第131話 エンジョイSUMMER⑰
ようやく涙が止まってくれて。
ようやく気持ちが落ち着いてくれて。
あたしは彼に謝ったんだけど。
「なんで謝るの?」
と、不思議そうに訊いてきた。
あたしがさっき、隆之くんに思ったことと同じことを彼も今思ったんだろう。
「なんか、目の前で泣いちゃったし」
「それは仕方ないでしょ。子供だってほら、怖いことが終わってから泣いたりするじゃん。あれって感情が追いついてないから怖いときに泣かないんだって」
「隆之くんはあたしがお子様だって言いたいのかな?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
隆之くんがそう言ったところで、あたしは堪えきれずにぷっと吹き出してしまう。
それにつられて、隆之くんもおかしそうに笑った。
「もう謝るのはやめよ?」
「そうだな。なにはともあれ問題なく解決したんだし」
「うん。でもやっぱり、最後にこれだけは言わせてほしいな」
あたしが言うと、彼は言葉を待つようにあたしの顔を見てくる。
まっすぐこちらを見つめる瞳がきれいで、それをじっと見ていたら吸い込まれそうになる。
「ありがとう」
これだけはちゃんと伝えておかないと。
あたしのせいで危険な目に遭った。
痛い思いだってした。
もしかしたら、悔しい気持ちを味わったかもしれない。
その全部にごめんなさいと言いたいけれど。
何度でもごめんなさいと言いたいけれど。
きっと、彼はそれを求めていないから。
だから全部の気持ちをこの一言に込めて、あたしはその言葉を口にした。
「……うん」
それが伝わってくれたのか、隆之くんは照れたように短い前髪をいじりながら視線を逸らした。
髪を切ってからも、恥ずかしかったりしたときに誤魔化すように前髪を触る癖は治らないらしい。
耳が赤くなっている。
暑さのせいじゃない。
照れてるんだろうな。
「……」
きゅん、と胸が弾む。
もうどうしようもないときに、彼は助けに来てくれた。
勝てないと分かっていても、なりふり構わず向かってくれた。
それだけでも凄いのに、自分の不甲斐なさに落ち込んだりもして。
こんなのずるいと思う。
さっきからずっと、彼を思う気持ちが溢れてしまいそうだ。
気を抜くと「好き」という言葉が口からこぼれてしまいそうになる。
愛おしい。
好きだって言いたい。
好きだよって言ってほしい。
彼に触れたい。
彼に触れてほしい。
「行くか。早く戻らないとみんな心配するだろうし」
恥ずかしくて、こちらを見れないまま、隆之くんはあたしの手を引いて歩き出す。
「……うん」
いま、あなたに好きだって言ったら。
あなたはどう思うのかな。
どう思ってくれるんだろう。
ぐぐぐ、と必死に気持ちを抑える。
いま言うのはきっと違う。
そもそも、陽菜乃ちゃんに対して感じた罪悪感をなんとかしようと一人になったんだ。
いくら、あんなことがあったとはいえ。
ここで気持ちを伝えてしまうのは、陽菜乃ちゃんに申し訳ない。
だからあたしはその言葉を飲み込んで、彼と並んでみんなのところへ戻った。
*
「いろいろ大変だったんだね」
みんなのところに戻って、事情を説明した。それもあったし、朝から十分に遊んだこともあり、さすがに疲れたこともあってそろそろ帰ろうかということになった。
そんなわけで男の子二人と別れて女子更衣室へと向かう最中、梓がそんなことを言った。
「うん、まあ。隆之くんが来てくれなかったらって思うと、ゾッとするね」
あはは、と笑いながら言った。
本当にそうなんだけど、これ以上シリアスな空気にするつもりはないから。
「志摩に助けられるのは二回目だよね。それも、まさか二回ともナンパが原因という」
それはあたしも思ったよ。
だから、つい笑ってしまう。
「ほんとにね」
さっきから口数が少ない陽菜乃ちゃんは、女子更衣室に入ってもそのままだった。
そのことが気になって、彼女の方を向く。
「陽菜乃ちゃん?」
あたしが名前を呼ぶと、陽菜乃ちゃんはハッとしたように顔を上げてぎこちない笑みを浮かべる。
「ご、ごめんね。ちょっと、ぼーっとしてた」
「んーん。それは全然だよ。疲れたもんね」
この女子更衣室はシャワーが併設されていて、あたしたちはタオルを準備してそちらに向かった。
うちの学校にあるシャワー室と同じ感じで、いくつかのシャワールームが並んでいる。
帰るには少し早めの時間だからか、他に利用者はいないようだった。あたしたちは三人並んでシャワールームに入る。
「それにしてもあれだ」
シャワーを浴びながらなので顔は見えないけれど、隣のシャワールームから梓の声がした。
「志摩のこと、惚れ直したんじゃない?」
かかか、とからかうように梓は言うけれど、まさにその通りなのでどう反応したものか悩む。
……。
…………。
「そうだね。隆之くん、ほんとにかっこよかったし」
「そっか。くるみみたいな子にそんなこと思われて、志摩は幸せ者だよねー」
「……」
梓は相変わらずの様子だ。
たぶん、暗い空気にならないように気にしてくれているんだと思う。
ただ、話題がちょっといじわるな気もするけれど。
「あのね」
ドキドキしながらあたしは口にする。
決めたんだ。
あたしは隆之くんに告白するって。
今日はダメだったけど。
この夏、あたしは気持ちを伝えるんだ。
でも。
「陽菜乃ちゃん」
隆之くんのことは好きだけど。
陽菜乃ちゃんのことも好きだから。
だから、抜け駆けとかそういうのじゃなくて。
あたしは、正々堂々がいい。
「……どうしたの?」
シャワーの音にかき消されそうなくらいに弱々しい声が返ってくる。
不安なのかな、怖いのかな、分からないけど緊張感は伝わってきた。
「あたしはね、隆之くんのことが好き」
ちゃんと口にしたことはなかった。
伏せるようにして、なんとなく気持ちを疎通させたことがあっただけ。
「……うん」
返ってくるのは、やっぱり不安そうな声だった。
「陽菜乃ちゃんも、隆之くんのこと好きだよね?」
「……………………うん」
今度はさっきよりも長い沈黙を作って、遠慮がちに短い返事があった。
「恋愛ってね、早い者勝ちだって思うの。運とかタイミングとか、そういうのでひっくり返ることだってあるし」
この言葉に返事はなかった。
けど、あたしは続ける。
「でも、これまではともかく、これに関してはちゃんと言っておきたいから言うね?」
陽菜乃ちゃんの返事は聞かないまま、あたしはその言葉を口にする。
「あたし、隆之くんに告白するよ」
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