第135話 妹と妹と兄と姉②
「お兄とふたりでプールとか恥ずかしいからっ!」
その日、家に帰ってさっそく自室にいた梨子にチケットを見せて話をしてみたのだが、一語一句違わぬリアクションが返ってきて、自分の梨子に対する理解度に感心してしまった。
「じゃあ別にいいんだけどな。チケットはやるから友達と行ってきたらどうだ。プールくらいなら許してやる」
「ちょっと待ったァ!」
どうしても梨子とプールに行きたいわけでもないので、さっさと諦めて部屋に戻ろうとした俺を梨子が引き止める。
服を掴まれた俺はバランスを崩すが、なんとか踏ん張って転倒を避けた。
「なに?」
「行かないとは言ってないよ!」
「いや、今のは行かないって意味以外には捉えられないだろ。別に気にすんなよ。友達と行ってきていいぞ?」
「友達は夏期講習で忙しいらしいから」
「毎日?」
「毎日」
最近の受験生って大変なんだなぁ。
一日も休みないとかもうブラック企業じゃん。夏の暑さでぶっ倒れるよりも先に勉強のストレスでぶっ倒れるぞ。
「お前は夏期講習行かないんだな」
「まあ、あたしは夏期講習なんてものに頼らずとも志望校くらい受かっちゃうから?」
どやぁ、と胸を張ってドヤ顔を披露する梨子だが、俺にそんなこと言われてもどう返していいのか分からないだけである。
しかも友達に言えば煽りにしかならないので使い道がなさすぎる。
まさか友達に言ったりしてないだろうな、と少し不安になったけど外では優等生してるらしいし大丈夫だろう。
「母さんとでも行ってくるか?」
「お母さん忙しいじゃん」
俺たちが夏休みを謳歌している間も大人たちは忙しなく働いている。うちの両親は仕事が趣味みたいな感じだから本人らも気にしてないんだろうけど。
子どもの頃には俺らを気にしてどこかへ連れて行ってくれていたけど、ある程度成長してからはそんな感じだ。
「じゃあどうしろと?」
「お兄でがまんしてあげる」
セリフだけを見れば相当に生意気な妹で、仕方ないから行ってやろうなんて気は微塵も起きない。
けども、梨子はふいっと顔を逸らしてこそいるが、俺の反応が気になっているのかちらちらと視線をこちらに向けてきている。
そういうところを見ると、冷たくあしらうこともできない。
「別に俺と一緒に行っても面白くないと思うけど?」
「いいよ。べつに」
なにが別にいいのかは分からないけど、長い夏休みの一日や二日くらい家族サービスに割いてもいいだろう。
梨子も勉強を頑張っているのは確かだろうし。
「そこまで言うなら連れて行ってやらんでもないけど」
「そこまでは言ってない! お兄がプールに行きたいけど一人で行くのは嫌で誘う人もいないからついてきてほしいって言うなら行ってあげるの!」
「ああ、そうですか。じゃあもういいよ、それで」
「めんどくさくなるなっ!」
「いつがいいか考えとけよ。お兄ちゃん基本的にスケジュール白いけどぽつぽつ予定あるからな」
「お兄のくせになまいき」
俺は友達と予定を組むことさえ許してもらえないのか?
やれやれと溜息をつきながら梨子の部屋をあとにする。
自室に戻り、梨子を見習って俺も勉強をすることにした。といっても、俺のは宿題だけど。
*
メッセージが届いたしるしのぴこんという通知音が、わたしの心臓をとくんと跳ねさせる。
隆之くんの方からメッセージをくれることはあまりないんだけど、わたしが送ると彼は律儀に返事をくれる。
たぶん、自分で話を切ってやり取りを終わらせるというのが申し訳なく感じていたりするんだと思う。
わたしはそれをわかっていながら、ついつい返ってくるメッセージが嬉しくてやり取りを続けてしまう。
どうやら隆之くんは海に行ったときの日焼けによって、行動できなくなってしまっていたらしい。
つまり、彼と会えないわけで、そんなわたしたちを繋ぐ唯一の手段がラインということになる。
会いたいけれど。
会えないから。
せめて、わたしの生活の中に彼を感じたくて、こうして言い訳を見つけてはメッセージを送っていた。
そんなわたし、日向坂陽菜乃は現在、電車に乗って数駅のところにある駅前の喫茶店に来ていた。
「……なんで日向坂がいるんだ? いや、もう訊かなくても分かるけど」
わたしのテーブルに頼んだオレンジジュースを持ってきた樋渡くんが、こめかみを押さえながら言った。
昨日、隆之くんもこのお店に来たらしい。せっかくなら一緒に来たかったけど、さすがに二日連続でというわけにはいかないだろうし。
そもそも。
樋渡くんがたぶんそれを望んでいない。
聞いたところ、彼はアルバイト先を頑なに口にしなかったそうだから。そうなると、梓はどうやってこの情報を入手したんだろうって思うけど、気にしないでおこう。
「昨日は志摩が来たぞ?」
「あ、うん。聞いたよ。わたしも気になっちゃって」
「わざわざ来なくてもいいのに」
「いやー、カッコいい樋渡くんをひと目見てみたいと思ってね」
わたしはからかうように笑ってみせた。樋渡くんはいたずらがバレた子供のように居心地悪そうに頬をかいた。
彼はまだ仕事中だったらしく業務に戻っていって、わたしは一人になった。
ちゅう、とオレンジジュースを飲みながら樋渡くんの働きっぷりを観察する。
周りをよく見ているな、と思う。
お客さんに呼ばれて行くのは当然なんだけど、たまに呼ばれる前に動き出していたりする。
そんな姿を見て感心の声を漏らしてしまう。
わたしもアルバイトとかしてみようかな、なんて考えながらしばし彼のことを眺めていた。
なんだか、こういう時間も悪くないな。
そう思うんだけど、ちらと前の空席を見て、もしもそこに彼がいたらな……とも思ってしまう。
樋渡くんが嫌がらなければ、今度誘ってみようかな。
「日向坂、これ」
仕事の合間、樋渡くんがなにかをわたしのテーブルの上に置いた。なんだろうと見てみると、なにかのチケットだった。
「これは?」
「最近新しくできたプールの招待券。昨日、志摩にも渡したんだよ」
見てみると、そこには『うぉ~た~ワールド』と書かれている。この施設ができるというのは聞いたことがあるけど、すっかり忘れていた。
「行く機会があったら使ってくれ」
「もらってもいいの?」
「ああ。先輩がそこと掛け持ちしててさ、配ってくれって渡してくるんだよ」
そうなんだ、と小さく言いながらわたしはチケットを手にする。一枚で三人まで利用可能、か。
「隆之くんはどうするか言ってた?」
「ん? あー、なんか妹に渡すとか言ってたような」
渡す、か。
それは妹ちゃんに好きに使っていいという意味で渡したのか、それとも妹ちゃんと一緒に行くということなのか。
どっちなんだろう……。
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