第136話 妹と妹と兄と姉③
「ねえ、お兄」
夜。
夕食を済まし、風呂も終わらせた俺はベッドに寝転がってスマホを触っていた。
そんなとき、ガチャリと突然ドアが開いて梨子が中に入ってきた。
「入るときはノックしろっていつも言ってるだろ」
俺はくまのようにのっそのっそと体を起こしながらドアの前に立つ梨子に言う。
「ノックしなきゃマズいことでもしてるの?」
「そういうことじゃない。お前だってノックしないと怒るだろ」
「当たり前じゃん」
「理不尽なんだよなあ」
毎回言っているが、一向にノックをする気配がない。今回もそうだけど反省の色が見えないのだ。
忘れていた、というよりはもうわざとしていないだけだから無理もないんだろうけど。
「それで?」
梨子は俺の部屋にわざわざ雑談をしに来るようなことはしない。こうして訪れてきたときは大抵なにか用件を持ってきている。
「これ」
梨子が俺に見せたのは昨日渡したプールの招待券だった。なんだろう、やっぱりいらないとでも言うのだろうか。
「それがどうした?」
「一枚で三人まで使えるんでしょ?」
「みたいだな」
どうやらいらないというわけではないらしい。
話の導入からして、決行日を伝えに来た感じでもないな。
「あたしとお兄と、あと一人入れるんだし……その、友達とか、誘ったら?」
「友達? 樋渡とかか?」
「誰それ」
「友達だよ。イケメンだぞ。そのチケットをくれたのも樋渡だ」
「男?」
「ああ」
「男はいらない」
「なんで」
キッパリと言い切る梨子に俺は疑問符を浮かべる。
「男の人の前で水着になるの恥ずかしいし……」
「俺も男だけど?」
「お兄は男じゃない。なにきもいこと言ってんの」
え、俺って女の子だったの?
などと思いながら「じゃあなんなんだよ?」と尋ねてみる。
すると。
「お兄はお兄だよ」
と、不思議なことを言ってきた。
お兄は男じゃんと思うけど、これ以上話してもこれに関しては意味がなさそうなので諦めよう。
「それに、知らない人とプールなんて行きたくない」
「じゃあ友達誘えばなんて言うなよ」
俺の友達を誘えば自然と梨子の知らない人になるじゃないか。
そう思いながら言ったところ、梨子はじれったそうに「だーかーらー」と言う。
「陽菜乃さんとか、誘ったらいいじゃん」
「え」
「行く日はいつでもいいから、誘ってみなよ。決まったらおしえて!」
言いたいことだけ早口に言うと、梨子は俺の部屋から出ていってしまう。
確かに梨子と陽菜乃は面識がある。
夏休みの初っ端、梨子の買い物に付き合ってたときにたまたま遭遇したのだ。
あれっきりだと思っていたけど、梨子のやつめ、意外と陽菜乃のこと気に入ってたのか。
まあ、結構楽しそうに話してたしな。
内弁慶な梨子が気を許していない相手に自分から会いたがることはそうそうない。
珍しいこともあるもんだな。
「……」
しかし、陽菜乃をプールに誘うというのは中々にハードルが高いのでは?
そうは思うけど、やっぱり梨子としても兄と二人でプールは楽しくないんだろうし、梨子のためにも声をかけてあげたほうがいいか。
電話の方が手っ取り早いけど、いろいろ考えながら誘いたいしここはラインでいいか。
『今週、予定空いてる日ある?』
と、シンプルな文面を送る。
驚いたことに送ったメッセージにはすぐに既読がついた。
そして次の瞬間、俺のスマホに着信が入る。
突然の着信に俺は驚き、スマホを落としてしまう。ボフッとベッドに落ちたスマホを拾い、電話に出る。
「もしもし?」
『あ、隆之くん? こ、こんばんは!』
「ああ、はい。こんばんは」
ちょっと緊張しているのが、彼女の話し方から伝わってくる。
気持ちは分かるけどね。
ラインはするけど、電話はあまりしないから。スマホから声が聞こえるたびにドキドキしてしまう。
『あの、それでね……あ、ごめんね急に、電話しちゃって。電話の方が早いかなって思って』
「それは全然。俺もそう思ってたし」
声を聞くたび。
言葉を発すたび。
心臓がバクバクと動く。
『それで、その、さっきくれたメッセージのことなんだけど』
「ああ、それなんだけど――」
俺は昨日、樋渡のバイト先に行った際にプールの招待券を貰い、それを梨子に伝えて一緒に行くことになったけど、二人は恥ずかしいらしく陽菜乃を誘うように言われたことを話した。
『ああ、そういうこと。隆之くんからお誘いがきたのかと思ったよ』
ちょっと声のトーンが落ちたように思うけど、気のせいだろうか?
「一応、俺からの誘いではあるんだけど?」
『これは梨子ちゃんからのお誘いだよ。次は隆之くんから誘ってほしいな』
「……考えておくよ」
それで、と俺は話を戻す。
『あ、そうだったね。うん、だいじょうぶだよ。わたしで良かったら喜んで一緒に行かせてもらうね』
「いつが都合いい? 梨子は合わせるって言ってるんだけど」
『わたしの方こそ合わせれるよ。特に予定はないから、急だけど明日でもだいじょうぶなくらい』
「わかった。そういうふうに梨子に伝えておくよ。日にちが決まったらまた連絡する」
『うん、待ってるね。じゃあ、おやすみなさい。隆之くん』
「おやすみなさい」
プツリ、と通話が切れる。
俺は少しの間、スマホをぼーっと眺めていたが、ハッとして立ち上がり梨子の部屋へ向かった。
せっかくなので一度ノックをせずに入ってやろうと思いつき、実行したところめちゃくちゃ怒られた。本当に理不尽だと思う。
「それで? なにかよう?」
不機嫌度マックスの梨子が倒れる俺を見下ろしながら言ってくる。
「……陽菜乃がプールの誘いを了承してくれたぞ。日にちは合わせれるから梨子の都合のいい日にして構わないそうだ」
「そう。じゃあどうしよっかな」
特にテンションを上げるわけでも、もちろん下がるわけでもなく、そのままの調子で梨子はカレンダーを見る。
赤やら青やらのペンでいろいろ描いているが、意味はよく分からなかった。
「別に明日でも大丈夫らしいけど?」
「明日はちょっと急だし、それじゃあ明後日とか?」
「ああ。それで伝えとくよ」
もちろん俺のスケジュールは確認するまでもなく、その日は真っ白である。
確認するまでもないんだけど、即答するのもなんなので一応予定を確認するふりだけしておいた。
けど、多分お見通しっぽかったな。
さすがは俺の妹、お兄ちゃんのことはだいたいお見通しのようだ。
*
そして、二日後。
待ち合わせはプールの最寄り駅に十時ということになっており、俺たちは集合時間の十分前に到着した。
「楽しみー」
俺の隣でうきうきした声を漏らす梨子を見て、つい口元が緩んでしまう。
プールに行くことは母さんにも伝えているし、了承も得ている。梨子はバレたら怒られるから黙っててと言っていたけど、こそこそするほうが良くないので昨日のうちに言っておいたのだ。
『まあ、勉強頑張ってるしね。そういうことなら付き合ってあげて』
と、臨時収入までいただいた。もちろんそれが目的だったわけではない。決してそうではない。
「お、ついたらしいぞ」
陽菜乃から到着のラインが届く。改札からはぞろぞろと人が出てきているが、まだ陽菜乃の姿は見えない。
少し待つと、ようやく彼女の顔を見つけた。
そして。
「おにーちゃーん!」
陽菜乃と一緒に改札から出てきたななちゃんが、俺の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「「か、かわいい!」」
俺と梨子は、ななちゃんのあまりの天使っぷりに思わずハモってしまった。
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