第151話 夏の夜に咲く恋の花⑤
楽しい時間はあっという間だ。
花火の時間が近づくにつれて。
一歩一歩、彼と歩みを進めるたびに。
あたし、柚木くるみの胸の鼓動は確実に高鳴っていた。
「どうした?」
屋台も楽しんだし、そろそろ花火の場所取りに向かおうかという話になって、歩いていたとき。
あたしはふと、射的の屋台の台に並んでいたキーホルダーに目がいって、一瞬だけ動きを止めてしまった。
隆之くんはそれをちゃんと感じ取って、すぐに自分の足も止めてくれた。
「なんか欲しいのあるのか?」
「あ、いや、それほどでもないんだけど。かわいいなって思って」
「どれが?」
「えっと、あのうさぎのキーホルダー」
最近流行っているのか結構いろんなところで見るキャラクターだ。たしか、うさまろ……だったかな。
程よく力の抜けた顔が絶妙にブサイクで、それが癖になる可愛さなんだよね。
「……取れる自信はないけどやってみるか」
隆之くんはポケットから財布を取り出してお金を屋台のおじさんに支払おうとする。
「え、いや、悪いよ」
そりゃ、隆之くんからのプレゼントなんて喉から手が出るほど欲しいけれど。
だからといって、取ってもらうのはなんだか悪い。そもそも、こういうところの射的ってなかなか取れないようになってるって聞くし。
「別にいいよ。射的なんてしたことないからやってみたかったし」
「……ほんとに?」
「ピストルと剣と恐竜がきらいな男はいないんだよ」
知らんけど、とおどけるように隆之くんは言って、お金を渡してピストルを受け取る。
「がんばりなよ、兄ちゃん。彼女サンにいいとこ見せてやりな」
隆之くんは訂正するのも面倒だったのか、おじさんに「うす」と短く返してピストルを構える。
彼女さん、か。
ほんとうにそうならな、とどうしても考えてしまう。
きっと毎日が楽しいんだろうな。
特別な日には、ふたりでちょっとだけ特別なことをして。
そうでない、なんでもない日だって、きっと彼といたら毎日が楽しいに決まってる。
手を繋いで。
キスをして。
それ以上のことだって。
昔はそれに対して抵抗があったけれど、いまは不思議とそういうのはなかった。
これが恋なんだ。
これが好きということなんだ。
「おい、柚木」
どうやらぽけーっとしてしまっていたらしい。隆之くんに名前を呼ばれて、あたしはハッとして我に返る。
取ってほしいなんて言いながら、その勇姿を見逃すなんて、どれだけ失礼なことだろう。
「あ、ごめ」
申し訳なさからあたしは謝罪の言葉が漏れそうになったんだけど、隆之くんがあたしに差し出してきたものを見てそれが途切れる。
「奇跡が起きた」
それはあたしが欲しいと言ったうさまろのキーホルダーだった。
そう言った隆之くんの表情は楽しげで、満足げなものだった。ほんとうに射的そのものを楽しんだんだろうな。
「ありがと」
あたしは謝罪の言葉を飲み込んで、感謝の言葉を口にした。隆之くんは「おう」と短く返してくる。
「ほんとにもらっていいの?」
「柚木のために取ったんだからもらってくれないと困るよ。さ、花火の場所取りに行こ」
あたしにキーホルダーを渡して、隆之くんはくるりと体を回す。けれど、ついてこないあたしを怪訝に思ってこちらを振り返った。
「どうかした?」
あたしは自分の右手を前に出す。
「手! 迷子になるから!」
最後まで、その免罪符は消えることはないと想う。
ほんとうのことを言ったらもしかしたら……。そう思うと、怖くて言い出せなかった。
せめて、今日という日が終わるまで。
あたしがあなたにこの気持ちを伝える、そのときまでは。
あなたの優しさに甘えさせて。
*
射的をしていたせいか、花火の会場はそこそこの人がいた。一番見えるであろう場所はもういっぱいだ。
「どの辺がいいんだろうな」
「あっちの方、人いるし見えやすいんじゃない?」
「じゃあそっちの方行くか」
あたしはこの花火大会で隆之くんに告白をする。
告白をすると決めて、今日というイベントを約束したあの日から、告白のタイミングをずっと考えていた。
絶対に成功するって。
振られるはずがないって。
向こう見ずに考えることができれば、きっと花火が打ち上がっているロマンチックなシチュエーションで思いを告げていたと思う。
けど。
どうしてもあたしの中にいる冷静なあたしがそれに待ったと言ってくる。
隆之くんには陽菜乃ちゃんという、仲のいいお友達がいる。
それに、なにかは分からないけど隆之くん自身、あたしの知らない事情を抱えているような気もする。
もろもろのことを考慮すると、花火の最中はリスクが高いと告げてくる。
だから。
楽しい時間は最後まで楽しんで、それが終わってからすべてを終わらせようと決めた。
終わらせて。
始めようって。
「この辺でいいか」
「そうだね」
ちら、と周りを見てみるとカップルだらけだった。ここはそういうエリアなのかな、と不思議に思う。
家族連れの人たちはどうやら別のエリアを選んでいるらしい。そういう区切りは明確にはないはずだから、たまたまなんだろうな。
中にはちょっとぎこちない距離感の二人もいた。
まだ恋人同士じゃないのかな。
でもお互いにまんざらでもない雰囲気はあったりして。
このあと告白とかするのかも。
同じだなぁ。
お互いがんばろうね、とあたしは心の中で勝手に親近感を抱いて肩を組んでしまった。
「あんまり観に来ることないから、ここまでくるとめちゃくちゃ楽しみだな」
「そうは見えないけど。隆之くんって感情があんまり表に出ないよね?」
「出すように努力はしてるんだけど。そんなに出てないのか」
隆之くんは少しがっかりしたように肩を落とす。もしかしたら気にしていたことなのかも。
余計なこと言っちゃったかな。
「あ、でも出てるときもあるよ! この前の海のときとか楽しそうだったし!」
これはほんとうだ。
時折、子どものように無邪気に笑うのだ。そういうところも好きなんだよね。
それから少しして。
開始のアナウンスと共に一発目の花火が打ち上がる。
ドドン!
ドドドン!
パパパパパパ!
一発、一発、色とりどりの花火が絶え間なく打ち上がる。
その花火一つひとつが、まるで告白へのカウントダウンのように思えて、ドドンドドンと花火が夜空に咲くたび、あたしの心臓の鼓動は激しさを増していった。
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