第90話 イメチェン


「志摩ってさ」


 それはある日の昼休みのこと。

 二年生になってからは樋渡と昼食を食べることが増えた。

 短期間で友達は普通に作ったんだろうけど、俺に気を遣ってかこうして付き合ってくれる。


 まじで俺が女なら普通に惚れてる。


「なに?」


 買ってきた焼きそばパンにかぶりつきながら言う樋渡に俺は聞き返す。


「もうちょっと、こう、髪とか気にしたらどうだ?」


「急にディスってくるなよ」


「いやディスってないよ。ただ、よくよく見ると素材はいいと思うんだよね。前髪長いからあんまり気づかれてないけどさ」


「……別に気づかれたいわけでもないが。そもそも別に素材もよくないし」


 俺が言うと、樋渡はいやいやと首を横に振る。


「お前はもっとちゃんと男を磨くべきだ。そんなんじゃ彼女なんかできないぞ? 欲しくないのかよ、彼女」


「……欲しくない、ことはないけど。でも、そう言ってできれば苦労はないだろ」


「できるかどうかは置いておいてさ、まずはできるように努力しようぜって言ってんだよ。モテない奴らはそうやって自分を卑下して端から諦めるからできないんだぞ?」


 痛いところをついてきやがる。

 言っていることも至極尤もだ。


「例えば、お前は自分にどうして彼女ができないと思う?」


「……面白くないし」


「面白くなろうと努力したか?」


「……いや」


「他には?」


「顔だってイケメンじゃないし」


「確かに整っているに越したことはないよ。でもさ、大事なのは清潔感だよ。ぼさっとした髪とか、よれよれのシャツとか、そういうところを直せば自然とイメージは変わるさ」


「……正論をぶつけてくるなよ」


 なにも言い返せない。


 俺の……というか、すべてのネガティブ男子の悪いところなのかもしれない。


 最初から諦める。


 どうせ自分なんて、とか。

 なにやっても無駄だ、とか。


 とにかく、なにか言い訳を探して向き合おうとしない。全力で向き合って失敗するのが怖いのだ。


 俺はまだ本気を出していない、だからできなくてもいいんだ、と自分に言い聞かせている。


「なにも全部一気にってわけじゃなくてさ。できることからやってみようぜって言ってんのよ」


「できること、ねえ」


 付き合うとかそういうのは抜きにしても。


 それが陽菜乃であれ、柚木であれ、樋渡であれ。

 隣にいて恥ずかしく思われないくらいにはちゃんとするべきだとは思う。


 これもきっかけといえばきっかけか。


「とりあえず、美容院にでも言ってみたら?」



 *



 思い立ったが吉日ということわざがあるように、思いついたことはそのときに行動に移すべきだ。


 でなければ、面倒くさいだとかやっぱり自分には無理だとか、とにかくなにか適当に理由をつけて行動しなくなる。


 だから、俺は勢いそのままに放課後、美容院へと足を運んだ。

 いつも散髪は気が向いたときにそこら辺にあるなんちゃらカットに入るので、美容院に入るのはめちゃくちゃ緊張した。


 予約しないといけないだろうか、と不安だったがその日はたまたま空きがあったので相手をしてくれた。


 店員さんのコミュ力に驚かされながら髪を切ってもらうこと三十分。いや、もう少しかかったかな。

 とにかく、散髪が終了した。


 美容院を出たときは前髪がないことに違和感を覚えた。


 家に帰ると母さんと梨子に驚かれた。


「あんた、どうしたのその髪」


「お兄がキモくない……」


 二人のリアクションから、イメチェンという意味では成功したということが証明された。


 違和感を拭いきれないまま、翌朝を迎える。

 散髪の翌日の学校はどうしてこんなに緊張するんだろうか。


 さすがに昨日のように髪をセットはできないから、寝癖を直す程度にしか髪は触っていない。


 変じゃないかな、大丈夫かな、と不安を抱きながら教室へいざ入場する。


 気持ち、少しだけ早めに登校した。

 できるだけ教室にクラスメイトがいない方がよかったからだ。狙い通り、いつもよりクラスメイトは少ない。


「お、志摩。髪切った?」


 教室に入った俺に気づいた雨野さんが、笑っていいともみたいな訊き方をしてきた。


「……まあ」


 照れ隠しに前髪をいじろうとして、昨日バッサリすべて切ったことを思い出す。


 そんなことをしていると、雨野さんがよっこらしょと立ち上がって俺の前までやってくる。


 こうして並ぶと、俺の胸辺りまでしか身長がない雨野さんは、俺の顔をじいっと見上げてくる。


 相変わらずのタレ目、相変わらずのマスク顔は二年生になっても変わらない。


「あんま分からんかったけど、志摩ってわりとイケメンだったんだね」


「……そんなことないと思うが?」


「いやいや、これはアリだよ。十分に基準超えちゃってるよ。なんなら、付き合っちゃうかい?」


「え」


 今、雨野さんなんて?

 そんなまっすぐこっちを見ながらそんなことを言われたら本気にしてしまうぞ。


 なんて、もちろんそれを鵜呑みにするつもりはないのだけれど。これを冗談として流せるかどうかが大事なんだよな。


「あはは、ご冗談を」


「ん? 本気だけど?」


「えっ」


 そんな真剣な眼差しで見つめられると、それに加えて冗談じゃない声色ときょとん顔なんか向けられたら、さすがの俺でも勘違いしちゃうぞ。


 とは、もちろんならないのだけれど。


「ん゙ん゙ん゙っ」


 俺が乙女のようなリアクションをしていると、後からわざとらしい咳払いが聞こえてくる。


 雨野さんはあちゃーという顔をして俺から一歩離れた。どうしたのかな、と俺も後ろを確認する。


「……おはよう、志摩くん?」


「……おはよう、日向坂さん」


 にっこり笑顔パーフェクトスマイルな日向坂陽菜乃がそこにいた。

 笑ってるのにどうしてこんなに怖いんだろう、不思議だなぁー。


「や、やだなぁ、日向坂。冗談だよ?」


 雨野さんが慌ててそんなことを言う。


「そういう冗談はよくないと思うよ」


 笑顔なき顔が向けられる。

 マスクをしてても雨野さんが焦っているのが伝わってくる。


「じょ、冗談じゃないよーって言ったら?」


「うん?」


「なんでもないですぅ」


 しおれたアサガオのようになった雨野さんはすすすと自分の席に戻っていき、スマホに視線を落とした。


「髪、切ったんだね?」


「まあ、ね」


 なんだか照れくさくて視線を逸らしてしまった俺のことなどお構いなしに、陽菜乃はくくっと背伸びをして小声で耳打ちしてきた。


「似合ってるよ、隆之くん」


 言って、そのまま自分の席に行ってしまう。


 残された俺はその場に立ち尽くしていた。


「おい、邪魔だよ」

 

 と、秋名に我に返らされるまで。

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