第122話 エンジョイSUMMER⑧


「あれ、みんなは?」


 ブルーシートのところへ戻るとそこにいたのは柚木だけで、樋渡と秋名の姿が見当たらない。


「優作くんは海だと思うよ。梓もたぶんそれについてった」


 別に待っていてくれとも言ってなかったのでそれは全然いいんだけど。果たしてどこへ行ったのだろう。


 段々と人の数も増えてきたのでこの中から探し出すのは中々に困難ではないだろうか。


 なんて思ったけど。


「イヤッッホォォォオオォオウ!!!」

「ヒャッハァァァアアアァアア!!!」


 めちゃくちゃ目立っていたので普通に見つけることができた。


 海に向かってジャンプして見事な飛び込みを披露していた。


「あ、陽菜乃ちゃん。梓が呼んでたよ?」


「わたし?」


「うん」


「なんだろ。ちょっと行ってくるね」


 言って、陽菜乃ははしゃぐ樋渡と秋名のところへ行ってしまう。

 俺はどうしようか、陽菜乃と一緒に行けばいいのかなと考えたときにふと思う。


 柚木はなんでここにいたんだろう、と。


 普通に考えれば俺たちが戻ってくるのを待っていたって理由だろうけど、だとすれば陽菜乃と一緒に海に向かえばいい。


 けど彼女はそうしなかった。


 それはつまり、なにか目的があってここにいるということだ。


 その目的とは?


 やはり水着姿は刺激的なため、彼女の方を見ないよう海に視線を向けたまま俺は口を開く。


「柚木は行かないのか?」


 そのとき、目の前を二人の女性が通り過ぎる。大人の女性と言うに相応しいボン・キュッ・ボンなナイスバディなお姉さんだ。


 あれは普通に見れるんだけどな。


 むしろ見たいくらいなんだけど。


 同級生だと急に照れてしまうんだよな。なんなんだろ、この不思議な現象。


「うん。隆之くんに用事があって」


「俺に?」


「そう。用事っていうか、お願い?」


 なんだろう、と俺はちらと彼女に視線を向ける。


「さっき言ってたなんでも言うこときいてもらえる権利をここで使いたいと思います」


 言いながら、なぜか柚木はごろりとブルーシートに寝転がった。

 彼女の行動に俺はさらにクエスチョンマークを浮かべる。


「これ、塗ってもらっていいかな?」


 言いながら、渡してきたのは恐らく日焼け止めかなにか。それっぽい見た目をしている。


「なんで俺が?」


「なんでも。ほら、口ごたえしないの」


 ぽいとその日焼け止めを投げてきたので反射的に受け取ってしまう。改めて見ると、やっぱり日焼け止めだった。

 俺はこういうのに詳しくないのでもちろん知らないパッケージだ。


「俺じゃなくて秋名とか日向坂さんの方がよくない?」


 ていうか、さっき秋名には塗ってたんじゃなかったっけ?

 その流れで普通攻守交代しない?


「隆之くんに塗ってもらいたいの」


「……なんで」


「早くしないと陽菜乃ちゃんたち帰ってきちゃうよ?」


 柚木はうつ伏せになって「はやくー」と足をバタつかせる。

 できないわけではないし、無茶というほど無茶でもない。断るには材料というか理由が足りない絶妙なラインだ。


 けどなあ。


 これ、正直良くないと思うんだよな。


 俺は柚木の隣に座り、日焼け止めを手のひらに出す。

 イメージの中にある日焼け止めのクリームに比べると、少しドロッとしている。


「……」


 こういうのってフィクションの中で海に行ったときにたまに発生するイベントだろ。

 現実で起こってどうするんだよ。まして自分に起こるなんて思いもしていなかった。


 俺は手のひらに乗せた日焼け止めを手をこすり広げて、そして一度深呼吸をする。


 やるしかない。

 やらないと終わらない。


「……隆之くん?」


 あまりにも始まらないからか、うつ伏せのまま柚木が俺の名前を呼ぶ。そんなに急かさないでほしい。こっちにも心の準備というものがあるんだから。


 すうはあ。


 小さく深呼吸をして。


 そして、覚悟を決める。


 いくぞッ。


「ひゃあ!?」


 ぴた、と彼女の背中に触れた瞬間に驚いたように声を漏らす柚木は、真っ赤にした顔をこちらに向けてきた。


「急に触らないでよ」


「ええー」


「それじゃあいくよ? とか言ってくれないと」


「……悪い」


 まあ、確かに柚木はうつ伏せでいつ触られるかとか分からない状態だし、突然触るのは不親切だったな。


 でも仕方ないよ。

 こっちだっていっぱいいっぱいなんだから。


「それじゃあ、いくぞ」


 しかし、改めてこうまじまじと見るときれいな背中だなと思う。


「……うん」


 俺はゆっくりと彼女の背中に触れる。

 そして、そのまま手を動かしてまんべんなく塗っていく。


 人の肌に触れる機会なんてこれまでほとんどなかったけれど、柚木の背中はすべすべで柔らかく、こう言うのは多分間違っているんだろうけど心地良くてずっと触っていたいと思わされる。


 上へ。


 下へ。


 首、肩、背中に日焼け止めを塗る。


 触れば触るほど、自分の中にある煩悩が暴走しようとしているのが分かる。


 だから俺は必死に心を落ち着かせ、そういう気持ちを排除する。


 こういうことを考えるのは、俺のことを信頼し日焼け止めを塗ることをお願いしてきた柚木に失礼だ、と思うかもしれないけど、この一連の流れを前にして煩悩を働かせないなんて無理だ。言い切っていい。


 深呼吸しながら、必死に気持ちを押し殺す。心を無にして、作業に集中する。


「背中と首回り、終わったけど」


 ふう、とひと仕事終えた安堵の息を吐いて言う。


 が。


 柚木は体を起こすことなく、うつ伏せのままこんなことを言う。


「そのまま、足もお願いしていい?」


「……自分でできない?」


「自分でやるとほら、あんまり上手く塗れないでしょ?」


 いや知らんがな。

 塗ったことないんだから。


「足で終わりだぞ?」


「うん。よろしく」


 腹を括って、もう一度手のひらに日焼け止めを広げる。


 まるでガラス細工を扱うように、恐る恐る彼女の太ももに触れる。太ももというか、足の付け根なのでもはやお尻と言ってもいい場所だ。


 もちろん、背中と比べて柔らかい。


 背中もすべすべでふにふにだった。

 自分の背中では感じられない感触だったというのに、ここはそれを遥かに凌駕した。


 まるでお餅のよう、と表現するのは些かありきたりな表現かもしれないけれど、俺の平凡な思考ではそれ以外の比喩が思いつかない。


 触れた瞬間に思考が吹っ飛んだ。


「……んっ」


 柚木が変な声を漏らしたような気がするけどきっと気のせいだろうそうに違いない。


 そうやってしばらくの間、日焼け止めを塗る作業を無心で行い、ようやくすべてを終える。


「ありがと。助かったよ」


 ようやく起き上がり、腕やらお腹やらといった残りの部分に日焼け止めを塗りながら柚木が言う。


「……ああ」


 ただでさえ直視できない彼女なのに、さっきの作業のせいでさらに見れなくなってしまう。


 どっと疲れた俺は俯きながら言う。


「ところで、どうだった?」


「なにが?」


 弾むような声に、お通夜のような声を返してしまう。


「女の子の体。堪能できた?」


 耳元で囁かれ、俺は慌てて顔を上げる。


 驚いて数メートル後退り、柚木の顔を見るといたずらっ子のようににひひと笑っていた。


「……からかうなよ」


 俺が恨めしさを込めて吐いた言葉に、柚木はやはり楽しそうに笑いながら「ごめんね」と、反省の色など一切見えない笑顔で言うのだった。

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