第108話 夏の日のエンカウント①


 夏休みが始まった。

 エアコンの効いた部屋でアラームに起こされることもなく満足するまで惰眠を貪ることができる。


 そんな最高な毎日がこれからもずっと続くと思うとうきうきが止まらない。


「お兄、起きて」


 ゆさゆさ、と心地よい眠りを邪魔する振動が俺の体に襲いかかるが、負けてたまるかと頑なに俺は目を瞑り続ける。


「お兄ってば」


 少し荒立った声色と共に、揺らす力も強くなる。が、それでも俺は負けない。

 人生において、ときに負けられない戦いと直面することがあるのだ。


 それが今だッ!


「起きろやァ!」


 ドガッと布団に守られた背中を思いっきり蹴られたところで、さすがに俺は起き上がる。


「いッてぇ!」


 本気の蹴り入れてきやがったぞ。

 寝ているお兄様を思いっきり蹴ってくる妹がいるか? いや、いるけども。


「起きないお兄が悪い」


「……なぜ起こす?」


「もうお昼だから」


「昼?」


 言われて、机に置いてあるデジタル時計を見ると、たしかに昼だ。正確に言うなら十二時十二分だ。


「寝過ぎだな」


「寝過ぎだね」


 さすがに夏休みだからといって昼過ぎまで寝ているのはちょっと違うように思う。


 昨日、夜遅くまで映画を観ていたのが良くなかったな。


「それよりお腹空いたんだけど」


「昼飯は?」


 学生は夏休みに突入しても、大人にはそんなものはない。お構いなしに両親は朝から仕事に向かっているだろう。


「ないから言ってるんじゃん」


「作れと?」


 訊けば梨子はこくりと頷く。

 自分で作るという選択肢はないのだろうか。

 別に料理が苦手ってわけじゃないのに、面倒くささが勝ってしまうのだろう。


 上手く乗せればご機嫌な様子で作ってくれるが、さすがにこのタイミングからは難しいか。


 機嫌損ねられてもかったるいし、ここは大人しく言うこと聞いておくか。


 とりあえず洗面所で顔を洗い目を覚ましてからキッチンに移動する。

 俺も梨子も、別に食に対してこだわりがあるわけではない。言ってしまえばお腹が膨れればそれでいい。


 冷蔵庫と棚を確認し、手っ取り早くそうめんを作ることに決めた俺はちゃっちゃかちゃっちゃか準備を進める。


 麺をゆで、その間にたまごをを焼く。それを冷やしている間にきゅうりとハムを切る。

 梨子は生姜が好きではないのでたまごやらなんやらを用意してやらないといけない。


 麺をゆで終えると水で流す。それを氷水につけ、切ったたまごきゅうりハムを皿に盛り付ければ完成だ。


 所要時間は十分程度。アレンジも効くし簡単に作れる、夏のお昼はそうめんで決まりだ。


「できたぞー」


「おー」


 すでにテーブルに箸やらコップやらの準備を済ませて待っていた梨子が待ちわびたぜと言わんばかりに声を漏らす。


 別段興味があるわけではないが、テレビはワイドショーにしておく。


 前に座ってそうめんをちるちると啜る梨子の方を見る。


「出掛けたりしないのか?」


「しないけど。なんで?」


「いや、別に意味はないけど」


「お兄は?」


「なんもないよ」


 夏休みが始まってすぐのこの時期に宿題に手を付けるのもちょっと違うし。というか気が乗らない。

 夏休みはまだまだこれからなのだから、ゆっくりやっていけばいいだろう。


「じゃあ買い物付き合って?」


「買い物?」


 ぱあっと顔を明るくして梨子が言う。

 この感じは間違いなく荷物持ちだ。

 炎天下の中、重い荷物を持って家と店を行き来するなんてもはやある種の拷問。


 本来ならばお断り案件だ。


 でもなあ。


 そうすると機嫌損ねるからなあ。


 そうなった梨子は非常に面倒だ。あの手この手を使ってご機嫌を取らないといけない。

 結果、あのとき買い物を受け入れておけばと後悔するのは目に見えている。


 梨子も夏休み毎日付き合わせるつもりはないだろうし、長い休みの一日くらいならと思えばギリギリ許容できる。


「ねえ、いいでしょ?」


 よほど俺が渋い顔をしていたのか、梨子は甘えるような声を出す。


「……まあ、今日は暇だしな」


 あくまでも今日は暇だからという意味合いを強調するように言うと、梨子は満足げにむふーっと笑った。


 そんなわけで、梨子と出掛けることになった。



 *



 そんなわけで二人仲良くキコキコと自転車を漕いでイオンモールへと向かう。


 こういう大きなショッピングモールが近くにあると、買い物するならとりあえずこことなるから楽でいい。


 服も食べ物もあるし、映画館やゲームセンターもある。他にも家電量販店もあるからわざわざ他のところに行くことがない。


 しかし、走ったわけでも暴れたわけでもないのに、この日差しに当たっているだけで否応なく汗をかく。


 イオンモールに到着したときには、服はしっとりと汗で湿っていた。

 まあ、エアコンの効いた室内にいればすぐに乾くか。


「それで、なに買うんだ?」


「んー、いろいろ。そんなに決めてない」


 ていうか、この子来年受験でしょ。

 受験は夏が勝負と言われているらしいけど、のんきにウインドウショッピングなんかしてて大丈夫なのか?


「お父さんにお小遣いもらったんだよ」


 どやぁぁぁ、とふっくら膨らんだ財布を見せてくる。

 え、ちょっとなにそれ、どういうこと? 俺もらってないんだけど。


 結構いい点数だったテスト見せても、「ほーん。で?」みたいなリアクションされただけなんだが。


 母さんがちょっと施してくれたから良しとするけど、うちの父親は梨子に甘すぎる。甘々過ぎる。


「とりあえず服を見よっかな。ほら、行くよお兄!」


 ちょっぴりテンション高めな梨子に連れられ、手始めになんて読むのかも分からない名前のお店へと向かうことになった。

 

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