第155.5話 大ピンチだと妹は言う


 八月三十一日。

 夏休み最終日。


 あたし、志摩梨子は大ピンチの真っ只中にいた。


 というのも、夏休みの宿題が終わっていないのだ。

 自分で言うのもなんだけど、この夏は受験勉強をわりとがんばった。だから夏休みの宿題はしなくていいとはならないんだけど、ついつい後回しにしてしまっていた。


 とはいえ、夏休みの宿題をこの時期まで終わらせていないのはわりと毎年のことなのだけれど。


 毎年、お兄にお願いしている。お兄は面倒くさい顔をするけれど、なんだかんだ言いながら手伝ってくれるんだ。


 けど。


 ここ数日、お兄の様子がなんか変だ。


 話しかけても『あー』とか『おー』とか、からっぽの返事しか飛んでこない。


 たまたま通りがかったお兄が『なんだお前、今年も宿題終わってないのか。仕方ないな、ほら貸せよ』と言ってきてくれることを期待してリビングで宿題をしているけれど、ここ数日前を通りかかっても完全にスルーだった。


 あんなの、お兄じゃない。

 

 花火大会に行った日から、花火大会から帰ってきてから様子がおかしかった。


 確実になにかあった。


 女の子とふたりで花火大会に行って、あんな抜け殻みたいになることある?


 告白して振られたとか?


 付き合えたなら鬱陶しいくらいにテンションあげあげで絡んできそうだしなあ。


 でも、陽菜乃さんいるのに告白とかするかな。


 え、ちょっと待って。

 

 もしかして……告白、とか?


 あのお兄が?

 陽菜乃さんっていう女の子から好意を向けられているだけでも奇跡みたいなことなのに、それ以外の女の子からもアプローチを受けることある?


 だめだ。


 気になって全然集中できない。

 あたしはエンピツを置いて立ち上がる。


 向かうはお兄の部屋だ。


「お兄、入るよ」


 言いながら、毎度のことだけどノックなんてしてやらずに入ってやる。こうすると、いつもお兄は『いつもノックしろって言ってるだろ』と言ってくるのだ。


「あー」


 しかし、抜け殻のお兄はそれすらも言わなかった。


「ちょっと聞きたいことあるんだけど」


「あー?」


 ベッドに横になっていたお兄は視線だけをこちらに向けた。

 ていうか、ものぐさな一面あるくせに宿題とかはちゃんと終わらせるのなんなの?


「なんかずっと変だよ、お兄」


「あー?」


 返事はあるけど中身はない。

 そんな状態にいらいらしてくる。


「女の子に振られちゃったとか?」


「あー」


「彼女できたりしたの?」


「あー」


「女の子、振った?」


「……」


 瞬間、お兄の表情が一瞬だけ変わった。なにより、ゾンビみたいな返事がなくてあたしは確信した。


「……」


 けど、なんて言ったらいいのか分かんないや。

 気晴らしに宿題でもする? とか、さすがのあたしも言えないよ。


「なあ、梨子」


 あたしがそんなことを考えていると、天井を向いたお兄があたしの名前を呼んだ。


「なに?」


「お前はうちでは好き放題するわがまま妹だけど、学校ではしっかりしてる外面完璧妹じゃん?」


「うるさいわ」


 調子取り戻したと思ったら急になんだ。

 

 事実だけど。


「そんなお前のことを好きだと言う見る目のない野郎も一定数いるわけじゃん?」


「見る目あるだろ」


 まあ、全部断ってるけども。


「そんな男を次々に振ってるわけだけど、それに対してなにも思わないのか?」


「どういうこと? せっかくの告白なのに断って、罪悪感とかないのってききたいわけ?」


「そう」


 ないわけじゃない。


 けど、毎度ながら多大な罪悪感を覚えているかと言われるとそうでもない。


 自分で言うのもなんだけど、わりと告白はされる。その一人ひとりに罪悪感持ってたら精神イカれるわ。


 それに……。


「なんか、本気度がそこまで伝わってこないから。そこまで感じないかな」


 これが一番大きい。


 特別仲のいい男子はいない。

 クラスの男子とは話すことはあるけど、みんな同じくらい。


 クラスメイトならまだいいけど、話したことのない他のクラスの同級生や見たことすらない先輩や後輩が、あわよくばと思いながらイチかバチかの告白をしてくることが多い。


「本気度、か」


「うん。あたしはお兄と違ってモテるから。そんなのいちいち気にしてられない」


 いつもならもうちょっと熱量を持ってぶつかってきたりするけど、やっぱり今日はそんなこともない。


 

「だから、お兄がちょっとだけ羨ましいよ」


 

 あたしがそう言うと、お兄はさすがに驚いたのかずっと天井に向いていた顔がこちらを向いた。


「羨ましい?」


「うん。お兄とあわよくばって感じでワンチャン告白してくる女の子なんているはずないし。だから、お兄に告白してくる人って本気でお兄のこと好きじゃん」


「……」


 あたしはまだ誰かを本気で好きになったことはない。

 あたしに本気の恋心を抱く人はいたかもしれないけど、悪いとは思うけど伝わってはいない。


「俺は振った相手とどう接すればいいんだろ」


「お兄はどうしたいの?」


「……今まで通り、ってのは難しいかもしれないけど。大事な友達だから、これからも仲良くしたいと思ってるよ」


「たぶん、向こうの人も同じようなこと考えてるよ。振られた相手のことを、これまでずっと好きだったのに急に嫌いにはなれないだろうし。一緒にいるとツラいって思ったりはするかもだけど、それも時間が解決してくれる」


「……そう、かな」


「お兄がすることは、明日顔を合わせたら元気に笑顔で挨拶すること。それであっちも挨拶してくれたら、きっとだいじょうぶだって」


 あたしが言うと、お兄は考えるように視線を天井に戻す。難しい顔をして見つめていたお兄の表情は次第に柔らかくなっていく。


 そして、ゆっくりと起き上がる。


「ありがとな。ちょっとだけ楽になったよ」


 いつものお兄の顔に戻った。

 よかった。

 これであたしも一安心だ。


「じゃあひとつお願いきいてくれる?」


「ああ、いいぞ。アイスか? ケーキか? パンケーキくらいなら奢ってやるぞ」


「ううん、それはほんとに魅力的な提案なんだけどね。今日のところはそうじゃなくて」


 いつもは甘いものをねだることが多いからか、お兄はすぐにそれを思いつく。

 なのにそうでないと言われれば、お兄は眉をひそめて怪訝な表情になった。


「じゃあなんだよ?」


「宿題手伝って」


 

 その日、あたしとお兄は徹夜した。

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