第124話 エンジョイSUMMER⑩
わざわざお願いなんて名目で言ってくるのだからどんなことを求められるのかとビクビクしていた俺だけれど、彼女が口にしたのは意外な提案だった。
「こんなんでいいの?」
「うん。こういうのでいいの」
なにかと思えば、一緒に海に入っているだけ。
強いて言うなら他の人たちにバレないようにか少しだけ場所を移動したくらい。
ぷかぷかと浮く浮き輪に乗って、俺がそれを押している。プールなんかでたまにカップルがしているところを見かけるこれのなにが楽しいのか。
服従感がたまらないのかな?
「最近、隆之くんとこうしてのんびり過ごしてないなって思って」
どこまでも広がる青い空を見上げながら、陽菜乃はぽつりと呟いた。
そうだったろうか、と俺は振り返ってみる。一緒に行動することはあったけれど、確かになにかと慌ただしかったかもしれない。
「誘ってくれればいくらでも過ごすのに」
俺の夏休みなんてほぼ家でダラダラする予定しかない。時々、勉強の気晴らしだと言って梨子に付き合って外に出るくらいの予定はあるかもしれないが。
「あのね、隆之くん」
あくまでものんびりとした口調のまま、穏やかな声色で陽菜乃は言う。
「わたしは隆之くんに誘ってほしいんだよ」
「どうして?」
青空に浮かぶ雲の数を数えるようにぼうっと空を見上げていた陽菜乃が、ちらとこっちに視線を向ける。
「例えばね」
「うん」
「隆之くんが家で暇を持て余していたとします。暇だなー、なにか面白いことないかなーと言っているときに樋渡くんから遊びの誘いがあったら嬉しくない?」
「嬉しいね」
その光景を想像して答える。もはやわざわざ想像なんてしなくても嬉しいことなんて明らかだった。
「だからだよ」
「陽菜乃は俺から遊びの誘いがあったら嬉しいのか?」
「嬉しいよ。すっごく嬉しい」
穏やかで、けれど力のこもった答えに俺はつい照れてしまう。こういうことを直接言われることはあまりないので、どう反応していいのか分からない。
「そういうことなら、善処するよ」
「お願いします」
言って、陽菜乃は「よっ」と浮き輪から飛び降りて海の中に入った。
急にどうしたんだと見ていると、陽菜乃は浮き輪をこちらに渡してきた。
持てと?
そう思ったけど違うらしい。
「隆之くんも乗っていいよ。わたしが押すから」
「え、いや、いいよ」
普通に恥ずかしいし。
しかし、俺の断りを受け入れるつもりはないのか、陽菜乃はなおも浮き輪を押し付けてくる。
「ほら、はやく!」
「なんでそんなに急かすの!?」
「いいから! これも命令だよ?」
「……」
そう言われると返す言葉がない。
仕方ないなと浮き輪に乗ろうとしたけど、海の上で行うのは中々に難しい。
必死に乗ろうとじたばたしているところがどうにも間抜けに思えてしまう。
必死の思いでようやく浮き輪に乗り、穴にお尻を入れてぷかぷかと浮かぶことに成功する。
この格好、水の中から見たらめちゃくちゃ恥ずかしいよな。陽菜乃もさっきまでこの格好でいたのかと思うと体が熱くなった。
しかし、こうしてのんびりと空を見上げる時間は悪くない。
が。
「それじゃあ押してくよー」
陽菜乃がゆっくりと浮き輪を押すことで俺は前に進む。
手足は水についていないので、俺は彼女の意思に抗うことができない。
ちょっと怖いとも思う。
相手のことを信頼していないと、常に緊張状態でいることになる。のんびり空を見上げることなんてできないぞ。
さすがに海という場所で、彼女がふざけるとは思わないので俺はすうっと体の力を抜く。
陽菜乃はリラックスした状態で会話してくれていた。少なからず、信頼はしてくれていたのかな。
「隆之くんって去年の夏はどうしてたの?」
なにを思ったのか、突然そんなことを訊いてくる。
思い出すほどの思い出なんてないんだよな。
「別に。家でダラダラしてたくらいだよ。あの頃は友達もいなかったし」
俺に友達ができたのは、陽菜乃と出会ってからだ。そして、彼女と出会ったのは文化祭が終わってからだから秋頃。
去年の夏は一人だったな。
まさか友達とこうして海に来ることになるとは思いもしなかった。
「たしかに、一人でいること多かったもんね」
「陽菜乃は?」
訊かれたので、一応訊き返しておく。
「わたしは同じだよ。誘われたら遊びに行くけど、自分から誘うことはあんまりなかった。だから、なにもない日はななの相手させられてたかな」
なにそれ最高じゃん。
そんな夏休みなら一生過ごせるんだけど。夏休みの終わりが来なければいいのにと思うに違いない。
「それを言えば、俺も梨子に振り回されはしたかな」
家でダラダラしてると、梨子がやってきて『どうせぼっちのお兄は出掛ける予定もないだろうから、しょうがないけど付き合ってあげる』なんて言って買い物に付き合わされた。
それも何度も。
思えば、毎年のように振り回されていたな。
今年は今年で例年通り買い物に付き合わされたっけ。
友達ができたからといって相手をしなくなると寂しがるだろうし、声をかけられたら相手してやるか。
「いい妹さんだよね、梨子ちゃん」
「どこが」
「お兄ちゃんのこと大好きでしょ?」
「生意気だし我儘だし、大嫌いの間違いじゃない?」
「あれは好きの裏返しというか、好きだからこそだよ。大好きなお兄ちゃんに構ってほしいんだよ」
「……どうだろうなあ」
構ってほしい、というところには少し納得できる。寂しがり屋ではあるからなあ。
「隆之くんはいいお兄ちゃんだよ。梨子ちゃんの態度がそれを物語ってる。ななも凄い気に入ってるし」
「ななちゃんに気に入ってもらえたのが、梨子の兄だったからというのなら、梨子にも感謝しておくかな」
褒められてこそばゆい気持ちを冗談で笑い飛ばすと、陽菜乃もおかしそうに笑ってくれる。
「だからきっと、隆之くんはいい彼氏になるね」
唐突にそんなことを言ってくる陽菜乃。背中を向けているのでどんな顔をしているのか分からないけど、声は弾んでいるように思えた。
「いいお兄ちゃんがいい彼氏になるとは限らないのでは?」
「ううん、まあ限らないのかもしれないけど、わたしはそう思うな。梨子ちゃんがうらやましい」
ぽしょぽしょと、最後の方は声が小さくて上手く聞き取れなかった。
梨子がどうとか言っていたように思うけど。
聞き返そうかと思ったけど、陽菜乃はすぐに別の話題に切り替えてしまったのでタイミングを逃してしまう。
「結構離れちゃったし、そろそろ戻ろうか」
「そうだね。じゃあ」
彼女に習って、俺も浮き輪から勢いよく飛び降りた。水しぶきが陽菜乃にかかり、きゃあと楽しそうな声を上げた。
「交代しようか」
その後、陽菜乃を浮き輪に乗せてもとの場所まで戻ることにした。
今潜ったら……なんて、煩悩が仕事し出したのでその度に俺は自分の頬を叩いた。
やはり、同級生の水着を前に冷静ではいられないらしい。
陽菜乃はぱちんという音に不思議そうな顔をしていた。
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