第154話 夏の夜に咲く恋の花⑧
考えたこともなかった。
考えないようにしていた。
考えるまでもなかった。
果たして自分の中にどんな気持ちがあったのかは分からないけれど、そのとき俺が感じたものは素直な驚きだった。
榎坂の一件があってから、あるいはそれ以前から自分に自信なんてこれっぽっちもなかったから。
誰かに特別な好意を向けられている、という発想が本当になかったのだ。
ズラリと高性能の掃除機が並ぶ中で、別段性能がいいわけでもなく、かといって値段が周りに比べで安いわけでもない、そんなとりわけ目立つポイントのない掃除機が選ばれないのと同じように。
いろんな男がいるこの世界で、いろんな取り柄を持っている人たちに紛れているなんの取り柄もない俺が、誰かに特別視されるとは思ってもいなかった。
捻くれていた頃の俺ならば、こんなシチュエーションに遭遇した際にはまずドッキリを思い浮かべただろう。
あのときと同じように、どこかから人がわらわらと出てきて笑いものにされるに決まっていると思い込んでいた。
そうでなかったとしても、真剣な告白だとは思えなかったかもしれない。
けれど。
柚木の瞳は冗談を言っているようなものではない。本気の思いをぶつけてきている。
そもそも、柚木くるみという女の子がそんなことをしないやつだということは、これまで一緒に過ごしてきた時間が証明してくれている。
以前の俺ならばそれすら見ようともしなかった。それに気づこうとさえしなかったに違いない。
でも俺は変わった。
いや違うな。
変えてもらったんだ。
日向坂陽菜乃に。
秋名梓に。
樋渡優作に。
そして、柚木くるみに。
俺なんかのことを好きになっても幸せになんてなれないぞ、と一蹴するのは容易い。
今の俺なんかが誰かと付き合うなんて考えられない、と断るのは簡単だ。
『もしそんなことが起こるときが来たらさ、ちゃんと向き合ってあげてよ。ほんとに好きで、心の底からの気持ちをぶつけてるのに、そんな理由で断られるなんて可哀想でしょ』
脳裏に蘇ったのは、いつかの秋名の言葉だった。
掴みどころのないあいつは、もしかしたらこのことを予感していたのだろうか。
もしかしたら、こうなることが分かっていたのかもしれない。
いずれにしても、あいつの言葉は正しいと思った。あのときもだし、今もそれは変わらない。
自分に自信がなかったとしても。
俺からしたら、どこがいいのか分からないけれど。
それでも、柚木くるみは俺に好きだと言ってくれた。
一緒に時間を過ごす中で、俺の中になにかを見つけてくれた。
だったら、俺が自分のことをどう思っているのかは問題じゃない。
大事なのは俺が柚木をどう思っているかだ。
「……えっと」
いつまでも沈黙を作っているのは悪いと思って口を開いたけど、言葉がなにも出てこなかった。
戸惑った俺を見て、柚木は少し困ったように眉をへの字に曲げた。
「驚かせちゃったかな」
「まあ、うん。驚いた」
これは本音だ。
まさか柚木から告白されるなんて思いもしなかった。
気の利いた言葉ひとつ吐けない自分にうんざりする。
「これでも結構アピールはしてたつもりなんだけど……」
俺が言うと、柚木はがっくりとうなだれた。
アピール、してたのか。
そう言われて思い返すと、それらしい記憶は確かにあった。その行動をそうだと捉えなかったのは、やはり根底に俺なんかという考えがあったからだろう。
「こういうもんなのかな、くらいに考えてた。そもそも、俺が誰かに好かれてるって発想がなかったから」
「それはさっき話してくれた初恋のせいで?」
「そうとも言えるし、それ以前からだとも言える」
柚木は「そっか」と小さくこぼす。
すうはあ、と深呼吸をして、それから俺をまっすぐに見つめてきた。
「答えを聞かせてもらってもいいかな」
まっすぐこちらを見ながら。
いろんなことから目を逸らしてきた俺とは違い、柚木は俺から目を逸らさない。
告白の返事は後ほど、というパターンも世の中にはある。告白されたことないからデータは漫画とかから抽出したものだが。
けど、柚木は答えを今求めている。
だから、俺は今答えを出さないといけない。
「……」
俺は柚木のことをどう思っているんだろう。
自分に問うてみた。
いい友達だ、と思ってる。
一緒にいて楽しいし、周りに気を遣える優しさだって持っている。肩の力を抜いて話せる数少ない相手だ。
もし、俺と柚木が付き合ったら……。
朝は一緒に登校するんだろうな。
待ち合わせをして、昨日のテレビ番組の話なんかをしながら学校に向かう。
きっと、周りが慣れるまではからかわれるに違いない。柚木は人気者だから、なんで相手が志摩なんだよなんて言われ続けるかもしれない。
それでも柚木はなんの躊躇いもなく『好きだからだよ』なんて照れながら言ってくれるんだろうな。
昼休みは二人でお弁当を食べる。
自分で作ってきたお弁当のおかずを俺にくれて、感想を求めてきて。普通に美味しいから俺はそう言うんだけど、柚木はほっとしたように笑ったりして。
放課後は部活がなければどこかに寄り道して帰るのもいいかもしれない。
俺が一人では行くことのないスタバに連れて行かれて。慣れない注文に困っている姿をからかわれる。
休日は柚木に誘われてデートをする。
遊園地に行きたいと言われて。水族館に行きたいと言われて。動物園に行きたいと言われて。ショッピングに行きたいと言われて。俺はどこでも良いと言いながらついて行く。たぶん、きっと、どこに行っても楽しいだろうから。
春はお花見をして。
夏は海に行って。
秋は紅葉を見に行き。
冬はスキーなんかしたりして。
そうやって一年をともに巡って、また新しい一年を過ごすんだ。
楽しいに違いない。
幸せに違いない。
そんな未来が間違っているとは思えない。
悪くない。
むしろ良いまである。
断る理由なんて、どれだけ考えても出てこない。
「……」
この先、長い人生を過ごしていく中で柚木のような女の子から告白される機会なんてないかもしれない。
いや、ていうかないだろ。
もはや告白されることすらなくて。
告白したとて振られるばかりかもしれない。
今この瞬間、このチャンスを逃したら二度と俺にはそういう機会が訪れないかもしれない。
掴めば天国。
放せば地獄。
手を伸ばさない理由はあるか?
ここで躊躇う理由はあるか?
考えろ、志摩隆之。
答えろよ、志摩隆之。
「……俺、は」
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