第85話 動物園へ行こう⑥


 日向坂さんのもとへ駆け寄る。

 座り込んで足を触っているところから、恐らく足をくじいたのだろう。さっきの人の流れが原因か。


「大丈夫?」


 表情を歪めていた日向坂さんだったけど、俺……というか、ななちゃんに心配をかけまいとしてか、ぎこちなく笑った。


「うん、ちょっと捻っちゃったみたいで」


「立てる?」


「……たぶん」


 俺は肩を貸して、日向坂さんの補助をする。しかし、立とうとしたところで再び日向坂さんは表情を歪めた。


 どうやら、状態は芳しくないらしい。


「おねーちゃん、だいじょうぶ?」


「うん。だいじょうぶだよ」


 気丈に振る舞ってはいるけれど、多分足は痛いはずだ。早く応急処置をしてあげないと。

 こういうとこだと、インフォメーションに連れていけばいいんだっけ。


「……」


 見た感じ近くにはないし、入口のところ辺りまで戻る必要があるだろう。

 あれだけ表情を歪めるくらいの状態で、そこまで歩けるとは思えない。


 日向坂さんとしては、ななちゃんにあまり心配をかけたくないだろうから、大事になるのは避けたいはずだ。


 となると、俺の足りない頭で思いつく解決策は一つだけだった。


「背中に乗って」


「え?」


 日向坂さんの前でしゃがみ、背中を向けて彼女を迎える姿勢を取る。

 後ろを振り返り日向坂さんを見ると、目を丸くして驚いていた。


「とりあえず応急処置できるところまで行こう。歩けないだろうから、そこまでは連れて行くよ」


「……でも、隆之くん」


 なにか言いたげな表情の日向坂さんは、飲み込むようにして顔を伏せた。

 

「女の子一人くらい、なんてことないよ」


「……ありがと」


 日向坂さんはゆっくりと俺の背中に乗ってくる。躊躇うようにしていたけれど、ゆっくりと体重を預けてくれる。


 足に力を入れて立ち上がる。

 当たり前の話だけれど、ななちゃんをおんぶするのとはわけが違う。

 誰かをおぶるなんて、梨子が小さい頃にして以降機会なんてなかった。


 人って重いんだなぁ。

 絶対口にはできないけど。


 立ち上がったところで一度ふらつく。こういうところで格好がつかないのは本当にダサいと我ながら思う。


 筋トレとかしたほうがいいかもしれない。


「ほんとにだいじょうぶ?」


「大丈夫だいじょうぶ。思ってたよりは重たくない」


「それ重たいってことだよね?」


「言葉の綾だよ」


 日向坂さんをグッと持ち上げて体勢を整える。背中から「わわっ」と小さな声が聞こえた。


「ななちゃん、行こうか」


「うん」


 さすがにこの状態のまま、ななちゃんと手を繋ぐ余裕はない。

 平然を装えているかはともかく、装っているつもりなんだけど、結構しんどいもんだ。


 自分の非力さにうんざりする。


「ごめんね」


「気にすることないよ、本当に」


「……うん」


 俺に迷惑をかけていると思っているのだろう。背中の日向坂さんはいつもよりずっとしおらしい。


 ただ、俺を信頼して体重を預けてくれているのは有り難い。

 リュックサックなんかを背負うときにも言えることだけど、重心が固定できているか否かで感じる負担は変わってくる。


「……」


 柔らかいものが背中に当たっているのは極力気にしないようにしているのだが、男としてどうしても意識してしまう。


 煩悩を振り払いながらただ歩く。


「おねーちゃん、だいじょうぶ?」


 俺の隣をとてとて歩くななちゃんが不安そうな顔で日向坂さんを見上げる。

 ななちゃんに心配をかけるのは日向坂さんだって良くは思っていないだろうし。


「お姉ちゃんはね、さっき俺におんぶしてもらってたななちゃんが羨ましかったんだよ」


「ふぇ?」


 そうなの? というような顔をするななちゃんは日向坂さんの方を向き直す。


「……えっと、そうなの」


「だから、大丈夫だよ」


 どちらかというと、大丈夫ではないのは俺の方だな。

 いつになったらインフォメーションに到着するんだろう。そろそろ俺の体が限界なんだけど。


 しかし道半ばで断念なんてめちゃくちゃ格好悪い。そんなことは絶対にあってはならない。俺の名誉の為にもッ。


 これからはトレーニングに励もうと、これからのことに思考を巡らせながらひたすらに歩く。


 そしてようやく。


「すみません」


 インフォメーションに到着した。

 そこからはスタッフの人に任せ、俺はななちゃんを連れてそこから出る。


 応急処置をしているところを見たりしたらまたななちゃんが不安になるかもしれない。

 日向坂さんが奥に向かう際、俺の方を見てきた。そのときに『ななのことをお願い』と言われたような気がしたのだ。


「お姉ちゃんが戻ってくるまでジュースでも飲んでようか」


「うん」



 *



 応急処置を終え、なんとか歩けるようになったとはいえ、これ以上足に負荷をかけるわけにもいかず、俺たちは帰宅することにした。


 ななちゃんもちょうど疲れ始めていた頃だったのか、帰ることに対してぐずったりすることはなかった。


 電車に乗るとすぐにぐっすり眠ってしまう。

 そんなななちゃんの頭を撫でながら、日向坂さんは優しく微笑んでいた。


「ごめんね、わたしのせいで帰ることになっちゃって」


「時間的にもちょうどよかったくらいじゃない?」


 あまり遅くなりすぎるのも良くないだろう。一応、園内はおおよそ見回れたはずだし。


「それに、面倒かけちゃったこともごめんなさい」


 自分が足をくじいたばかりに、とでも思っているのだろうが、それに関しては別に日向坂さんが悪いわけではない。


 人それぞれがもっと周りに気を配っていればいい話だけど、実際にそれを全員が実行するのは難しい。

 つまり、どうしようもないことだ。


 けれど、そんなことを言っても日向坂さんの中の罪悪感は消えたりしないだろう。


「気にしないでよ。迷惑だとか思ってないし。それに……」


 俺は一度言葉を区切って、ちらと隣の日向坂さんに視線を向ける。


「ごめんなさいって言われるくらいなら、ありがとうって言ってくれた方がこっちも嬉しいよ」


「……うん。そうだよね」


 こちらを向いて力なく笑った日向坂さんは「ありがとう」と口にした。


 ガタンゴトンと電車が揺れる。

 ずっと外にいて、ずっと歩いていたからか、俺も日向坂さんと座ってしまうと疲れが込み上げてくる。


「寝てていいよ。近づいたら起こすから」


 うとうとと首を揺らす日向坂さんにそう声をかける。


「でも」


「俺は大丈夫だから。春休みずっと寝っぱなしで眠たくないんだ」


「……そう?」


「うん」


「じゃあ、ちょっとだけ。ほんとに無理しないでね? 眠たくなったら起こしてくれていいから」


「了解」


 ここで俺が寝落ちしてしまうと、みんな仲良く終点行きだ。そんな未来は絶対に避けないと。


 頑張って起きておきますか。


 ぼーっとしていると睡魔に負けそうになるのでなにか考え事をしたほうがいいな。


 なにかいい議題テーマはないだろうか。


 なんてことを考えていると。



 こてん。



 と、肩のところに重みを感じた。

 おおよそなにが起こっているのかは予想できるけど、俺は現状の把握をしようとそちらを見る。


「……」


 すう、すう、と。

 規則正しい呼吸音が聞こえてくる。


「まじか」


 こんなん、目覚めるわ。



 なんとか日向坂さんから意識を逸らそうと視線を窓の外に向ける。

 夕日が世界を赤く照らしていた。

 一日の終わりに時間の経過の早さに驚くようになったのは、いつからだろう。


 もうすぐ春休みも終わりだ。

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