第100話 雨の日③
「なにしてるの?」
まあ、だいたい予想はつくけれど、一応聞いておこうくらいの気持ちで尋ねておく。
「雨がね」
困ったような顔をして、陽菜乃はそう言った。
「急に降ってきたもんね」
俺がそう言うと、陽菜乃は俺の手にある傘を見た。
「そのわりには傘を持ってるみたいだけど?」
予報では雨とは言ってなかったというのに、俺が傘を持っていることが意外らしい。
「母の助言は偉大だなって感じかな」
母の不思議な予知能力によりこの雨に濡れることを回避しただけで、俺はなにもしていないのだ。
俺は陽菜乃の隣まで歩いて、空を見上げて雨の具合を確認する。
どしゃ降りというほどではないけれど、傘がないと確実に濡れてしまうくらいには降っている。
樋渡はこの雨の中走っていったのか。やるな。
「入ってく?」
傘を広げながら提案すると、陽菜乃は「えっ」と驚いたリアクションを見せる。
ここでそんな提案をするような男に思われていなかったのかな、とちょっとだけ凹んでしまう。
困っている人がいれば手を差し伸べるよう心掛けているのになあ。
「い、いいの?」
陽菜乃の遠慮がちな言葉に俺はこくりと頷く。
「ありがと」
「感謝なら樋渡に言ってくれ」
あいつが男同士の相合い傘を避けたからこそ、今こうして陽菜乃を迎え入れることができているのだ。
しかし、もちろん陽菜乃はそんなこと知る由もなく俺が言ってもないので、俺の言葉にこてんと首を傾げるだけだった。
「その傘、樋渡くんのなの?」
「いや、俺のだけど?」
言うと、陽菜乃は倒していたのとは逆の方に首を傾げる。謎が謎を呼んだらしい。
「気にしないでいいよ。行こうか」
「うん」
この雨の中、傘を持たずに帰ろうとする生徒の数は少ない。周りにいるのは折り畳み傘を常備しているようなマメなやつか、俺のようになんらかのサイキックパワーにより雨を予言したやつだけだ。
まあ、中にはカバンを雨よけにして走り去る生徒もいるけど。
つまり、あまり人目はないわけだけど、それでもやっぱり傘に一緒に入るというのは小っ恥ずかしい。
「隆之くん、自転車は?」
「この雨で自転車は危ないし、今日は電車で帰るよ」
「わたしに合わせてくれてる?」
「いや。もともと傘を差しながら自転車には乗らない派なだけだよ」
彼女に歩幅を合わせてゆっくりと歩く。
ふとしたときに肩が当たる。
それがなんだか申し訳なくて、俺は彼女から少しだけ距離を取る。
本来、傘というのは一人用だ。そこに無理やり二人入ろうというのだから、そうすれば狭っ苦しいスペースになるのは当たり前だ。
けど、当たらないようにすると濡れる。
相合い傘は恥ずかしいという風潮があるけるど、あれは相合い傘自体というよりはこの距離感がってことなんじゃないかな。
もちろん、俺も恥ずかしい。
だからこうして距離を取るのだ。肩が濡れるけど、これくらいなら許容範囲だ。
しかし。
さすがは日向坂陽菜乃とでも言うべきか。俺のそんな状態にすぐに気づいてしまう。
「隆之くん、肩濡れてるよ?」
「ああ、大丈夫」
「なにが!?」
陽菜乃が珍しく声を荒げてツッコんできた。
さすがにこれで誤魔化せるようなことはないらしく、俺は言葉を付け足すことにした。
「これくらいどうってことないよ」
「ダメだよ。ちゃんと傘の中に入って!」
「いや、でも」
「なに?」
そうなると肩と肩が当たるじゃないですか、なんて言えない。俺だけが意識してたりしたらちょっと気持ち悪いし。
結局、陽菜乃を納得させられるような言い訳を思いつくこともなく、かといって彼女が諦めるようなこともなく、俺は傘の中に体を収めることに。
「ちゃんと入った?」
陽菜乃は俺の外側の肩を見て、雨に当たっていないことを確認したところでようやくほうっと息を吐いた。
ぴと。
そうなれば、もちろん肩と肩は触れ合う。
左肩に温かさを感じる。
俺がそれを感じているということは、当然陽菜乃もそれを感じていることだろう。
恥ずかしいというか、こそばゆいというか。
「早く梅雨も終わってほしいところだよ」
「そ、そうだね」
黙っていると走り去ってしまいたくなるので、俺は無理やり会話をすることにした。
珍しく会話を切り出さなかった陽菜乃も、俺が話しかけたことでようやく口を開いた。
「でも、梅雨が終わったら夏が来るし、そしたらテストが待ってるよ」
「テストね」
憂鬱は憂鬱なんだけど、俺はテスト前に慌てるタイプではないので、多分他の生徒ほど嫌ではない。
「でも、それが終わったら夏休みだよ?」
「もうそんな時期か」
夏休み。
一年の中で最も長スパンな長期休暇だ。もちろんその分宿題とかも多いんだけど、それでも一ヶ月近く学校に来なくていいという至福の期間。
学校に来なくていい、か。
一年前。
まだ俺が学校で一人だったとき。
つまり、日向坂陽菜乃と出会っていないとき。
夏休みの始まりに、そうやって喜んだのを今でも覚えている。
あのときはとにかく学校がかったるかった。楽しいことなんて一つたりともなかったから。
けど、今はどうだろう。
学校に来なくていいと思っているだろうか。
それってつまり、みんなと会えないということだ。
それは、どうなんだろう……。
「夏休みね、みんなでどこか行きたいね?」
そんなことを考えていると、陽菜乃が極めて明るく振る舞いながら言う。
まるで、俺の中の不安に気づいてそれを晴らそうとしてくれているようだ。
そんなはずないのに。
けれど、そんな彼女に俺はつい口元に笑みを浮かべてしまう。
「そうだな。陽菜乃はどこか行きたいところあるの?」
尋ねると、彼女はんんーっと悩むように唸る。
「プールとか、夏祭りとか。あ、海も行きたいな。あとね、花火も見てみたい。それとね」
「めちゃくちゃあるな」
楽しそうに話す陽菜乃。
そんな彼女を見ていると、一緒に夏を楽しめればいいなと思う。
「うん。あるよ」
にこっとこっちを見て笑った陽菜乃は、俺の目をまっすぐ見ながら「だからね」と続けた。
「一緒に行こうね?」
きらきらと光る彼女の目を見て、俺はついつい視線を逸らしてしまう。
照れ隠しのように前髪を触ろうとして、短くなったことを思い出す。まだたまに散髪したことを忘れてしまう。
「……そうだね」
ふいっと顔を逸らしながら、俺は短くそう答えた。
ちょうどタイミングよく駅に到着したことにほっと胸を撫で下ろした反面、少しだけこの時間を惜しんでしまった。
雨の日も悪くない、か?
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