第107話 水着を買おう⑥
「あたしも一緒にご飯食べようと思って。いいかな?」
「家にないのか?」
走って戻ってきたのか、柚木くるみは少し息を切らしている。
俺がそう問うと、笑いながらこくりと頷いた。
「さっき、今日家族が出掛けてるからご飯済ましといてって言われてたの思い出して」
「そうなのか。そういうことなら、どっかで一緒に食うか」
「うん」
柚木と二人で飯を食べることはあまりない。誰かと一緒にっていうのがほとんどだ。
登下校で一緒になることはある。
けど、それだけだ。
こうして放課後に二人で、という機会も実はそこまで多くない。
なので、急に二人でとなると少し緊張してしまうな。
「なにか食べたいものあるか?」
俺は館内マップに視線を移しながら問う。それに続いて柚木も館内マップを確認した。
和食、洋食、中華、イタリアンなどなど。
さすが人が集まる施設なだけあって、種類は豊富である。
「なんでもいいの?」
「ああ」
一人なら適当に済ませようと思っていたけど、さすがに誰かと一緒となるとそういうわけにもいかないだろう。
まして、相手は女子だ。
聞くに、女子と食事をする際に選んではいけないNG店というものがあるんだとか。
そんなん知らんがなと言いたいところだけど、わざわざそれを踏みに行くのもバカバカしい。
陽菜乃とご飯を食べたこともあったけど、あのときもたしか彼女に選択権を委ねたはず。
結局、それが一番安全なんだよな。
「それなら、オムライスがいいな」
「オムライスね。じゃあ行こうか」
*
オムライスというのはわざわざ外食で食べるほどのものではないと思っていた時期が俺にもありました。
だってオムライスだぜ。
チキンライスを卵で包んでケチャップかけるだけじゃん、というのがさっきまでの俺の意見。
でも今は違う。
「うま」
卵はふわふわ。
ケチャップではなくデミグラスソースをかけることで普段とは異なる味を楽しめる。
中のチキンライスも絶妙な味付けで卵とソースに馴染んでいる。それぞれが邪魔をし合っていない。
一緒に食べようと頼んだフライドポテトも絶妙な塩加減で文句なしだ。
「そんなに美味しい?」
うまうま、とオムライスを口に運ぶ俺を見て、柚木は不思議そうにつぶやく。
「美味いな。オムライスのお店を舐めてたよ」
「そうなんだ。まあ、喜んでくれたならここを選んでよかったよ」
「俺も柚木と来れてよかったと思うよ」
俺一人ならば確実にこのお店を選ぶことはなかっただろう。つまり、この味もこの気持ちも感じることはなかったのだ。
彼女がこのお店を選んでくれたおかげで、俺はこのオムライスに出会うことができた。
美味しいヤミー感謝感謝。
「……へ?」
カランカラン。
と、柚木がスプーンを落とす。
「あ、わ」
「大丈夫か?」
「うん。ご、ごめんね」
音に気づいたらしい店員さんがすぐに新しいスプーンを持ってきてくれた。
「スプーン落とすなんて、なんかぼーっとしてたのか?」
「いや、まあ、そんな感じかな」
あはは、と誤魔化すように笑う柚木を不思議に思いながらも、これ以上の詮索は悪いかなと思い、やめておく。
「夏休みにね」
なにを話そうかと悩んでいると、少しの沈黙が起こって、それを破るように柚木がぽつりと話し出す。
「みんなで海に行こうって話をしてるじゃん?」
「うん」
「それ以外にもね、会える日ってあるかなーって思ってるんだけど」
ちら、と上目遣いをこちらに向けてくる柚木は、きっと誰が見ても可愛い女の子だと思えるほどで、俺はついつい目を逸らしてしまう。
「そりゃ、俺のスケジュール帳は基本的に真っ白だからいつでも予約は空き状態だけど、他のみんなはどうなんだろうな」
「隆之くんと二人で会いたいの」
「二人で?」
さすがの俺も動かしていた手が止まる。
それはどういう意味で?
そんな言葉が口から漏れ出そうになって、俺は咄嗟に飲み込んだ。
深い意味なんてないんだ。
ただ予定を埋めたいだけで。
あるいは、俺の予定を埋めようとしてくれていて。
そう思い込んで。
そう言い聞かせて。
俺は水をごくりと一口飲む。
「連絡くれれば、いつでもいけるよ」
「ほんとに?」
「ああ」
「じゃあ、また誘うね」
そもそも、考えてみれば柚木くるみのような友達の多い女子が俺のことを特別に思っているはずないか。
女子慣れしていないが故に、ちょっとしたことで意識してしまうのはモテない男子の悪いところだ。
そんな話をしていたのだけど、ふと柚木はこんなことを言った。
「陽菜乃ちゃんってね、ロマンチストだと思うんだ」
「急になんだ?」
「どう思う?」
どうと言われても。
ロマンチストってなんだろう。
夜景の綺麗な場所で、振り返ると恥ずかしくなるようなポエミーなプロポーズがされたい、と思っているような人のこと?
いつか白馬の王子様と出会えると思っているとか。
運命の赤い糸が繋がっていて、その人と結婚したいと願っているとか。
そういうこと?
だとしたら、日向坂陽菜乃はどうだろう。
そう考えてみたけど、やっぱり分からなかった。
「どうなんだろうな」
「あたしはそう思うんだ。きっと、思い続けていれば想いは届いて結ばれるって本気で思ってる。陽菜乃ちゃんくらい可愛い女の子なら、それもそうなのかもしれないけどね」
はあ、と俺は小さく相槌を打つ。
たしかに日向坂陽菜乃は誰がなんと言おうと紛うことなきモテモテ女子だ。
彼女に好意を寄せられて迷惑だなんだと言う野郎はいないだろうし、なによりいつかイベントで取ったアンケートの結果が物語っている。
「けどね」と柚木は言う。
「あたしは違う。欲しいものは手に入れようとしないと手に入らないし、じっとしてたら逃げてしまうことも取られてしまうことも知ってる。あたしと陽菜乃ちゃんは全然違うんだ」
そうだろうか、と俺は彼女の言葉に異を唱える。
「みんなから好かれてて、友達も多くて……俺からしたら二人は似てるところもあると思うけど」
どうだろ、と言った柚木は自嘲気味に笑った。
「もしかしたら隆之くんの言うように似てる部分はあるのかもしれないけど、だとしたらそれはとても光栄で嬉しいことだけれど、でもやっぱり根本はきっと違うよ。陽菜乃ちゃんはロマンチストだし、あたしはリアリストだ」
俺は柚木のことを、思っているよりも全然知らないのかもしれない。
彼女が見せているのは数ある中の一部でしかなくて、柚木くるみという女の子にはもっともっといろんな一面があるのか。
「……つまりどういうこと?」
なんとなくふわふわとした柚木の物言いに、俺は疑問をぶつけることにした。
「わからない?」
「まあ」
「ほんとに?」
じいっと俺の目を見つける柚木の顔はいつになく真面目で、真剣なものだった。
まるで引き寄せられるように、俺は視線を逸らせないでいた。
柚木の言葉に、俺はこくりと強く頷く。
すると、彼女はくすりと笑い。
そして、
「こういうことだよ」
テーブルの真ん中にあるフライドポテトのお皿に箸を伸ばした柚木は、最後の一つを掴み、ひょいと口の中に放り込んだ。
「……なんだそれ」
「早い者勝ちなのだよ。何事もね」
そんなことのために、あそこまで真面目な顔してああだこうだと話していたというのか?
本当に掴めない女の子だ。
でも。
しかし。
だとしたら。
どうして柚木はわざわざ日向坂陽菜乃の名前を口にしたんだろう。
俺の中に浮かんだ疑問の答えは出ないまま、結局その日は終わりを告げた。
そして。
今までにないような、熱い夏が始まる。
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