第167話 放課後のカラオケ④


 俺にとっては無視できない過去。


 秋名梓にはひょんなことがきっかけで話すことになったし、柚木くるみには話さなければならない状況に陥った。


 であれば、日向坂陽菜乃にも話しておくべきかもしれない、というのは薄々思っていた。

 けど、別に面白い話ではないし興味がない可能性だってあるわけで、俺はタイミングを見計らっていたのだけれど、まさか陽菜乃の方から訊いてくるとは。


 中学三年生のとき、好きな人がいたこと。思い切って告白をしたら、騙されていただけだったこと。勇気を出した行動を周りに笑われたこと。俺は過去の出来事をすべて話した。


「……そう、なんだ」


 最後まで話し終えたとき、陽菜乃はふっと顔を伏せて目を細める。なにを考えているのか、その表情はいつにも増して真剣だ。


 ふう、と息を吐いて顔を上げたときにはいつもの表情に戻っていたけど。


「なんでそんなことするんだろうね」


 極めて明るく努め、陽菜乃はそんなことを言う。


「楽しいんだと思うよ。話を聞いてると、高校でも似たようなことをしてるらしいし」


 本当に残酷なことだと思う。

 男にとって女の子というのはいつだって特別だ。優しくされれば簡単に好きになってしまう。

 それが仲のいい女の子がいない男子ならばなおのことだ。それをいいことに、わざとそれっぽい行動を取ってその気にさせる。


 そして、その行動を見て楽しむ。


 ギリっと、気づけば歯を食いしばっていた。

 今、どこかの学校で榎坂の標的になっているのは、俺の知らないこの先知ることもないであろう男子だ。

 本来であればその男子がどうなろうと知ったこっちゃないんだろうけど、同じ被害者だと思うと心が痛む。


 かといって、じゃあどうすればいいんだって話なんだけど。


「隆之くん、顔こわいよ?」


 そんなことを考えていると、陽菜乃が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。そこでようやく我に返った。


「ご、ごめん」


 とりあえず謝ってみたけど、陽菜乃は優しく微笑みながらかぶりを振った。


「んーん。いろいろあったし、考えちゃうのは無理もないよ」


「なんとかして止めさせたいんだけどね。そもそも関わりがないから難しいんだけど」


「仕返しがしたい、とかじゃないんだ?」


 どちらからでもなく歩き出し、俺たちは再び駅の方へ向かい始める。しかし話は終わらず、陽菜乃は続けてそんなことを言った。


「仕返しすることに意味はないから。大事なのは被害者を増やさないことなんだよ。まあ、難しいんだけどね」


「そうだね。わたしもなんとかしてあげれればいいんだけど、どうしようもないかな」


 俺でさえどうしようもないのだから、陽菜乃になにかできるとは思えない。けどそれでいいんだよ。陽菜乃はこんな一件に関わるべきじゃない。


「気持ちだけ受け取っておくよ。これ以上榎坂とは関わらないのが一番だし」


「……そう、だよね」


 小さくつぶやいた陽菜乃の言葉は、まるで自分にそう言い聞かせているようだった。

 それが正しいんだと、思い込むようだった。



 *



 帰り道、俺たちは久しぶりに広海さんのケーキ屋に寄ることにした。

 陽菜乃の行きつけのケーキ屋で以前教えてもらってから、俺もたまに一人で寄ることがあった。


 けど、陽菜乃と二人でこうして来るのは随分と久しぶりな気がする。


「こんにちは」


 カランコロン、と音を鳴らして扉を開けた陽菜乃がレジに立っていた広海さんに挨拶をする。


 俺たちの顔を見るなり、広海さんは楽しげににたりと笑う。


「おや、おやおや。久しぶりだね二人とも。デートに忙しくてこの店のことなんてもう忘れちゃったのかと思ってたよ」


 開幕一番にそんなことを言ってくるんだから、本当にたちが悪い。


「付き合ったんならちゃんと報告してくれないと困るぜー?」


「付き合ってません!」

「付き合ってないよ!」


 からかいモードな広海さんに俺と陽菜乃のツッコミが重なった。それがまた面白いのか、広海さんは「息もぴったりじゃん」とさらに笑う。


「まだ付き合ってないのかよ。オレが高校生のときなんて告白まで一週間もかけなかったぞ?」


「女ったらしの人と隆之くんを一緒にしないでくださーい」


 わーわー、と耳を塞ぎながら、陽菜乃はショーケースに並ぶケーキの物色を始める。


「……、ね」


 そして、広海さんは俺の方を見てくる。


「志摩クン、最近来てくれなかったから寂しかったよ?」


「夏休みだったんで……なかなか外出る気が起きなくて」


 すんません、と頭を下げると、広海さんは「若者だなぁ」と感心しているのか分からないリアクションをする。


 久しぶりに顔を出しても、そう思わせない広海さんの距離感の測り方はやっぱりすごいと思う。

 まるで、つい先日に会ったような気分にさせられるのだ。そりゃマダムに人気あるよ。


 今日も相変わらず、イートインにお客さんはいないけど。


「お手洗い借りますね!」


 ケーキを選び終えたのか、陽菜乃はそう言ってトイレの方へスタスタ歩いて行ってしまう。


 その間にせっかくだから俺もケーキ選ぼ。


「志摩クン的には陽菜乃ちゃんは恋愛対象には入らない感じ?」


 陽菜乃がこの場を離れると、広海さんが興味深々な様子で訊いてきた。

 たしか、陽菜乃とは幼馴染レベルの付き合いらしいし、そういうのも気になるか。


「いや、そういうわけじゃ」


「もう結構一緒にいるんじゃないの? 早くしないと、誰かに取られると思うよ? ほら、陽菜乃は見た目だけは良いから」


「性格も良いですよ。だから、それは困りますね」


 俺が言うと、広海さんは目を丸くして驚いた顔をする。


「どうかしました?」


「いや、なんかこう、志摩クンも変わったなと思って」


「まあ、いろいろありまして。変えてもらいました」


「そうかい。まあ、頑張りなよ。それと、上手くいったらちゃんと報告しに来いよ? お祝いのケーキくらいはご馳走してあげるからさ」


 そう言って、広海さんはお兄ちゃんのような笑みを浮かべた。


「なんの話?」


 トイレから戻ってきた陽菜乃が、俺と広海さんの様子を見ながら首を傾げる。


「志摩クンの好きな子の話だよ」


「はえッ!?」


「嘘だよ。普通にケーキの話」


 広海さんは動揺する陽菜乃を見て、くつくつと楽しそうに笑う。そんな広海さんを陽菜乃がぽかぽかと叩いた。

 もうレジの方にまで入ってるけど特になにも言われない。なんでもありなお店だな。


「また来てねー」


 ケーキを買い終え、俺たちはお店をあとにする。外に出た頃にはすっかり日は落ちていた。


「今日はありがとね」


「いや、楽しかったし」


 駅の方までゆっくりと歩く。

 俺が言うと、陽菜乃は「ほんとに?」と嬉しそうに笑った。


「わたしも、こんな練習なら毎日でもいいかもって思っちゃった」


 心臓が跳ねる。

 そんなことを言われて喜ばないわけがない。ゆるむ口元をきゅっと結びながら、俺は顔を背ける。


「そうだね。俺もそう思うくらい楽しかったよ」


「……そ、か」



 *



 びっくりした。

 まさか、あんなこと言われるなんて。


 びっくりしすぎて、うれしすぎて、上手く言葉が出なかった。

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