第147話 夏の夜に咲く恋の花①


 八月二十七日。

 夏休みももう終わりだ。

 残りわずかとなった至福のときを堪能するように、俺は昼まで惰眠を貪っていた。


 宿題はもう終わらせた。

 やらなければならないことはもうないので、あとは残りの夏休みをこれでもかというくらいエンジョイするだけ。


 こうしてエアコンの効いた部屋で昼まで眠り続けるだけでいい。これだけで夏休みの価値がある。


 夏休みの始め、母はこんなことを言った。『そうやってダラダラできるって喜べるのは最初だけよ。それが続くと暇が苦痛に変わっていくわ』と。


 母さんは長期休暇の度に似たようなことを口にする。


 そして、その長期休暇が終わるたび、今回もまた、俺は思う。


 苦痛に変わることはなかったな、と。

 むしろ、この時間が終わってしまうことを惜しんでさえいる。


「……」


 なんてことを考えながら、俺は体を起こす。さすがにここまでぐるぐると考え事をすれば目も覚める。


 リビングに向かうと、梨子はニュースを見ながらそうめんをすすっていた。


 俺の存在に気づいたようでこちらを一瞥したが、特になにを言うでもなくテレビの方に視線を戻す。


 可愛くない妹だ。


「俺のは?」


「あるよ」


 キッチンの方にあると視線で教えられる。冷蔵庫の中を確認すると、たしかに俺の分が用意されていた。


 梨子の前に座って俺もそうめんをすする。

 そうめんって特別な美味しさを感じない代わりに飽きもこないんだよな。出されれば毎日でも食べれる。


 夏が終わるとそうめんの出番も終わる。じきにお別れのときがやってくるのだろう。俺はあと何度、こいつを拝むことができるのだろう。


 そして、夏休みも終わる。


『本日、ここ咲間市では花火大会が行われます。学生にとってはもうすぐ終わる夏休み。最後の思い出作りに足を運んでみてはいかがでしょう!』


「いいなぁー、行きたかったなぁー花火大会」


「この前花火しただろ」


「花火と花火大会は別物でしょ」


「似たようなもんだろ」


 手元にあるか打ち上げてるかの違いしかない。そう言うと結構違うな。


「広島焼きとお好み焼きくらいちがうよ」


「違いが分からんわ」


 適当なことを言いながらも、梨子の視線はテレビに向いたままだ。

 どうやらお祭りは昨日と今日の二日間行われていたらしく、そのときの様子や現地の人へのインタビューが流れている。


「俺、今日の夜は出掛けてくるから」


「どこ行くの?」


 視線はなおもテレビに向いたまま、梨子はそんなことを訊いてくる。興味ないくせに。


「花火大会」


「は?」


 眉をひそめた梨子がようやくこちらを向いた。

 そして、言葉なくテレビを指差し首を傾げた。


 だから俺もこくりと言葉なく頷いておいた。


「は? は? 聞いてないんだけど?」


「なんで逐一報告しなきゃダメなんだよ。お前は俺の彼女か」


「妹よ!」


「いや、知ってるよ」


 なんだそのツッコミ。


「だれと行くの? 陽菜乃さん?」


「陽菜乃じゃないよ」


「は? は? 陽菜乃さんじゃないなら誰と行くわけ? え、もしかして一人? あたしついて行こうか?」


「俺が一人で行くわけないだろ。友達に誘われたんだよ」


「お兄、陽菜乃さん以外に友達いたの?」


「友達と海行ったって言ったろ」


 動揺を隠せないでいた梨子の顔はだんだんと神妙な顔つきに変わっていく。

 俺に友達がいることがそこまで信じられないのだろうか。


 まあ、高校一年のときとかのことを考えるとそうなのかもしれないけど、それほどか?


「男? 女?」


「別にどっちでもよくない?」


「よくないことない。彼女いない男が集まって慰め合うように打ち上げ花火を見上げるのはまあいいよ」


 それはいいのか。

 あと、そこまで言う必要はないだろ。


「でも、それが女の子だったら話は別だよ。いろいろと問題があるの。ちなみにだけど、多人数で行く感じ?」


「いや、二人だよ」


「男か女どっちなんだ言えやこら」


「口悪いな」


 正直に言ってやる必要はない。

 けど、別に嘘をつく理由もない。


「女だよ」


「は? え? ちょ、え?」


 梨子はぱちぱちとまばたきをして、そのあとぐしぐしと目をこすり、そして「もっかい言って?」と言ってきた。


 リアクションいろいろと間違えてるだろ。動揺するとそこまで思考能力落ちるの?


「だから、女の友達と行くんだよ」


「なんでお兄はそこまで冷静でいられてるの?」


「別に。友達と花火観に行くだけだよ。逆にお前がそこまで取り乱す意味が分からないよ」


「花火観に行くだけなわけないだろうがッ!」


「おお、急にどうした」


 ガタッとイスを揺らして立ち上がった梨子が大声を上げたものだから、俺はそうめんを掴んでいた手を止める。


「お兄は男女が二人で花火大会に行く意味分かってないの? ただ花火観て『きれいだねー』『そだねー』で終わるわけないじゃん! ロマンチックな景色をバックに愛の告白が待ってるに違いないじゃん!」


「落ち着けよ」


 俺が言うと、梨子はふうと息を吐いてイスに座り直す。そしてコップいっぱいに注がれていた麦茶をぐびっと一気飲みした。


「……じゃあ訊くけどね」


「ああ」


「お兄はなんでその女の子に誘われたと思ってるわけ?」


「花火観に行きたいからだろ」


「二人である理由は?」


「大人数だと集合とか移動が大変だからじゃないの?」


「花火観に行きたいだけなら女友達でもいいじゃん。わざわざ異性のお兄を誘う理由にしては弱いよね?」


「周りにカップルが多いと予想して、男と行きたいと思ったんじゃないのか? それは知らんけど」


「あたしのお兄はほんとに残念だ」


「失礼な」


 梨子は残っていたそうめんを全部口の中に入れて飲み込んだ。そしてコップに改めて麦茶を注いでそれを飲む。


「心配だし、あたしもついていこっかな」


「絶対やめろ」


 ていうか、それは母さんが許さないだろう。過保護なところあるから、近場ならともかく夜にちょっと遠い場所に行くのは許してもらえない。


「なにを心配してるのか知らないけど、本当にそういうのはないよ。あいつは俺にはもったいない」


 そう。


 柚木くるみは。


 俺みたいな男と釣り合うような女の子ではない。

 もっと、イケメンで性格良くてお金もあってユーモアセンスに溢れた欠点のない完璧な男と付き合うべきだ。


 月とスッポン。

 俺たちはまさしく、それなんだから。

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