第134話 妹と妹と兄と姉①


 夏休みも半分が終わり、毎日残りの日数をカウントダウンし始めるようになった。


 海に行き、日焼けというかもはや火傷レベルに肌を焼かれた俺は外出を控えていたわけだが、その間なにをしていたのかというと大人しく宿題に勤しんでいた。


 そのおかげで半分以上の宿題が既に終わっている。この時期にそれだけの宿題が済んでいるのは初めてだ。


 ようやく日焼けのダメージも収まって、夏休みの後半を楽しみましょうかというタイミング。


「……なんでここにいるんだよ」


 俺はとある喫茶店に来ていた。

 駅前なんかに行けばいくらでも喫茶店はあるし、わざわざ高い金払ってコーヒーを頼まなくとも、庶民の味方であるマクドだってある。


 にも関わらず、俺が電車に乗って数駅のところにある駅前の喫茶店にやって来たのには理由がある。


「いや、なんでと言われても」


 そこには樋渡優作がスーツのような服にエプロンを装着した格好で佇んでいた。


 つまり、彼はここで働いているのだ。


「誰にも言ってないのに」


 樋渡がアルバイトをしているのは知っていたけど、訊いても場所も業種も教えてはくれなかった。


 そこまで秘密にするなら訊くのも悪いかと思って、それ以降はわざわざ尋ねるようなことはしなかったんだけど。


「なんか秋名が教えてくれたんだよ」


「なんであいつは知ってるんだ?」


「それは知らん。秋名に訊いてくれ」


「問いただしてやる」


 店内は落ち着いた雰囲気がある。

 席はほとんどが埋まっているけれど騒がしくはない。こういうまったりした空気を楽しみたい人が集まるのだろう。


 そもそもが静かだと、不思議と騒ぎづらい雰囲気を感じてしまう。良くも悪くも人間って空気を読んじゃうからな。


「でも、教えてくれるときに『他の人にはナイショだよ』って言ってたし、言いふらしてるわけじゃないと思うぞ」


「噂話ってのはそうやって広がっていくんだよ」


 うんざりしたように呟く樋渡。

 そんな彼をちらちらと見ながらなにやらヒソヒソとはしゃいでいる女性客がいた。


 それも一組ではなく、ちらほらと見える。


 知り合いだろうか、とも思ったけど、リアクションから考えるにどちらかというとファンみたいな感じかな。


 きゃー、あのイケメンさいこー! みたいな感じで騒いでいるのかもしれない。


「なんで隠すんだ?」


「冷やかしにくるだろ。お前みたいに」


「別に冷やかしじゃないぞ。お前の働く姿をひと目見ようとだな」


「世間ではそれを冷やかしって言うんだよ」


 やれやれと溜息をつきながら言った樋渡は、別のお客さんに呼ばれて行ってしまう。


 俺は先ほど持ってきてくれたコーヒーにささったストローに口をつける。


 コーヒーについて詳しいわけではないし、ああだこうだと語るつもりもないけれど、このコーヒーは上手い。


 スマホをポケットから取り出し、ラインのアプリを開く。

 誰かからメッセージが届くことなんてほとんどなかった俺のスマホに、今はたまに連絡がくる。


『宿題の調子はどう? 数学のプリントでちょっとわからないところがあるんだよね』


 ラインを開いて、柚木から届いていたメッセージを確認する。

 俺も一度手はつけたけど中々に難しい内容だったのでやめたんだよな。夏休みの宿題にする難易度ではないと思う。


『俺もあれには手こずってる。暇な日があればまた一緒にやるか?』


 と、返事をする。

 分からないところを教え合うというのは悪くないのだとつくづく思う。二人とも答えは分からなくとも相談できるというのは大きいし。


 陽菜乃からもメッセージがきていた。


 昨日からやり取りが続いていて、樋渡のアルバイト先についての話題になった。


 今朝、ちょっと行ってみようと思うという感じのメッセージを送ったんだけど、それに対しての返信だ。


『言ってくれればわたしも行ったのに。行ってみたかったなぁ』


 一人で行くのはちょっと、みたいなことはあるんだろう。昨日のうちにそう言われていれば誘ってもよかったけど。


『秋名でも誘ってみたら?』


 と、送ったところすぐに返事がきた。


『梓、最近部活で忙しいみたいなんだよね』


 部活で忙しいとはどういうことだ。

 夏のインターハイに燃えるような部活ではなかったはず。なんだっけ、確か漫研だったか。


 陽菜乃のメッセージに返事をしたところで、俺の前のイスがガタリと引かれる。


 何事だと顔を上げると、エプロンを外した樋渡が座ろうとしていた。


「どうした?」


「休憩だよ」


 だからエプロンを外しているのか。

 自分の前にオレンジジュースの注がれたコップを置いて、ふうと一息つく。


「こんなとこで休憩していいのか?」


「ああ。店長にも話してきたし」


 言いながら、樋渡はズズーっとストローでオレンジジュースをすする。


「ああ、そうだ」


 ふと思い出したのか、樋渡はポケットからなにかを取り出して、俺の前に出してきた。


 水色の紙に白文字でなにやら書いてある。よくよく見てみると、どこの施設の入場チケットのように見える。


「なにこれ」


「お察しの通り、入場チケットだよ。最近近くにプールができたらしくてさ」


 樋渡から受け取り、改めて見てみるとそこには『うぉ~た〜ワールド』とポップな感じの白文字で書かれている。


 そういう施設が新しくできたという情報ももちろん知らない。


「こんなのどうしたんだよ?」


「バイトの先輩がそこでも働いてるらしくてさ。友達来てるからちょっとそっちで休憩してきますって言ったらそれくれたんだよ。友達に渡してあげてって」


 ふうん、と頷きながらチケットを見る。どうやら一枚で三名まで利用可能らしく、無料ではなく割引券っぽい。といっても、なかなかの割引額なのでお得であることは確かだ。


 そんなことを思っているとふと視線を感じて、そちらを見ると黒髪ロングの大学生くらいの女性がこっちを見ていた。

 目が合うと、にこりと笑って楽しそうに手を振ってきた。多分、樋渡が言っていた先輩だろうと思い、俺はぺこりと頭を下げておいた。


「お前ももらったのか?」


「ああ、まあ。せっかくの夏休みだし、妹たちを連れてってやろうかと思ってるよ」


「妹いたんだ?」


「まあね。弟もいるぞ」


「へえ」


 家族思いなお兄ちゃんだな。

 これは負けてられない、などと思ったりすることはないけど梨子に話でもしてみるか。


 まあ、『お兄とふたりでプールとか恥ずかしいからっ!』とか言ってきそうだけど。

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