあった。


「榎坂絵梨花よ」


 にこ、と笑って彼女はそう言った。

 この子はこの笑顔で一体どれだけの男を手玉にとってきたのだろうか。


 こんな可愛い女の子に優しくされようものなら、日向坂と知り合ってなかった志摩くらいならコロッと落ちちまうんじゃないかな。


「榎坂さんはこの学校の生徒なのか?」


「そうよ。二年五組。メイド喫茶をしてるから、よかったら来てよ」


 二年五組がそうかは分からないけど沢渡のクラスの催しはメイド喫茶だった。

 もしかして、目的地は同じか?


「もしかして、同じクラスに沢渡っている?」


 僕が言うと、まるで手品でも見せられたように彼女は目を丸くして驚いた。


「いる、けど?」


「僕の友達はそいつなんだよ。そういうことなら、これから僕が向かうのは二年五組だよ」


「そうなんだ。奇遇だね」


「榎坂さんみたいな綺麗な人のメイド姿が見れないのは残念だな」


「ホントに思ってるぅ?」


「百パーセント本心だって」


 そんな感じで話していると、気づけば二年五組に到着していた。多分、時間にしてみれば五分もなかっただろう。


「道案内助かったよ」


「そんなつもりはなかったけどね」


 手を振る榎坂さんと別れて、僕は一人で座っている沢渡のところへ戻る。


「長かったな。うんこか?」


「そうだよ。めちゃくちゃでかいのが出た」


「自分のクラスの喫茶店の中で一人待つのは中々に辛かったぞ」


「それは素直に悪かった。ちょっとアクシデントがあってな」


「なんだそれ」


 とは言いながらもそれ以上の言及はしてこなかった。ただただ興味がなかったのか、それとも踏み込むべきラインを自分なりに持っているのかは分からない。


 萌え萌えキュンで美味しくなったカフェオレをズズーっと飲んで、僕は一つ気になったことを口にする。


「なあ、沢渡」


「ん?」


「お前が好きな人ってさ」


「うん」


 そのとき。


 ちょうど裏の方から榎坂さんがメイド姿で登場した。わざわざここに戻ってきたのはシフトがあるからだったのか。


 彼女が出てくると、教室の中にいたお客(主に男連中)がおおおおと感心と興奮の声を漏らした。


 別にスカートが短いわけでもなく、胸元が開いているわけでもない。袖が短いわけでもなく、ましてお腹とかが露出しているわけでもない。


 そんな極々シンプルなメイド服姿だというのに、そこにいるのはまるで人形とでも思えるような芸術的な容姿。


 誰もが彼女に見惚れていた。

 そして、追加オーダーをしようと次々に手を挙げ始める。


 そんな中、僕は彼女を指差し、言う。


「あの子?」


「……ああ」


 僕が指差したとき、一瞬こちらを見た彼女と目が合ったような気がした。

 


 *



「なんかめちゃくちゃ疲れてんな」


「……まあ、いろいろと」


 昼過ぎ。

 沢渡くんはクラスの出し物のシフトがあるらしく、戻っていったらしい。

 そんなわけで樋渡と合流したのだが、俺を見た第一声がそれだった。


「逆にお前らはなんでそんなご機嫌なんだ?」


「まあ、いろいろと。ね?」


「うん」


 樋渡に言われた柚木と陽菜乃はにっこり笑顔で元気よく答える。

 グラウンドの屋台であちらこちらに連れ回されたあとも、目につくクラスの催し物に参加していき、今に至る。


 さすがに疲れた。


「志摩もこんなだし、そろそろ帰るか」


「俺は別に大丈夫だけど?」


「いやいや、十分楽しんだし満足だよ。お前らは?」


「満足です」

「文句なしです」


「だってさ。よかったな、志摩」


「そだね」


「ちなみにお前は満足したか?」


「十二分に」


 そんなわけで少し早いが帰ることになった。聞くところによると樋渡はこれからアルバイトがあるらしい。


 駅までの道で、樋渡が思い出したように話を切り出す。


「そういや、沢渡の好きだって人見たぞ」


「ほんとに? どんな人だった? 可愛かった?」


 興味津々な柚木がそう尋ねると、樋渡はその女の子を思い出してか、ふふっと笑った。


「あれは可愛い女の子だったよ。クラスでも一位二位を争うレベルだったな。それこそ、日向坂やくるみにも引けを取らない」


「遠回しな褒め言葉ありがと」


 陽菜乃や柚木がクラスでも一位二位を争うレベルの女の子だって言ったようなもんだしな。


 なんでそんな発言をスマートに、なんでもないように言えてしまうの?

 それに対して、なんで照れることなく喜ぶことができるの?


 樋渡も柚木もさすがとしか言いようがない。


「脈アリな感じだったのか?」


 俺が訊くと、樋渡の表情は少し曇る。


「どうだろうな。二人が絡んでるところを見たわけじゃないから。率直な感想を言うなら、あんな女の子が沢渡を好きになるとは思えないな……美人局じゃないけど、そういうのを疑っちまう」


 俺も似たような被害を受けているので、そんなことないだろとは言えなかった。


 ただただ、俺のような思いをする人間が一人でも減ればいいのにと思うだけだ。

 沢渡くんの恋が上手くいけばいいのに、とここで願うことしかできない。


「けど、人生なにが起こるか分かんないからな。もしかしたらもしかするかもしれない。僕はそれを願ってるよ」


 きっとそれは本心で。

 心の底からの言葉で。


 友達の幸せを本当に願える樋渡優作は、やっぱり良いやつに違いない。俺は小さく笑う樋渡を見ながら、そんなことを思った。

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