第149話 夏の夜に咲く恋の花③


 咲間花火大会は咲間市で行われるここら辺では比較的大きめな花火大会として知られている。


 二日間行われる祭りの二日目に打ち上げられる、夏の終わりを彩る一大イベントだ。

 花火の他にも屋台が並び、この二日間は中々に盛り上がる……そうだ。実際に来るのは初めてなので、すべて聞いた話でしかない。


 電車の中にいた人たちのほとんどがそこの駅で降りる。この流れに乗っていけば道に迷うこともないだろう。


 周りの会話に耳を傾ければ、誰もが打ち上がる花火に胸踊らせていた。

 この中には、もしかしたら県外の人もいたりするのかもしれない。


「隆之くんは花火大会とか行く人?」


「いや、あんまりかな」


 人混みが好きじゃないからなあ。

 それを我慢してでも見たいというほどの熱意がないので、あまり自発的には参加しない。


「花火、好きじゃないの?」


「花火が好きな人と比べると、そこまでかも。別に嫌いってことはないけど。柚木は花火好きなのか?」


 今度は俺の方から訊いてみた。

 柚木はんんーっと唇に人差し指を当てて唸った。


「どうだろ。雰囲気とかは好きだから好きなんだろうけど。花火がっていうよりは花火大会が好きかな」


「まあ、祭りの雰囲気は俺も好きだよ」


 そういう意味では、こうして人の流れに呑まれながら会場へ向かうこの感じも別に嫌いではない。

 人混みというほどでもないしな。


 駅前から商店街へ入り、そこをさらに真っ直ぐ進む。祭りの影響なのか、商店街の中も活気づいていた。

 中には外にテーブルを出して販売しているお店もある。美味しそうなにおいが商店街中に漂っていて、嫌でも空腹を刺激されてしまう。


 ここで誘惑に負けて買ってしまえば、相手の思う壺だな。


「いいにおいするね。なんだろ。焼きそば?」


「かな。なんか、ソースのにおいだな」


 きゅるる、とお腹が鳴る。

 俺のものではなかったので、隣の柚木に視線を移してみると顔を赤くして俯いている。


「花火までは時間あるし、なにか適当に食べておいた方がよさそうだな」


「いじわるな言い方するね?」


 そして、俺たちはどちらからでもなくぷぷっと吹き出してしまう。こんな些細なことで笑えてしまうのは、やっぱり祭りの雰囲気に当てられているからだ。


 誘惑漂う商店街を抜け、さらに進んでいくと大きな橋が見えてくる。橋の下には川が流れていて、そこが花火大会の会場になっていた。

 橋から見下ろすと、数え切れない屋台が並んでいる。


 こっちに到着する頃には徐々に日も沈み始めていて、祭りの明かりが程よく雰囲気を盛り上げていた。


「さて、なに食べる?」


「隆之くんはなにが好き?」


「なんだろうな」


 子どもの頃は梨子に付き合わされて近所の小さな祭りに参加することもあった。


 けど、そのときも自分の好きなものを買うというよりは、梨子が買ったものの残りを食べるというのがほとんどだったんだよな。


 そんな俺だが、祭りでは必ず買うというものもある。それだけは梨子の残りではなく、一つをちゃんと全部食べたいと思っていたからだ。


「ベビーカステラかな」


「ベビーカステラね。美味しいよね」


 階段をゆっくり降りていく。

 会場に近づくに連れて、人の数は増えていくのではぐれないように気をつけないといけないな。


「人、増えてきたから気をつけろよ」


「うん」


 小さく言った柚木が、それに続けて「あっ」と短い言葉を吐く。どうかしたのかと俺は振り返ろうとしたんだけど、それより先に柚木が行動に移した。


「迷子にならないようにね」


 自分に言い聞かせるように。

 あるいは、俺に言い訳するように。


 柚木はそう言いながら、俺の手を握った。


「ちょ」


 突然のことに動揺して、俺は驚きの声を漏らしてしまう。


 しかし、柚木は掴んだ手を放すことはなく、俺に不安げな顔を向けてくるだけだった。


「だめ?」


 そんな顔で。

 そんなことを言われて。


 ダメだと言えるやつはいないと思う。


 そもそも別に嫌だと思ったわけではなくて、ただ突然のことに動揺して声が漏れただけだ。


 はぐれないようにするためには、一番効率的な手段なわけだし。


「いや、ちょっと驚いただけ。なにも問題ないよ」


 こういうとこだと電波が混線してか繋がりにくい。だから、はぐれてしまえば合流するのは困難だ。

 だから、やっぱり手を繋いでおくのは悪い手ではない。


 と、思う……。


 だから、俺は柚木の手を握り返した。


「行こっか」


「……うん」


 気づけば日は沈み、辺りは暗くなっていて。


 闇を照らすように、ぼんぼりに光が灯る。


 そして、その明かりに導かれるように人は屋台の並ぶ道へと歩いていく。


 俺たちも、まるで吸い込まれるようにそちらへ向かった。


 ひゅーひょろろ、とどこかから音がする。陽気な音楽も流れていて、歩いているだけでも楽しい気分になってくる。


 人の多さもエリアが広くて数が散っているからか気にならない。むしろ、いい具合の人の通りは祭りの雰囲気を楽しむ程よいスパイスにすらなる。


 閑散とした遊園地はアトラクションには乗り放題だけれど、不思議と並んででも周りに人がいた方が楽しい気分になるのと同じだろう。


「さて、なに食べようか?」


「ベビーカステラ?」


 俺が尋ねると、柚木はそんなことを言ってくる。確かにさっきベビーカステラが好きとは言ったけれども……。


「今じゃないんだよね」


 タイミングというものがある。


「柚木はなに食べたい?」


「そうだなぁ」


 屋台に囲まれた道をゆっくりと歩きながら、右へ左へ視線を向かわせる柚木はなにかを発見したのか足を止めた。


「やっぱり、たこ焼きかな」


 そして、たこ焼きの屋台を指差しながら可愛らしく笑った。

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