第92話 燃えよ体育祭②
じりじりと日差しが肌を焼く。
日焼け止めクリームを塗っているけれど、それでも不安になってしまうくらいの晴れ空。
間もなくスタートになる障害物競争に参加するため、わたし、日向坂陽菜乃はゲート前の待機列に並んでいた。
「なんか、女子が多いね?」
後ろに並んでいたくるみちゃんが、周りをきょろきょろと見渡しながらそんなことを言った。
言われてから、わたしも周囲に視線を向けてみたけど、たしかに彼女の言うとおり女の子が多い。
別に女子限定の競技ではないはずだから、偶然こうなってしまったようだ。
ほんとうに、ちらほらと見える男子生徒が居心地悪そうにうつむいている。
「ほんとだね」
「運動苦手系が集まってるんだと思うけど」
「足が遅くても障害物っていう言い訳があるもんね。くるみちゃんもそういう理由?」
わたしは運動が得意なわけではない。もちろん、特別苦手というほどでもないと思っているけど、どちらかと言われれば苦手な方。
そんなわたしと違って、くるみちゃんは別に運動が苦手っていう印象は持ったことがない。
「んー、苦手ってことはないけど。ただ走るだけよりなんか楽しそうじゃない?」
にひ、とくるみちゃんは楽しそうに笑った。
そういうところを見ると、ほんとうにかわいい女の子だなって思う。
女子のわたしから見ても、魅力的だ。
顔は小さくて、髪はさらさらで、身長はちょっと低いけどスレンダーで、いろんな人と仲良くお話して。
要素を上げればきりがない。
それくらいに、柚木くるみという女の子は魅力的なのだ。
同性として羨ましく思うほどに。
そんな彼女が……。
「ねえ、くるみちゃん」
わたしは意を決して口を開く。
さっきまでと雰囲気が違ってしまったのか、こちらを向いたくるみちゃんはちょっと怪訝な顔をしていた。
どうやって訊こうか。
単刀直入に、というのはあまり得意ではない。
「梓から聞いたんだけど、くるみちゃんって彼氏いるんだっけ?」
「え、急に恋バナ?」
まさかこんなところで、そんな話をされるとは思っていなかったらしいくるみちゃんは尤もな反応をしてきた。
遠回りをしようと意識したせいで、結果不自然な切り出しになってしまった。
「うん。なんか、ふと気になっちゃって」
うそだ。
ほんとはもっと前から気になっていた。
くるみちゃんには彼氏がいる、と梓は言っていたけれど、それにしてはなんというか……という感じで。
わたしの気のせいだったらいいんだけど。
わたしのお茶を濁すような曖昧な返事に、くるみちゃんは「ふぅん」と含みのある声を漏らした。
けれど、ちらと彼女の顔を見るといつもと変わらないにこやかな笑顔を浮かべている。
「彼氏はいないよ」
「……いないんだ」
ちょっと、梓?
くるみちゃん、彼氏いないって言ってますけど?
と、梓に恨めしい気持ちを送りながら、わたしはくるみちゃんの言葉の続きを待つ。
「前までいたんだけどね。クリスマス前に別れたの。最近まで、梓とはめちゃくちゃ話すってほどでもなかったから、別れたことも言ってなかったのかな」
なんでもないように、くるみちゃんは言う。
「同じ中学なんだよね?」
たしか、梓がそんなことを言っていた。それを思い出しながらわたしはそう口にする。
「そうだよ。だから廊下ですれ違ったときに近況を報告し合うくらいはしてたけど、わざわざ放課後にお茶したりお昼にお弁当食べたりってほどじゃなかったの」
同じ中学だからといって、別に絶対に仲良しというわけではなかったらしい。
そう言われて思い返すと、わたしもそんな感じかもしれない。
そんなことを考えたけど、でもわたしの思考はすぐに別のことを考えてしまう。
最近まで梓とはめちゃくちゃ話すってほどでもなかった。
だったら、なにをきっかけに話すようになったのか。
そんなの、訊かなくてもわかるけれど、わたしはそれを口にせずにはいられなかった。
「梓と話すようになったのって、やっぱり志摩くんがきっかけ?」
恐る恐る尋ねる。
どういうリアクションが返ってくるんだろう、と少しどきどきしていたけれど、くるみちゃんは頬を赤くしてあははと照れたように笑う。
「まあ、ね」
ああ。
やっぱりかわいいなあ。
こんなかわいい女の子が……。
「ねえ、くるみちゃん。くるみちゃんはいま、好きな人――」
もう、確かめる必要なんてないくらいに、彼女の気持ちは伝わってきている。
けれど。
やっぱり。
これだけは聞いておかないと。
そう思って口にした言葉は、障害物競争の選手入場のアナウンスにかき消されてしまった。
周りが立ち上がったので、わたしたちもそれに続いて立ち上がる。
ぱたぱたとお尻についた砂をはたきながら、くるみちゃんが小さな声で言う。
「いるよ」
と。
わたしはぴたりと手を止めて、思わず彼女を振り返る。
そこには、子どもの頃の秘密を打ち明けたような、照れくさそうなくるみちゃんの顔があった。
それ以上、なにかを話すことはないまま、わたしたちはアナウンスに従って入場する。
「……」
これは別に言い訳とかではないんだけれど、どこかもやもやした気持ちのまま障害物競争に挑んだわたしは、見事に最下位になってしまった。
これといって盛り上がりどころもなく、淡々と敗北したので全編カットです。
かっこ悪いところを見せてしまったなぁと少し落ち込み気味に退場したわたしの肩がとんとんと叩かれた。
振り返ると、くるみちゃんがにこにこ笑顔でちょいちょいと自販機の方を指差していた。
それが「ちょっと付き合って」、という意味なのはなんとなくわかったので、わたしは彼女についていく。
みんなは競技に集中してるからか、自販機の前には人がいなかった。
ガコン、と自販機から買った飲み物を取るくるみちゃん。その手にはスポーツドリンクがあった。
たしかに、これだけ暑くて体育祭の真っ只中という状況ならばその選択が一番しっくりくる。
ということで、彼女にならってわたしもスポーツドリンクを購入した。
ガコン、と自販機が吐き出したスポーツドリンクのキャップを開けて口をつける。
思っていたより喉が乾いていたのか、ごきゅごきゅと勢いよく飲んでしまう。
「それで、どうしたの?」
わたしはやや緊張した声色でくるみちゃんに尋ねる。
ぷはっと、ペットボトルから口を離したくるみちゃんの顔つきは、さっきまでと違って真剣なものだった。
「あんまりこういう機会ってないからさ、あたしも一個訊いとこうかと思って」
こういう機会、というのはたぶんさっきの話のことを言ってるんだと思う。
たしかに日常的に話すような内容ではないのかな。ちょっと特別な放課後とか、修学旅行の夜とか、そういうときが似合う会話だった。
この機を逃すと、もしかしたらタイミングを失うと思ったのかもしれない。
なにを?
なにを訊こうとしているの?
「なにかな?」
わたしはわかっているのに、わかっていないふりをした。
口にするのが怖いから。
口にされるのが怖いから。
まだ聞きたくない。
いや、はっきりと口にして欲しい。
言わないでほしい。
やっぱりちゃんと聞いておきたい。
わたしの中の気持ちがぐちゃぐちゃと混ざり合う。
「さっき、わたしに彼氏がいるかって訊いたでしょ?」
くるみちゃんの質問に、わたしはこくりと頷きを返す。
「陽菜乃ちゃんは彼氏いないよね?」
「……うん、そうだね」
わたしは恐る恐る、そう答えた。
くるみちゃんの雰囲気がさっきまでとは違っていて、こっちもつい構えてしまう。
「じゃあさ」
くるみちゃんの言葉に、わたしは思わず固唾を飲む。
どき。
どき。
どき。
心臓の音がいつもより大きく聞こえるのは、たぶん気のせいではないと思う。
わたしはただ、黙ってくるみちゃんの言葉を待った。
「陽菜乃ちゃんは好きな人、いる?」
そして。
やっぱり。
彼女はその言葉を口にした。
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