第133.5話 夏を感じたいと妹は言う


「だれ?」


 海に行った日の翌日。

 前日の疲れが酷かったのか、昼まで目が覚めなかった俺がようやく起きてリビングに向かったところ、俺の顔を見た梨子が眉をひそめながらそんなことを言ってきた。


「いや、お前のお兄ちゃんだよ。どしたの、勉強しすぎて記憶喪失にでもなっちゃった? 本末転倒が過ぎない?」


 梨子のリアクションに俺の方も怪訝な表情になってしまう。もし本当に梨子が記憶喪失になっていたら俺はどうすればいいんだ。


 などと、考えている間も梨子の表情は変わらない。まるで幽霊でも見たような顔のままだ。


 それこそ、本当に知らない人と遭遇したような顔にすら見える。


 え、うそ。

 こんな突然なんの前触れもなく記憶喪失とか起こるの?


「そんなわけないでしょ。ばかじゃないの?」


「じゃあなんだよ、さっきのリアクション」


 さすがに記憶喪失なんて突拍子もない展開ではなかったものの、だとしたらいよいよさっきのリアクションの意図が分からない。


「あたしの知ってるお兄は不健康な肌の白さを誇ってた」


「誇ってねえよ」


「なに急に肌焼いちゃってんの?」


「焼けたんだよ。好きで焼いたわけじゃない」


 昨日、風呂では悲鳴を上げたくなるくらい痛かったし寝るときも布団に擦れるだけで痛いし。

 今だってヒリヒリしている。

 肌を焼いていいことなんて一つもないぞ。


「いいなぁ、海。あたしも行きたーい」


 今日はテーブルの上に昼飯が準備されていた。梨子はお昼ご飯の最中だったらしく、再開しながらそんなことを言う。


 俺も梨子の前に座って昼飯を食べることにした。


「受験生だろ。そんなことしてる暇ないんじゃないのか?」


「勉強はしてるもん。だからこそ、息抜きっていうのが必要なわけ」


 オムライスをスプーンで掬いながら梨子の話を聞く。

 まあ言いたいことは分かる。

 受験生だからといって一日中勉強をするわけではないし、たまには休まないと集中力やモチベーションが保たない。


 どれも二年前に俺も思ったことだ。


「母さんに連れてってもらえばどうだ? 言っとくけど、友達だけで行くのは許さないからな」


「なんでお兄の許可がいるのさ」


「海は危ないんだよ、いろいろと」


 昨日、俺はそれを身をもって体験した。女子だけで海になんか行けばナンパ野郎の思うつぼだ。


 まして、梨子は容姿だけで見れば文句なしに可愛い部類に入るだろうからナンパ野郎が集まってくるに違いない。


「お母さんは連れてってくれないよ」


「まあ、そうだろうな」


 基本的に梨子に甘いけど、締めるところはしっかり締めてるし。そもそも忙しいからな。うちの両親は。


「あー、海行きたーい。もうこの際プールでもいいしなんなら他のでもいいから、とにかく夏を感じたいー」


 梨子の嘆きがワイドショーの音をかき消した。


「花火くらいならできるんじゃないか? 夜にささっとするだけだろ」


「ささっと済ます花火はちょっと違うよ。花火をするなら、線香花火とかしたいし。どっちが長く続くか勝負したいもん」


「楽しいけども」


 結局、一番楽しいのは線香花火なんだよな。


「お兄買ってきてよ」


「なんでだよ」


 そんな話をしながら昼飯を済ます。着替えのために一度俺は部屋に戻る。


 服を脱ぐときも肌に触れて、日焼けがヒリヒリと痛む。まさかここまで焼けてしまうとは思わなかった。


 こんなことになるなら日焼け止めを塗っておいたのに。ちょっとくらい焼けたほうがいいとか思ってた自分をぶん殴りたい。


 夏の紫外線を舐めちゃいかんね。


 時間をかけて服を着替えた俺はキッチンへ向かう。

 肌が焼けているからなのか、いつもより喉が渇くような気がする。


 リビングを通ったが、梨子の姿はなかった。おそらく自分の部屋に戻ったのだろう。


 あんなことを言いながらもしっかり勉強しているのだから、花火くらい買ってきてやろうかなという気持ちにはなる。

 

 そのまま通過し、キッチンへ到着した俺は冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぐ。


 それをぐびっと一気に飲み干した。


 うま。


「……ふう」


 こりゃ、肌の痛みが引くまでなにもできないな。


 大人しく宿題でもするか、と再び自分の部屋に戻ろうとしたところ。


「……なに、その格好」


 リビングに梨子が戻ってきていたのだが、白と水色の花柄ビキニを着ていた。


「水着だよ。この前買い物行ったときに買ったやつ」


 ああ、俺が付き合わされたときか。そんなもん買ってたのか。興味なさすぎて見てなかった。

 いやいや、そんなことはどうでもよくて。


「なんで家の中で水着になってるか訊いてるんだよ」


「せっかく買ったのに、着る機会が全然ないから」


 拗ねたように唇を尖らせて言う梨子の顔は少しだけ寂しそうだった。寂しそうというか、つまらなさそうというか。


 勉強の毎日にうんざりしてるんだろうな。


「……気が向いたら、プールくらいには付き合ってやるよ」


 俺が言うと、梨子はパアッと表情を明るくしてこっちを見たが、すぐにハッとしてそっぽを向く。


 そして。

 

「……ふ、ふん。お兄とプールとか、誰かに見られたら恥ずかしいってば」


 弾んだ声でそんなことを言った。

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