第163話 二人きりのランチタイム


『悪いな。今日は文実の集まりがあるからそっちで食うんだ』

『そんなわけだから、ごめんね』


 昼休み。

 樋渡と柚木はそう言って忙しなく教室を出ていった。クラスの催し物についていろいろと纏める仕事に加えて実行委員としての仕事もあるのだから実に大変だ。


 どうしてそんなに面倒な仕事を自ら引き受けたんだと訊いたところ、柚木は『そっちの方がいっぱい楽しめるじゃん』と答えた。

 たしかにその通りではあるんだけど、だとしても凄いなと思う。


『私も部室で部活の後輩と食べる日だから行ってくる』


 秋名もそう言って教室を出ていった。たしかに時折、そういう理由でいなくなる日はあった。

 キャラに似合わず気を遣えるし、後輩からは慕われているのかもしれない。


 そんなわけで。


「えっと、どうしよっか?」


 俺は陽菜乃と二人になった。

 これまで二人になる機会はそこまでなかった。誰かがいなくても、誰かはいたからだ。


 陽菜乃がどうしたものかと口にする。それは一緒に食べる? それとも別々で食べる? みたいな意味だろうか。


 一人で食べることを苦とはしていないけれど、せっかく一緒に食べれる機会を自ら放棄するのはバカバカしい。


「たまにはこういうのもいいんじゃないかな」


「……そうだね」


 不思議な空気感の中、陽菜乃は秋名の席に座りこちらを向く。俺の机に二人分の弁当を広げて昼食の準備を進める。


 周りから時々視線を感じるのは気のせいではないだろう。しかし、まるで檻の中の動物を眺めるように、こちらに触れてくるようなことはない。

 あくまでも外から傍観しているだけ。ある意味、一番たちが悪い。


 陽菜乃はこの視線に気づいているんだろうか。


「結局、隆之くんは演劇に出てくれなかったね?」


「宣言通りだけど」


 演劇の内容は『君のいる夏景色』という作品に決まった。ヒロインは日向坂陽菜乃で決まっていたが、それ以外はまだだった。


 しかし、次のホームルームでトントン拍子に決まった。おそらく仲間内で打ち合わせをしたのだろう。


 もちろん、俺は以前言ったように演劇に出るつもりはなく、大道具班に回った。


 ちなみに秋名は衣装。

 樋渡は一応大道具。

 

 柚木はなんと演劇に出ると言い出した。文化祭実行委員に加えて演劇に出るのは中々にハードスケジュールではないかと心配になった俺は訊いてみた。すると『せっかくの文化祭だし全力で楽しまないとね。心配しないで、迷惑はかけないから』とお決まりになりつつあるセリフを口にした。


 脚本に名乗りを上げたのはなんとタレ目さんこと雨野さんだった。夏休みを挟み、久しぶりに顔を見たけど相変わらずマスクしたままだった。

 実はまだ一度も素顔を見たことがない。


 脚本が仕上がれば、練習もいよいよ本格的に始動となるだろう。今はそれまでの僅かな時間といった感じだ。


「約束、覚えてるよね?」


「練習付き合うってやつでしょ。覚えてるよ」


「それだけじゃないよ。わたしが満足するまで、だからね」


 後半の言葉を強調するように語気を強めて陽菜乃は言った。冗談で言ったつもりはないけど、そこまでハードなのも想像してなかった。

 果たして俺はどこまで付き合わされるんだろう。


「頑張るよ」


 文化祭といえば。

 もちろん、俺たちには演劇という目標がある。けれど、当日を楽しむというのも同じくらいに大事だ。


 去年は一人だったから本当に時間が経過するのだけを待っていただけで、文化祭なんて微塵も楽しんでいなかった。


 けど今年は違う。


 今の俺には友達がいる。


 秋名や樋渡、柚木と回るのももちろん楽しいに決まっている。けれど、できることなら陽菜乃と二人で回れればなとも思う。


 彼女のことを好きだと自覚したあの日から、俺は自分のこれからの行動についていろいろと考えていた。


 まず大事なのは距離感を詰めることだ。もう友達でいる以上、必要になるのは関係を進展させるための一歩だ。


 文化祭を回る、というのはアピールに繋がるのではないだろうか。


 と、最近思い至ったのだ。


 そのためには陽菜乃を誘う必要があるわけだけれど、そのタイミングが難しい。


 まだ早いかな。

 けど、こんなの早いほうがいい気もする。

 先約がいると断られるしな。でも俺が誘ったせいであとの約束を断らなければならなくなるのもちょっと悪いような。


 みたいな葛藤は常にある。

 最近、ふと考えてしまうのは陽菜乃のことばかりだった。


 これまで考えることのなかったことに思考を巡らせるのは、ちょっと楽しかったりする。


「ちょっといいかい?」


 俺がそんな悩みをぐるぐる考えていると、ノートを手にした雨野さんがやってきた。

 相変わらずのマスク姿。

 まだ寒くはないのにカーディガンを着ている。寒がりなのだろうか。


「どうしたの?」


「ごめんね、日向坂さん。楽しいランチタイムの邪魔しちゃって」


「ううん、だいじょうぶだよ。それで?」


 雨野さんの申し訳無さそうな物言いに、陽菜乃はにこやかに答えた。


 ……楽しいランチタイムを否定はしないんだな。


 そんな些細なことにも喜びを覚えるようになったのは、最近のことだ。


「脚本作りでちょっとヒロインの意見を訊きたい部分があってね」


「うん。いいよ」


 陽菜乃が承諾すると、雨野さんは近くの空いているイスを適当に引っ張ってきて腰掛ける。


「悪いね、志摩。せっかくの二人きりのランチタイムを邪魔しちゃってさ」


「大丈夫だよ」


「……」


「それじゃあ、さっそく……って、どうしたの日向坂さん。なにかいいことあった?」


 シャーペンをカチカチしながら気合いを入れた雨野さんが陽菜乃の方を向くとそんなことを口にした。

 言われて見てみると、確かに口角がぐにゃりと上がっていた。


「へ? いや、なんでも? そんなことより、なんでも訊いて?」


 雨野さんを交えたランチタイムは、そのあともしばし続くのだった。



 *



 ……否定、しないんだ。


 ……そうなんだ。


 

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