第115話 エンジョイSUMMER①
まだ太陽が昇り切っていない早朝、家族を起こさないように控えめに騒ぐアラームを止めて俺は起き上がる。
「……ねむ」
ぼうっとした頭のまま、俺はぐしぐしと目を擦りながらしばしその場で固まる。
このままパタリと倒れて二度寝してしまおうかという誘惑に負けそうになったところでハッとする。そんなことしたら確実に寝過ごす。
俺はパチンと頬を一度叩き布団から出た。
目を覚ますために洗面所に向かい、顔を洗う。
『え、お兄、海行くの!?』
ふと、昨日の梨子との会話を思い出した。
ちょうどこうして歯を磨いていたときに、梨子も同じように歯を磨きにやってきて、そんな話になったのだ。
鏡の前に並び、二人しゃこしゃこと歯を磨きながら会話をした。
『まあな』
『ええー、いいなぁー。あたしも行きたいいいい』
梨子は海が好きで、子供の頃は家族で行ったりもした。
両親の仕事が忙しくなったのと、俺も梨子もそこそこ大きくなったこともあって、いつしか行かなくなったんだけど。
『友達と行けばいいだろ?』
『みんな夏期講習とかあって忙しいって言うし。そもそも子どもだけで海に行かせてもらえないじゃん』
うちの両親……特に親父の方は梨子にとにかく甘々だ。故に過保護にもなるので、いろいろと厳しい部分もある。
夜の外出とかに結構うるさいらしい。俺なんてなにも言われたことないのに。
『じゃあ来年まで我慢するんだな。受験も終わって高校生になって、最高の夏にすればいい』
『勉強がんばってる妹を労ってあげようって気はないのかね? ねえ?』
『……ないなあ』
『あれや』
そのあともひたすらに羨ましがられたものだ。
思い返すと、これまで梨子にあんな羨ましがられることはなかった。俺はぼっちだったし、そんな俺に羨むポイントなんて一つもなかったのだ。
自分で言ってて悲しくなる。
「……ふう」
顔を拭いて自室に戻り、昨日のうちに準備しておいた服に着替える。
俺のタンスの中に仕舞ってある服の中でもマシなものをチョイスしたつもりだ。
中には『しいたけ』と書かれただけの白シャツとかあるけど、さすがにこれを着ていくわけにはいかない。
おしゃれな服を、とまでは言わないけどせめてダサくない服を選びたい。
なので、白にワンポイントのデザインが施された胸ポケット付きの白シャツと薄めのパンツ。
必要なのかは分からないけど、一応キャップを被る。
すでに荷物を詰めておいたリュックを背負ってさっさと部屋を出る。忘れ物があるような不安に駆られるが、昨日散々確認してるので大丈夫だろう。
玄関で靴を履き替えていると、ちょうど寝室から出てきた母さんと遭遇した。
「もう出るの? 早いわね」
「ああ」
「気をつけて行ってらっしゃいね」
「うん。行ってきます」
*
家を出て最寄りの駅まで歩く。
集合場所の駅までは三十分ほどかかるけど、それでも集合時間には十分間に合うだろう。
薄暗い空を見上げながら、不思議な気分になる。
こんな時間に外に出ることがないので、太陽が昇り切っていないこの景色が珍しい。
日中はあれだけ暑いのに、この時間帯はそうでもない。もちろん、日中に比べてというだけで、普通に温度はしっかり夏なんだけど。
そんなことを考えながら歩いていると最寄りの駅に到着する。ICカードをかざして改札を通過し、ホームに向かう。
「あ、隆之くん。おはよ」
ホームに行くと、俺の姿に気づいた柚木がにこりと笑顔を浮かべながら小さく手を振ってきた。
手を振るとか、中々に恥ずかしいので男に対してやらないでほしい。
俺はその代わりに軽く手を上げて返し、彼女のもとへと向かう。
「ちゃんと起きれたんだね?」
「さすがにな。寝坊したら迷惑がかかるし」
柚木はベージュのシャツにミニスカートと涼し気な格好ではあるが、ゆらゆらと揺れるスカートには目のやり場に困ってしまう。
「帽子、お揃いだね」
「違う帽子だろ」
「黒いキャップってところは一緒なんだから、お揃いでしょ?」
たしかに模様こそ違うけど、黒のキャップという点では被っている。そう言われると急に気恥ずかしくなってきた。
「隆之くんが帽子被るの珍しいね」
「普段は被らないからな。今日はちょっと遠出だし、念のためというか」
「似合ってるよ。いつも被ればいいのに」
そうまっすぐに褒められると普通に照れてしまう。俺は赤くなっているかもしれない顔を隠そうと、キャップのツバを掴んで俯いた。
そのとき、ちょうど俺たちが乗る電車が到着したので、ガラガラの車内に入り適当に座る。
もちろん並んで座るわけだが、近づくとなんのにおいか分からんけどいいにおいが鼻腔をくすぐる。
なんで女の子っていいにおいするの?
「なに?」
じっと見ていたことがバレたらしく、柚木はこてんと首を傾げながらこちらを見上げる。
俺は慌てて視線を逆の方へ飛ばした。
「いや、なんでも」
「女の子の服装とかはちゃんと褒めるべきだと思うよ」
「よく似合っておりますね」
「気持ちがこもってないなあ。あと今度は言われる前に言ってほしいかも」
そう言って、くすくすと柚木は小さく笑った。どうやら誤魔化せたらしい。
「隆之くんは水着着てこなかったの?」
俺が穿いているズボンが以前に買った水着ではないことに気づいた柚木がふと口にする。
「ああ。電車とか乗るし、どうなのかなと思って。柚木は着てきたのか?」
「もちだよ。あっちに着いたら一目散に海に向かえるようにね」
「ちゃんと着替えは持ってきたか?」
下に水着を着て来るあるあるとして、着替えを忘れるというものがある。
まあ、漫画の中とかで見るだけで実際は起こったりしないんだろうけど。
などと、思っていたのだが。
「あ!」
と、柚木がハッとしたように言う。
おいおい嘘だろと思いながら彼女の方を見たのだが。
「なーんちゃって。驚いた?」
ぺろっと舌を出して、柚木はおちゃめに笑っていた。
「……いや、別に。ぶっちゃけ俺には関係ないし」
「つめたっ! 友達がノーパンで帰ることになんとも思わないの!?」
「女の子が電車の中でノーパンとか言うなよ……。今の時代、パンツごときコンビニでも買えるわけだし焦ることもないだろ」
便利な時代になったもんだよ。
ていうか、昔はコンビニにパンツとか売ってなかったのかな。もし売ってたらそもそも着替えを忘れるという事件は大した問題ではないわけだが。
「たしかにね」
そもそも。
現実ではそんなミスを犯すようなやつがいないんだよな。
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