第166話 放課後のカラオケ③


 しばらくの間、俺と陽菜乃は台本の読み合わせをした。とりあえずざっくりと流れを把握する意味でも、さっと流しながら最初から最後まで読んでみる。


 陽菜乃はヒロインの水瀬千波のセリフを、それ以外の役はすべて俺が担った。

 といっても、台本を見ながらなので別に大変ということもない。


 サブキャラとの絡みもあるけれど、やっぱりシナリオのほとんどはヒロインとのシーンなので、陽菜乃の出番は多くなりそうだ。


「どう?」


 ひと通り読み終わったところで、とりあえず今のところの感想を訊いてみた。


「ううん」


 陽菜乃は唸った。

 眉間にしわが寄っているし、大変だと思っているということは確認するまでもなかった。


「セリフ全部を覚えれる気がしないよ」


 自信なさげにこぼした言葉は陽菜乃の一番の不安なのだろう。けれど、演劇の経験がない以上、そう思うのも無理はない。


「最初はそんなもんだよ。けど、練習すれば覚えれると思うよ」


「どうしてそう言い切れるの?」


「覚えれるまで練習すればいいから。俺も付き合うから、一緒に頑張ろう」


 俺が言うと、陽菜乃はおかしそうにふふっと笑った。俺なんかおかしいこと言いましたか?


「なに?」


「いや、すごい根性論だなと思って。隆之くんってそういうこと言うんだね」


「勉強と一緒だよ。口にしてないだけでそういうふうに考えるときもある」


「けど隆之くんの言うとおりだし、がんばるしかないね。ちゃんと最後まで責任持って付き合ってよ?」


「ああ」


 ここまでで入室から一時間程度が経過していた。さすがにずっと読み合わせをしていたので少し疲れた。


 それは陽菜乃も同じらしく、休憩する流れになった。空になったコップにジュースを注ぎに行き、部屋に戻ると陽菜乃がやけにそわそわしていた。


「どうかした?」


「んーん、なんでも」


 とは言うものの、明らかになにか言いたげだ。ちらちらと時折視線をどこかへ送っていて、それを辿るとカラオケの機械であることが分かる。


 ああ、なるほどね。


「ちょっと休憩したいし、気分転換にカラオケでもしたら?」


 さっき提案したときに断ったこともあって、自分からは言い出せない感じかな。

 そう思い、俺は軽い調子でそう言ってみた。


 すると。


「で、でもわたし、ほら、あんまり上手くないし……」


 もにょもにょ、と指と指をつつき合わせながら恥ずかしそうに陽菜乃が言う。


 陽菜乃の歌を聴いたのは去年のクリスマスの一度だけ。たしかに上手くはなかったけど、音痴というほどでもない……こともなかったか。


「気にしないでいいのに。聴かれたくないなら、俺はちょっと外に出とくよ」


 気にしているところ、カラオケ自体は嫌いじゃないのだろう。それがストレス解消になるのなら、それはやっぱりやるべきだ。


 俺が出ていき、それで陽菜乃が気持ちよく歌えるなら喜んでこの場を去ろうではないか。

 よっこいしょ、と立ち上がって出て行こうとした俺の腕を、陽菜乃ががしっと掴む。


「そ、そこまではしなくていいよ」


「……でも、人前だと歌いづらいんだろ?」


「隆之くん、笑わないって約束してくれる?」


「俺はそんなことでは笑わないよ」


「そう、だよね」


 小さく呟いて、陽菜乃は俺の腕を掴んでいた手を放した。自由になった俺は果たしてどうすればいいのか。


「じゃあ、ここにいて」


「……わかった」


 歌を聴くことを許可された俺はイスに座り直す。陽菜乃は機械を楽しそうにいじりながら鼻歌をハミングしていた。


 その鼻歌も、やっぱりちょっと個性的に思えたけれど、楽しそうな彼女を見ているとそんなことはどうでもよく思えた。


 そして、陽菜乃が入れた曲が流れ始める。タイトルは『ヘビーローテーション』で、どうやら人気のアイドルグループの曲らしい。

 曲は知らないけど、そのアイドルの名前はさすがに聞いたことがあった。


 楽しげなイントロが流れると、陽菜乃はそれに合わせて足をパタパタと動かした。

 そして、個性的な歌声を発揮する。


 よくよく考えると、友達とカラオケに来る経験がなかった俺はこういうときどうしていればいいのか分からなかった。


 陽キャのようにウェイウェイ言って盛り上げるスキルは俺にはないし、スマホ触ったりしてあからさまに興味なしって態度も絶対違うだろう。


 分からなかったので、とりあえず手を叩いておくことにした。


 楽しそうに歌う陽菜乃は、やっぱり可愛かった。



 *



 カラオケを楽しんだあと、もう一度台本を軽く読み合わせたところで今日のところは終わりにすることにした。


 部屋を出て、精算をしようとエントランスまで戻ったところで俺は足を止めた。


「どうしたの、隆之くん?」


 俺が止まったことに気づいた陽菜乃が、数歩先でそんなことを言った。けど、俺の視線はそちらには向かず、ドリンクバーのエリアに釘付けだった。


 

「あれ、志摩じゃん」



 ドリンクバーで友達と楽しげに話していたそいつが、俺の存在に気づく。

 笑っていた顔はすうっとつまらなさそうに表情を失う。嫌なら気づかなければいいのに、どうしてわざわざ関わってくるんだよ。


「なに、シカト?」


「……別に、そういうんじゃ」


 想像より声が震えていた。

 やっぱり、本能的に俺はこいつのことが苦手らしい。あのときのことが嫌でも蘇る。


 ふう、と深呼吸をしてから、俺はもう一度そいつを見た。


「あれ、どっかで見たような」

「あれよ、絵梨花の被害者クン」


 そいつの後ろで見覚えのある量産型ギャル二人がひそひそと喋りながら俺を見て笑う。


「あんた、カラオケとか来んのね」


 榎坂絵梨花は、相変わらず人をバカにしたような薄ら笑いを浮かべながら言う。

 

「悪いか?」


 今度はちゃんと声が出た。

 体をこわばらせていた緊張もだいぶ落ち着いてきたようだ。


「悪いわよ。あんたみたいなやつが視界に入ると不快な気分になるじゃない」


「そういうこと言うの、そろそろやめたらどうだ。言った側は明日には忘れてるかもしれないけどな、言われた側はずっと覚えてるんだぞ」


「うっざ。志摩の分際で説教とかしてくんなっつーの。もういいや、行こ」


 榎坂はそう言って、ギャル二人を連れて行ってしまった。


 あいつがどこの高校に行ったかは知らないけど、一応この辺はあいつの家の近くでもあるわけだ。

 イオンモールで遭遇した過去もあるし、有り得ないことじゃないのか。


「隆之くん?」


 俺と榎坂の様子を見ていた陽菜乃は心配そうな声を漏らしながら駆け寄ってくる。


「ごめんね、なんかよく分かんないから入らないほうがいいかと思って」


「それでよかったよ」


 榎坂の矛先が陽菜乃に向かってしまうのは本当に勘弁してほしい。俺と榎坂の問題に、他の人を巻き込みたくはないから。


「あの人は?」


「中学のときのクラスメイトだよ」


「中学のとき……」


 陽菜乃は呟き、神妙な顔つきになる。そして、そのまま「とりあえず、お会計済ましちゃおっか」と言って精算機へと向かった。


 カラオケから出て、陽菜乃と駅まで歩く。その道中、陽菜乃はずっと難しい顔をしていた。


 そして、ついに彼女は足を止めてしまう。


「どうかした?」


「……さっきの人とのこと、訊いてもいい?」


 真剣な表情で、揺れる瞳で俺を見る陽菜乃。

 まあ、さっきの俺と榎坂を見ればただのクラスメイトって感じではなかったことは何となく察するだろうな。


「別に面白い話でもないけど」


「それでもいいよ。話してくれるなら」


 唇を湿らせ、話し始めた俺の脳裏に蘇ったのは、今でも鮮明に思い出せるあの日の光景。


 陽菜乃は俺の話が終わるまで、ずっと難しい顔をしていた。

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