第164話 放課後のカラオケ①


 九月も半ばに入ると文化祭で披露する演劇の練習にも気合いが入ってくる。

 というのも、ようやく台本が完成したのである。これからは各々、いよいよ役の練習が開始できる。


 俺たち大道具はおおまかにこういうのは必要になるだろう、というものを造っていたけど、ついに本格的にイメージに沿ったものを造り始めれる。


 六時間目のホームルーム。

 完成した台本がクラスメイト全員に配られる。みんな、配られた台本を黙々と読み進めた。


 ちなみに、俺は『君のいる夏景色』という作品を観たことはない。どういう話なのかも知らない。ざっくりとした情報さえもない。

 強いて知っている情報を上げるならば、それは『舞台が夏』ということだ。


 それも確信があるわけではなく、タイトルからそうなんだろうなという予想をしているだけだ。


 そんなわけで、俺はこのとき初めて自分たちのクラスが行う劇の内容を知ることになる。


 舞台は海の見えるとある町。

 そこに都会から引っ越しをしてきた鳴海透真が主人公だ。

 透真は登校した先で町の有名人である水瀬千波と出会う。千波は水泳で好成績を残しており、周りの人間から期待を寄せられている。

 陽菜乃はこの水瀬千波を演じることになるのだろう。


 階段から落ちそうになっていた千波を庇って透真が怪我をし、入院するところから物語は始まる。


 原作というか、映画自体がどれほどの尺でどういう内容を行ったのか知らないので、どれくらい内容をカットしたのかは分からない。


 けど、読んでいる限りだと変な矛盾点や不明点はない。内容は理解できる。これは雨野さんの実力あってのことなのだろうか。


「いい感じだね。内容は問題ないし、練習次第ではいいとこまでいくんじゃない?」


「いいとこって?」


 俺が反応すると、秋名は相変わらず信じられないとでも言うような顔をする。


「去年、文化祭ちゃんと来た?」


「仮病の理由が思いつかなかったから、一応登校はしたよ」


「閉会式で表彰あったっしょ?」


「表彰?」


 そんなのあったっけな、と俺は薄い薄い昨年の記憶を思い出す。すると出てくるのは教室で一人でいた光景だけで、それ以外がほとんど記憶ない。


 閉会式も校長の話が相変わらず長かったことしか覚えてないな。というか、文化祭という楽しいイベント故に校長も興が乗ったのかいつもより長かった気さえする。


「……してたか?」


 俺は眉をひそめる。

 秋名はやはり盛大な溜息をつくだけだった。


「うちの学校の文化祭は閉会式で好成績を収めたクラスが発表されるんだよ。そこで選ばれたクラスはいろんなご褒美があるんだよ」


「へえ」


 そんなのあったんだ。

 言われてもう一度思い出そうとしてみたけど、やっぱり微塵もその記憶は出てこなかった。

 去年の俺、どんだけ気持ち切ってたんだよ。


「ご褒美ってどんなのがあるんだ?」


「さあね。他言無用のルールでもあるのか分からないけど、確定的な情報は出回ってないらしいよ。あるいは現実味のないご褒美が実際に与えられているのかも」


「すごいんだな。いろいろと」


 ともあれ、質のいい脚本が完成したのは確かなので、そういうシステムがあるのならクラスの士気はさらに高まることだろう。


「気になる点とか、分からないことがあったらなんでも言ってね。改善するから」


 教卓に立つ柚木がみんなに向けて言うと、クラスメイトは「はーい」と小学生のように声を揃えた。


 そこからはそれぞれのセクションに分かれての作業を進めることになった。


 俺は大道具班に合流する。


「小物もいろいろ作ってったほうがいいよね?」


 樋渡が脚本をじいっと見つめる女子生徒、堤真奈美に声をかける。

 茶髪のロング、前髪をカチューシャで上げておでこを出しているチャーミングな女の子だ。

 視力が悪いのか黒縁のレンズ大きめなメガネをかけている。


 ちなみに、どうしてクラスメイトの名前をロクに記憶していない俺が彼女の名前を知っていたのかというと、大道具班が最初に集まったときに『改めまして、大道具班のリーダーを任されました、堤真奈美です。よろしくぅ』と挨拶をしたからだ。


 彼女は大道具班のセクションリーダーであり、進捗具合をクラスリーダーである柚木に伝えるという大きな役割がある。


「そだねー。なにがいるかピックアップしてこうか」


「志摩も手伝ってくれ」


 手持ち無沙汰気味だった俺は樋渡に呼ばれてそちらへ向かう。なにしていいか分からなかったのでちょうどいいか。


 俺は堤さんと向き合うように樋渡の隣に座る。


「台本を最初から読んでいって、これ必要かなって思ったものをとりあえず全部書いてって」


「オッケー」

「うす」


 大道具、と言いながら小道具も担当してしまっている。まあ人数も十人程度いるし、分担すればなんとでもなるだろう。


「個人的な感想というか、意見なんだけどさ」


 ぺら、ぺら、とページを捲りながら堤さんがそんなことを言い出した。樋渡はそれに「なんだ?」と反応する。俺は特にリアクションはないまま耳だけを傾けた。


「透真役は伊吹くんになったでしょ?」


「ああ。投票というか推薦で」


 伊吹真澄。

 クラスメイトで三人のイケメンを選出するようなことがあれば確実にランクインするであろう、誰もが認めるイケメンである。

 カリスマ性もあり、人望も厚い。それでいて謙虚で周囲のバランスを上手くコントロールする技量さえも持ち合わせる完璧超人。


 話したことはあまりないけど、挨拶はしてくれる。女だったら惚れてしまっていたかもしれない。


 そんなクラスの人気者である彼が、クラスメイトから推薦されたのは極々自然な流れだった。

 本人的にはどういう感想を抱いていたのかは分からないけど、性格的に断れなかったのは確かだろう。

 あれが空気を読むというやつかね。


「それがどうかしたのか?」


「私はさ、大人の事情のために役柄にあってもいないメンバーを選ぶ映画が好きじゃなくてね。とりあえずジャーニーズを起用する監督とか鼻で笑う」


「つまり?」


「伊吹くんは文句なしにカッコいいけど、透真役に適しているかと言われたらうーんって感じなんだよね。もちろんあの空気の中で反対意見を口にするなんてできなかったし、仕方ないかなって割り切ってはいるんだけど」


 鳴海透真はどこにでもいる普通の男の子、という設定だ。特別イケメンではないし、かといってブサイクでもない。

 得意なことも好きなことも別にない透明な少年だ。


 そこを比べると確かに伊吹とは異なる点が目立つ。なにより、地味な印象のはずの鳴海透真と伊吹真澄は真逆のところにいる。


「言いたいことは分かる。けど、どこにも悪いやつがいないからな。クラスメイトは良かれと思って言ってるし、伊吹本人的には皆がそこまで言うならって感じだし。その決定にそういう意見を持つものは一定数いるだろうけど、あの空気感で否定意見を口にするのは厳しかったのも確かだ」


 だから。


 方針を変えるつもりはないし、波風立てるつもりもない。けどそういう愚痴というか本音は聞いてほしい。


 そんな感じかな。


「私としては志摩とかがいい感じだと思ったけどね? 役柄に合ってると思うよ、いい意味で地味だし」


 いい意味で地味ってなんだよ。


 にひ、と笑いながら堤さんは俺を見た。脚本から顔を上げて、俺は精一杯嫌そうな顔を見せた。


「そんな顔しなくても」


 そう言いながら堤さんはケタケタと笑った。まあ、俺がどう思っていようと、キャスティングはもう変わらない。


 俺は大道具班としての役割を果たすだけだ。

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