第132話 エンジョイSUMMER⑱


「ねえ」


 あたしは言いたいことを言って、陽菜乃ちゃんからの反応を待っていたんだけど、届いてきたのは梓の声だった。


「私を挟んで真面目な話するのやめてくれ?」


 尤もな意見なんだけど、この空気感の中でこういうことを言える彼女に感心する。

 

「あはは、ごめんごめん」


 と、あたしが言うと。

 

「梓がいるの忘れてたよ」


 と、陽菜乃ちゃんも続く。

 

 梓がたった一言でこの場の空気を和ませた。彼女のこういうところ、ほんとにすごいと思う。

 あたしには真似できないな。


 きゅっとシャワーのハンドルを締めて、シャワールームから出るとちょうど陽菜乃ちゃんも同じタイミングで出てきた。


「……」


「……」


 面と向かうとなんだかちょっと話しづらい。仕切りで顔が見えないシャワールームはちょうど良かったんだなと思う。


「どうして、わたしに言ったの?」


 神妙な顔つきで陽菜乃は言う。

 どうして、か。そう言われると言葉にするのは難しいな。とどのつまりはあたしの自己満足なわけだし。


「もしもあたしが隆之くんと付き合うことになったら、陽菜乃ちゃんにもおめでとうって言ってほしいから」


「……」


「なんか、知らないうちに告白されてて知らないうちに付き合ってたって感じだとそう思えないでしょ? あたしならそう思うからさ」


「それは、たしかにそうかもね」


「だからちゃんと言っとこうと思って。今日じゃないけど、この夏休みのうちに隆之くんに気持ちを伝えるよ」


 二人で並んで更衣室に戻っていく。

 歩く速さはゆっくりで、まるでずっと到着しなければいいのにと思っているようだ。


「恨みっこナシってことでいいかな?」


 確認するように。

 念を押すように。


 そもそも陽菜乃ちゃんがおめでとうと言ってくれるかさえ分からないけれど。


 言ってほしいと願いながら、あたしはそう尋ねる。


 すると。

 

「……うん。うんっ!」


 さっきまでずっと暗い顔をしていたけれど、陽菜乃ちゃんはようやく吹っ切れたように笑ってくれた。


「わたしはわたしで、隆之くんに選んでもらえるようにがんばるから。恨みっこナシだよ?」


 良かった。

 受け入れてくれた。


 ほっと胸を撫で下ろしつつ、どうしても触れずにはいられないことに触れておく。


、なんだ?」


「……あ」


 口を滑らせたみたい。

 陽菜乃ちゃんが勝手にそう呼んでるだけなのか、それとも二人のときはそう呼ぶようにしているのか。


 いずれにしても、あたしが彼との距離を縮める時間があったように、陽菜乃ちゃんにもそういう時間はあったということだ。


「あー、今から緊張する」


 遠くないそのときのことを考えると、心臓の音が激しくなる。こんなに緊張することはこれまでなかったな。

 

「がんばって、とは言いたくないけど……でもやっぱり、がんばってね」


「言ってくれるんだ?」


 ぎこちなく笑顔を作る陽菜乃ちゃんに尋ねると、今度はちゃんと笑ってこちらを向いた。


「わたしがくるみちゃんの立場なら、後悔したくないと思うから。がんばってほしくないけど、がんばってほしい。変だよね」


「ううん。変じゃない。あたしもわかるよ、その気持ち」


 そんなことを話しながら更衣室に戻って、濡れた体を拭いていく。髪の毛の水分を取って、体を垂れていく水を拭う。


 カバンから下着を取り出して、パンツに足を通す。そのあとにブラを装着したところで陽菜乃ちゃんの動きが止まっていることに気づく。


「どうしたの?」


 見たところ、タオルである程度の水分は取り終えているようだけど、カバンに手を伸ばしたままそこから彼女は動いていない。


 正確に言うと体は動いていないだけで、口元はこれでもかというくらいに引きつっている。


「えっと、その」


 ちょうどそのタイミングで梓がシャワールームから戻ってきた。

 下着姿のあたしを見たあと、裸のままの陽菜乃ちゃんを見て梓も違和感を覚えたらしく。


「どしたの、陽菜乃」


 と、口にする。

 陽菜乃ちゃんはなにも言わないまま、引きつったままの顔を梓に向けた。


「もしかしなくてもさては替えの下着忘れたな?」



 *



「女子って着替え長いよな」


「シャワー一つにしても、男子とはかける時間が全然違うからね。この待ち時間は仕方ないよ」


 コンクリートに腰掛けて女子を待つ。隣に座っている樋渡は、少し遠くにいる水着のお姉さんに視線を向けながらそんなことを言った。


「まあ、そうだな」


 急いで帰る理由もないし、別にいくらでも待つけれど。ただ、ちょっと暑いな。

 できることならエアコンの効いた待合室なんかがあればいいんだけど、もちろんそんなものはないので我慢しよう。


「それにしても今日は大変だったな」


「まあ」


「あのとき僕が右に行ってたらと思うとゾッとするね」


 ケタケタと笑いながら樋渡が言う。

 右に行くと選んだのは俺だ。あのとき左に行くことを選んでいたら、男に絡まれている柚木を見つけたのは樋渡だった。


 もちろん、こいつだって助けに入っただろう。


「俺よりもスマートに助けれたかもな」


「いや、話を聞いた限りだと無理だよ。腕力に自信ないし、喧嘩だってほとんどしないから」


 樋渡は前を向いたまま、言葉を続ける。


「今だから、助けには入るって言うけど実際にその場に直面したら怖くて体が動かないかもしれない。だから、これは本当に心からの言葉だけど、お前は凄いと思うよ」


「せっかくのお褒めの言葉は嬉しいんだが」


「ん?」


 俺は盛大に溜息をついてから、改めて口を開いた。


「そういうことは水着のお姉さんを見ずに言ってほしいもんだよ」


「いやいや、お前の顔はいつでも見れるけど水着のお姉さんはここでしか見れないんだぞ。ちゃんと見れるうちに見とかないと後悔するぜ」


「……まあ、それもそうか」


 俺も眺めておこう。


 とか思ったところで、女子更衣室の方から柚木がこちらに向かってくるのに気づいた。


 来たときとは違うシャツと、同じ短パンを身に着けていた。


 どうしてか彼女は一人だ。


 女子は集団行動を好む生き物だからどこに行くにもなにをするにも誰かと行動するのではないのだろうか?


 なんてことを考えながら、柚木がこっちに到着するのを待つ。


「他の二人は?」


「えっと、それはまあ置いといて」


 何故か言葉を詰まらせた柚木は、置いとくべきでない話題を置いてしまう。


「この辺にコンビニとかあったっけ? ユニクロとかでもいいんだけど」


「ユニクロはないだろうけど、コンビニなら駅まで戻ればあったと思うぞ?」


 なんでこのタイミングで、他の二人がなにしているのかという話題を置いてまでコンビニの存在を気にしてるんだろう。


「駅まで戻るのかー」


「どうかしたのか?」


「んー、どうかしたんだけど、これは陽菜乃ちゃんの名誉にも関わるからあたしの口からは言えないよ。ていうか、優作くん? そろそろあたしの方見てくれない?」


 柚木が到着してからもずっと水着のお姉さんを見ていた樋渡のことは、彼女も気になっていたらしい。


「いや、くるみの顔はこの先いくらでも見れるけど以下同文」


「端折られてもわかんないんだけど?」


 そりゃさっきの俺と樋渡の会話を聞いていないのだから当たり前だろう。


「それより、そろそろ教えてくれよ」


「いやー、でもなー」


 どうしてか柚木は一向に口にしようとしない。どうしてここまでシークレットにする必要があるんだよ。


 などと思っていたのだが。


「大方、日向坂が下着忘れたんだろ」


 樋渡の一言で合点がいく。


「あーもう、優作くんなんで言うのさ?」


「僕は予想しただけだよ。それに正解と言ったくるみが悪い」


 くくっと堪えるように笑いながら樋渡が言うと、柚木は仕方ないなあとでも言うように呆れた溜息をつく。


「そんなわけで、もう少し時間がかかるから。とりあえずあたしは一旦戻るね」


 それだけ言って、柚木は更衣室の方へ戻ってしまう。

 

 残された俺たちはどうしたものかと思ったけれど、樋渡を見習ってとりあえず水着のお姉さんを眺めることにした。

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