第114話 もしも、いつか③


『買い物付き合ってくれたから、なんか冷たいものくらいご馳走するよー』


 試着室から出てきた秋名が買い物を終え、そんな提案をしてきたので俺たちはあまり混んでいない喫茶店に入ることにした。


 俺と榎坂との会話を聞いていただろうに、それについてなにも触れてこないのは、俺に気を遣っているからだろうか。


 聞かれたからどうなんだって話だけど、なにも触れられないのはそれはそれで気持ち悪い。


「なににする?」


「オレンジジュースでいいや」


 こういうところだとコーヒーとか飲みたくなるけど、今日はそういう気分にならなかった。


「それだけでいいの? せっかく私が奢ったげるって言ってんだから遠慮なんかすんなよ?」


「……じゃあバナナクレープ」


 俺が言うと、秋名は少し意外そうに目を開く。

 

「そういうの食べるんだ。まあいいけど」


 言いながら、自分の分も含めて注文を済ました秋名は、「いい買い物をしたよ。これで今度の海も安心だね」とお気楽な調子を見せる。


「……その、さっきのことなんだけど」


 俺は意を決して口にする。

 もし仮に話を聞かれていたとして、主観的な物言いで広められたりしたら困るし、やはり一応話しておくべきだろう。


「んー?」


「聞こえてたよな?」


 おそるおそる尋ねてみると、秋名は「まあね」と短くそれだけを口にする。


「志摩にもそういう時期あったんだって驚いちゃったよ」


 そういう時期、というのはおそらく誰かを好きになるとか告白をするとか、そんな感じのことを言いたいのだろう。


「まあ、そりゃ俺だって男だし。まして、中学生なんてそういう時期だろ」


「違いないね」


 くすりと笑う秋名だが、その笑いがどこか自嘲気味に見えたのは、俺の錯覚だろうか。


 そういえば、秋名は秋名でそういう話を聞かないんだよな。

 女友達はもちろんだけど、男友達だって多いのに。


 恋人というよりは友達のように思える、という印象を持たれるのだろうか。

 現に俺だってそうなわけだし。


 そう考えると、実は秋名のこと、あんまり知らないんだな。

 

「それで、それがどうかしたの?」


「いや、なにも言ってこないからさ。秋名のことだから、てっきりからかってくるもんかと」


「さすがの私も触れていいこと悪いことは弁えてるよ。志摩的にも知られたくないことなんだろうなーって雰囲気はあったし。だから聞かなかったことにしたんだけど」


 お調子者なイメージだけど、ちゃんと引くべき一線は考えてるんだな、と少し感心する。


「あんな子が好きだったん?」


 秋名の質問に、もちろん違うとかぶりを振る。


「最初はあんな感じじゃなかったんだよ」


 そして、俺は中学時代に榎坂との間で起こったことを話した。

 別に面白い話でもなかったろうに、秋名はただ黙って聞いてくれた。


「そりゃあれだね、くそ女だね」


 くくく、とあくまでもシリアスにならないように、わざとそういう言い方をして秋名は笑う。


「けどあれだよ、私からしてみたら志摩も志摩だよ」


「どういう意味だ?」


 尋ねてみると、秋名は少しだけ考える。

 

「これはほんとにただそう思うだけで、悪気も悪意もないんだけど、その一件だけで恋愛に対して臆病になるのはどうなのさ?」


 もしこれがあの一件のすぐあとで、精神的にダメージを負っていたときならば、あるいは苛立ちを覚えたかもしれない。


 けど、今はそうじゃない。


 そうじゃないことに、自分でも少し驚いた。


「あのときは本当に凹んだんだよ。世の中の女の子はみんなそうなんだって本気で思ってた」


「捻くれてるなあ」


 そんな話をしていると、注文していた飲み物とフードが届いた。

 俺の前にはオレンジジュースとバナナクレープ。秋名の前にはアイスコーヒーとストロベリーパフェ。


 中々に大きな容器にどっさり詰め込まれたパフェに驚いたけど、秋名も少しぎょっとした顔をしていた。


ってことは、じゃあ、今はもう大丈夫なわけ?」


「……」


 俺は後ろめたく視線を逸らす。


 今はもう大丈夫かと言われると、実際どうなんだろうと自分でも思う。


「世の中には一定数いると思うよ、そういうくそ女も。でも、そうじゃない人だっているのも事実じゃん? ほら、私とかね」


「自分で言うなよ」


 俺がツッコむと秋名はおかしそうにケタケタと笑う。


 秋名の言うとおりなのだ。

 中学時代に榎坂との一件があって、そういう先入観を持って女の人を見ていた。


 どころか、この人も結局裏の顔があって何か意図があって近づいてきているに違いないと決めつけていたとさえ言える。


 でも、今はそんなことないと分かっている。


 そう思わせてくれる友達ができたのだ。


「もし誰かが告白とかしてきたらどうするの? またバカにされるって思って断るつもり?」


 若干、真面目なトーンになった秋名がそんなことを言う。

 ちらと彼女の顔を見ると、やっぱり真面目な表情をしていた。

 

「俺に告白なんかしてくる女子がいるとは思えないけど」


「もしもの話じゃん。いるかもしれないでしょ、志摩みたいなのを好きになるもの好きがさ」


 どうだろう。


 あれはいつだったろう。

 柚木くるみがからかうように告白まがいのことをしてきたことがあった。

 もちろん、彼女が榎坂のようなことをしてくるとは思っていない。


 けど、そのときにふと思い出したのはその一件だ。


 だとしたら、まっさらな状態でその告白を受けることはできないのかもしれない。

 どうしても、そういう警戒を無意識のうちにしてしまうかもしれない。


「もしそんなことが起こるときが来たらさ、ちゃんと向き合ってあげてよ。ほんとに好きで、心の底からの気持ちをぶつけてるのに、そんな理由で断られるなんて可哀想でしょ」


 俺が答えあぐねていると、秋名がそのまま言葉を紡ぐ。

 

「……そうだな。秋名の言うように、もしそんなことが本当にあったら、ちゃんと向き合うよ」


 向き合えるのだろうか。

 騙される、と思っているわけではなくて。

 ただ、どうしても一歩踏み出すのが怖いのだ。


 例えば木から落ちたせいで、その後高いところが苦手になるような。

 例えばイヌに手を噛まれたせいで、それからずっとイヌが怖くなるような。


 そんな誰もが持つ過去のトラウマ。

 それを消し去ることは難しいだろう。


 もし、そのトラウマを消し去るができたとしたら、俺はなんの迷いも戸惑いも躊躇いもなく、誰かと向き合うことができるだろうに。


「今はやっぱり、まだ難しいのかもしれないけどな。いつかそのときが来たときのために、覚えておくよ」


 ひょいぱくひょいぱく、とストロベリーパフェを次々に食べながら、秋名は「それでいいよ」と小さく言った。


 溶けないように急いでいるのかもしれないけど、たぶんちょっと真面目なことを言ったのが恥ずかしかったんだろう。


 その証拠に、ちょっとだけ耳が赤くなっている。


「あ、そうそう。もし彼女とかできたらちゃんと報告してよね」


 雰囲気を変えようとしてか、わざとらしく極めて明るい声色で言ってくる。

 

「なんでだよ」


「そりゃ決まってるじゃん」


 スプーンを動かす手が止まり、秋名はこちらを向いてニカッと笑う。


 そして、こんなことを言った。


「盛大にイジリ倒してやるからさ」


 だから。

 

 絶対に言ってやらないでおこうと思った。

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