第98話 雨の日①


 しとしと。

 ぴちゃぴちゃ。


 梅雨はきらいだ。


 作物が育たないとか、洗濯物が乾かないとか、そういうことではなくて、登校中に靴が濡れて中に水が侵入してくるのが心底一日のやる気を削いでしまうから。


 ただでさえ気力のない日々を過ごしているのに、朝からそれを削がれたらもはや過ごせないまである。


 帰ろうかな。

 休もうかな。


 そんなことを考えながら、そんなことをする度胸もないので、気づけば学校に到着している。


「おはよ、隆之くん」


 昇降口で靴を履き替えていると、ぽんと背中を叩かれる。じめじめした空気を吹っ飛ばすような陽気に満ちた挨拶をしてくる相手はだいたい予想できる。


「おはよう、柚木」


「朝から雨やだよね。もうびしょびしょだよ」


 たはは、と笑いながらささっと靴を履き替えた柚木と並んで教室に向かうことにする。


 傘を差しても濡れるものは濡れる。

 女子はスカートだから大丈夫かもしれないけど、男子はズボンの裾がどうしようもなく濡れてしまう。

 靴下は最悪の場合穿き替えればなんとかなるけど、ズボンはとにかく気持ち悪い。


 まあ、言ってもどうしようもないんだけど。


「雨ってどうしようもなく好きになれないじゃない」


「まあ」


 廊下を歩いていると、柚木がそんなことを言う。急にどうしたのか、と思いながら視線を彼女に送った。


「なにか好きになれる方法ないかな?」


 一瞬、なにか重大な話なのかなと思ったけど、ただの雑談だった。雨の日トークというやつだ。


「好きになるためには、楽しみだと思う必要があるわけだろ?」


「そうだね」


「つまり、雨が降った日のなにかを楽しみだと思えればいいわけだ」


「たとえば?」


 柚木は首を傾げる。


 それが分かれば苦労はない。なんなら、今頃俺は雨の日大好きマンになっているだろう。


 ふむ、と少し考える。


「グラウンドを使う部活動に所属してる奴なら、部活動が休みになる……みたいな?」


「休みにはならないんじゃない? 筋トレメニューになったりして結構めんどくさいって聞くよ?」


「そうなのか」


 それはかったるいな。

 しんどい部活動かしんどくて面白くない筋トレメニューなら前者を選ぶよな。


 そもそも、部活動に所属してる奴らは好きでやってるわけだし、中止になること自体をよく思わないか。


「日がないからちょっと涼しいとか」


「その代わりに湿気でじめじめするよ」


「だよな」


 なんだよ雨の日なんにもいいことないじゃないか最悪じゃん。


 どうしても俺の場合、というスタンスで考えてしまうのでここは一度思考をリセットしてみよう。


 主観的ではなく、もっと客観的に……いや、違うな、今回のプレゼン対象は柚木くるみであるわけなので、彼女に響きそうな理由であればいいわけだ。


 柚木というか、女子に受けそうな……。


「イケメンと相合い傘チャンスだと思えばどうだろう?」


「んー?」


「傘を忘れて途方に暮れる放課後、どうしようもなく曇り空を見上げていると後ろからイケメンに声をかけられるんだよ。入ってくか? って。これはアリでしょ?」


「んー」


 おやおや。

 あまり響いてないですね。

 女子高生ってとりあえずイケメンと胸キュンシチュエーションを組み合わせておけば喜ぶんじゃないの?


 どうやらそれは俺の偏見だったみたい。


「まあ、好きな人と相合い傘は悪くないかもだけど。実際にそんなシチュエーションがあるのかって言われると難しいよね」


「タイミングとか合わないだろうしな」


 しかも登校時点で雨が降ってると帰りも必然的に傘を持っていることになるのだから相合い傘チャンスは訪れない。


「じゃあないな」


「そうなるよねぇ」


 というところで教室に到着した。

 結局、雨の日を好きになることはできなさそうだ。


「おはよ、志摩」

「おっはー」

「おすおすー」


「おはようございます」


 教室に入るとドア近くにいた女子三人組が適当な挨拶を投げてくるので、俺もぺこりと返す。


「なんで敬語」

「そろそろ慣れてよー」

「ほんとウケる」


 ケタケタとひと盛り上がりされてしまう。


 体育祭前辺りだったか、クラスメイトが挨拶をしてくれるようになった。

 二年生になって初めてのイベントだったこともあってか、クラスメイト同士の仲もそれなりに良くなったのだと思う。


 あれ以来、教室の中は和気あいあいとした雰囲気に包まれており、非常に過ごしやすい。

 これで晴れていれば言うことない。


「お、なんだよ志摩。また女子と登校とかリア充かよ」

「でもくるみだし」

「あんま勘違いさせんなよー」


 と、今度は別グループの男子から声をかけられる。それを適当にあしらうのは柚木だ。


 相変わらず俺はどう返すのが正解なのか分からないでいる。陽キャの求めるリアクションってなんなの?


 もういっそのこと授業とかしてほしい。国数英理社陽でいってほしい。


 柚木と別れ、自分の席につくと後ろに座っていた女子生徒がつんつんと背中をつついてくる。


「今日は早いな?」


「雨の日はいろいろとね」


 陽菜乃は俺と違い、朝でも雨の日でも関係なくいつも楽しげだ。雨の日を楽しむコツを聞いてみようかな。


 二年生初めての中間テストが終わった頃に席替えがあり、運が良く俺は陽菜乃と前後の席を獲得した。


 近くに仲が良い生徒がいるというのは非常に心強い。


 まあ。


 たまに授業中、背中をつつかれたりするのが困りものだが。


「雨の日でもいつもと変わらず楽しそうだね」


「そう見える?」


 俺はこくりと頷く。


「なにか楽しみなことでもあるの?」


 俺が訊くと、陽菜乃はんんーっと口をへの字に曲げながら唸る。

 なにか特別に意識している様子はなさそうだ。だとしたら、それで毎日変わらず楽しげなのすごいな。


「雨の日に楽しみなことっていうのはないけれど、学校に来たらお友達に会えるでしょ?」


「そうだね」


「それがね、楽しくて嬉しい。雨の日でも晴れの日でも、そんなの関係なくそう思うよ」


 なるほどね、と俺は小さく頷いた。

 だから日向坂陽菜乃はいつも変わらず楽しそうなんだ。


 俺も見習ってみよう。


「志摩くんはそういうのないの?」


「……考えたことなかった。これからはそういうふうに考えていけるように頑張るよ」


 まあ。

 難しいだろうけど。


 俺は彼女のように素直じゃないしな。


「わたしも、そう思ってもらえるようにがんばるね」


「……リアクションに困るな」


「そう?」


 こてんと首を傾げる陽菜乃。

 どう返すのが正解なんだよ、という視線を向けてみると陽菜乃はからかうように笑ってみせた。


「お前はもう俺の太陽だよ。雨の日のじめじめした気分なんかいつも吹っ飛ばしてくれるぜ……とか?」


「言えば絶対笑うじゃん」


「笑わないよー?」


 そう言いながらも、すでに彼女の口元は笑っていた。


 絶対笑うよ。

 まちがいなく。

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